大塚家具の大塚久美子社長が、12月1日をもって退任する。大塚家具の経営をめぐる戦いに、誰が勝ち、誰が負けたのか? 経済ジャーナリストの磯山友幸氏は、上場企業の経営問題が「家族の諍い」に置き換わることで、問題の大事な本質が見失われてしまった、と分析する。スキャンダルと後継者の退職、本業の環境悪化という三重苦の中で、2009年に社長に就任した久美子氏と父・勝久氏、母・千代子氏ら、それぞれの思惑とは一体何だったのか。「文藝春秋」2018年10月号の記事を特別に公開する。
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大塚久美子氏 ©文藝春秋

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問題の本質が見失われていた

 大塚家具が断末魔に喘いでいる。大塚家具は8月7日に2018年12月期の業績予想を修正、最終損益は34億円の赤字と、3期連続で大幅な赤字に陥る見通しであることを明らかにした。この3年間で売上高が580億円から376億円へと200億円も減って3分の2の水準になる。深刻な販売不振で、先行きが全く見通せないのである。

 大塚家具が修正発表に踏み切る数日前、大手メディアが相次いで大塚家具の苦境を報じた。端緒は8月3日にアップされた日経ビジネスオンラインの記事。「大塚家具、自力再建困難に、身売り交渉大詰め スポンサー選び佳境、合意のハードルは高く」という刺激的なタイトルだった。

 翌4日には朝日新聞がこれに畳み掛ける記事を掲載した。朝刊1面で「大塚家具、身売りへ TKP軸に最終調整」と報じたのだ。ティーケーピー(TKP)は貸会議室大手で、大塚家具とは昨年11月に提携して3位株主になっている。その「TKPが第3者割当増資により過半の株式を取得する案が有力となった」と朝日は書いた。

 これに対して大塚家具は「(TKPとは)業務・資本提携を締結しており、その提携関係においてあらゆる可能性を検討しておりますが、現時点において新たにもしくは具体的に決定した事項はございません」とするコメントを同日出した。

 あの大塚家具が身売り!? これらの報道をきっかけに民放テレビ局の情報番組が一斉に取り上げた。というのも、創業者で父親の大塚勝久会長(当時)と実の娘の大塚久美子社長が経営権を巡って争い、株主総会で委任状争奪戦まで繰り広げた記憶が生々しかったからだ。2015年の株主総会前後には、上場企業を舞台にした「世紀の親子ゲンカ」として情報番組の格好の題材になった。

 だが、上場企業の経営問題が「家族の諍い」に置き換わることで、問題の大事な本質が見失われているような気がしてならない。いったい誰が被害者で、誰が笑っているのか。一連の騒動をあらためて検証したい。

 大塚家具がワイドショーの好餌になった最大のきっかけは、2015年2月25日に大塚勝久会長が行った記者会見だった。三つ揃いのスーツを着た勝久氏を中心に、正面ひな壇にスーツ姿の男たち14人が直立不動で並ぶ異様な光景だった。

 会見で明らかにした内容はこれまた異例だった。勝久氏は当時、大塚家具の株式350万株、発行済株式数の18.04%を握る筆頭株主だった。その大株主の権利として、3月に予定されていた株主総会に取締役の選任議案を出すというのである。株主提案である。

 驚いたことにその名簿には、社長である久美子氏の名前は無かった。

「久美子が社長のままでは優秀な社員が退社してしまいます。社員を育てたのはお客様です。子どもは5人いますが、1700人の社員も子どもです」

「(久美子氏を)社長に選んだことが私の唯一の失敗です。それ以外は私は失敗していません」

「経営者としては失敗はなかったが、親としては間違ってしまった」

 会見で記者との質疑が始まると、勝久氏の口からは久美子氏批判が溢れ出した。そして、その後、民放の情報番組で繰り返し使われることになる発言が飛び出した。

「何人かの悪い子どもを作ったと、そう思わざるを得ません。今は」

 経営権を巡る争いが、勝久氏の「悪い子を作った」というひと言で、世の中のどこにでもある家族争議に置き換わった。父娘の大喧嘩にテレビの視聴者は釘付けになった。

(1)呼び戻された久美子氏

 実は、世の中の関心こそ呼ばなかったものの、大塚家具での「内紛」はその半年前、2014年7月に表面化していた。それまで社長だった久美子氏が解任され、勝久氏が会長兼社長に就任したのである。ただ、記者会見も行われず、交代理由も型通りで具体性に欠けたため、メディアはほとんど注目しなかった。

 大塚家5人兄弟の長子、久美子氏は、2009年から社長を務めてきた。富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)を経て父の会社である大塚家具に1994年に入社した久美子氏は、96年には取締役となり、管理部門を中心に部長や本部長を歴任したが、04年に一度大塚家具を辞めている。

 そのわずか4年後に呼び戻されることになるのだが、その間、久美子氏は筑波大学の法科大学院に入って会社法などを学び直したほか、クオリア・コンサルティングという広報・IRコンサルティング会社を自ら設立して代表に就任していた。

 一旦は自立の道を歩もうとしていた2008年。久美子氏は大塚家具に呼び戻され、顧問に就任した。

 08年当時、大塚家具は3つの危機に直面していた。一つはスキャンダル。2006年12月期の配当を前の期の年間25円から30円に引き上げると決めておきながら、それを公表する前に大塚家具は自社株7万9000株を買い付けた。これがインサイダー取引に当たるとされ、2007年5月に金融庁から課徴金3044万円の納付を命じられたのだ。社長だった勝久氏に悪意はなかったとされるが、法令違反となったことに相当なショックを受け、経営への意欲を失っていたというのだ。

 そんな折も折の2008年、頼りにしていた長男の勝之氏が会社を去った。勝之氏は5人兄弟の2番目で久美子氏のすぐ下の弟である。久美子氏が取締役を退任した2004年以降、営業の中核を担い、翌2005年には常務執行役員営業本部長に就任していた。その勝之氏が、突然、会社を去ったのだ。

 理由は明らかにされていないが、一部の報道や関係者の話によると、勝之氏の結婚に母親の大塚千代子氏が強く反対。「結婚を取るか、会社を取るか」という売り言葉に買い言葉の末、勝之氏が会社を辞めることになったのだという。

 久美子氏はこのタイミングで呼び戻され、翌2009年、社長に就任するわけだが、このとき父の勝久氏は、久美子氏に「跡継ぎは久美子」と伝えたとされる。長男の勝之氏ではなく長子の久美子氏に大塚家具を委ねるという「口約束」が、その後の家族間の火種になった。

 同じ頃、もう一つの危機が大塚家具を襲った。業績の大幅な悪化である。2007年に727億円あった大塚家具の売上高は2008年には668億円、2009年には579億円と大幅に落ち込んだ。リーマンショックの影響もあり、新しく家を建てる軒数、新設住宅着工戸数が激減したことが原因だった。2008年に109万3000戸だった新設住宅着工戸数は09年には78万8000戸にまで減少した。

 大塚家具のビジネスモデルは、新築した家に揃えて置く家具やインテリアを大きな展示場で選んで一括購入するスタイル。だから相談に乗る専門性の高い営業マンがショールームを案内しながら顧客のニーズを聞き出していくことが重要になる。

 平成に入って2008年(平成20年)までの間、新設住宅着工は毎年100万戸を上回っていた。それが2009年以降、一度も100万戸に届いていない。住宅の新築が減れば、大塚家具のような比較的高級な品物を一括購入するモデルは成立しない。

 時を同じくしてやってきたのが低価格を売り物にする家具販売企業の台頭だ。北欧のイケアは2006年に日本に再上陸し、2008年までに5店舗を開いた。北海道で破竹の勢いで伸びていたニトリが東京に進出、赤羽に東京1号店を開いたのも2006年だった。「お、ねだん以上。ニトリ」のキャッチフレーズが示すように、「安くてもそれなりに満足出来る品質」の格安商品を揃えたことで、デフレ経済が深まる中、消費者の需要をさらっていった。

 スキャンダルと後継者の退職、本業の環境悪化という三重苦の中で、久美子氏は呼び戻され、2009年に社長に就任したのだ。

 2008年12月期から2010年12月期までの3年間、大塚家具は最終赤字を続けた。売上高が大幅に減少したこともあるが、長期滞留在庫を評価替えするなど、過去の負の遺産を処理した結果と見られる。

 そして2011年12月期には540億円の売り上げ規模でも利益を出せる体質にまで立ち直った。

(2)久美子氏の「解任」と復活

 その2011年。会社を離れていた長男の勝之氏が会社に復帰したのだ。結婚相手との間に子どもが生まれ、母親の千代子氏が孫の顔見たさに、「長男が跡を継ぐのは当然」と、勝之氏の復帰を認めたのだという。

 後に勝久氏と行動を共にする側近によれば、2008年から2011年頃まで、勝久会長は会社にあまり姿を見せず、久美子社長に経営を任せていた。ところが、会社が軌道に乗ったためか、長男が戻ってきたからか、俄然、勝久氏は経営に「やる気」を出し始める。久美子氏に譲るという「口約束」を聞きつけた千代子氏が夫の勝久氏を「お父さん、そんな約束したの」と問い詰めると、一転、勝久氏は「そんな事は言っていない」と言い出したというのだ。

 勝之氏の復帰で、父と長男による「政権奪還」の動きが始まった、と久美子氏は感じたようだ。

 この頃、久美子氏が「お父さん、代わるって言ったじゃない」と勝久氏に詰め寄るのを長男の勝之氏も目撃したと証言している。会長も辞任して完全にトップを交代するのが約束だったはずだと問い詰めたのだ。

 以降、平穏だった取締役会で、しばしば勝久会長と久美子社長が激突する場面が見られるようになった。理詰めで迫る久美子氏に対して、勝久会長が「切れる」こともあったという。また、勝久氏のパワハラなどを記録しようと久美子氏がカメラを設置しているとの噂も流れた。

 一方の勝之氏は、復帰した11年に執行役員営業本部担当部長に就くと、翌12年には常務執行役員に、14年には営業本部長に就任。すでに述べたように、14年7月にはついに久美子氏が社長を「解任」され、勝之氏が専務執行役員に昇格する。

「結婚もせずに大塚家具に人生を捧げたのに、不要になると辞めろというのはあまりにも酷すぎる」

 社長を解任された久美子氏は涙を流して泣いた。その涙は悲しさというよりも怒りの涙だった。

 ここで久美子氏が諦めて大塚家具を去れば、おそらく、その後の騒動は起きなかったに違いない。だが、久美子氏は取締役会の多数派工作に乗り出す。勝久氏側についていた社外取締役を辞任に追い込み、三女・智子氏の夫で取締役だった佐野春生氏を切り崩して味方に付けた。

 解任からわずか半年。2015年1月の取締役会で久美子氏は再び社長に選ばれる。父の勝久会長と弟の勝之専務、勝久氏の側近だった取締役が反対したものの、取締役7人中、4対3の僅差で勝利したのだ。

(3)株主総会での父娘対決

 辞めた社長が半年で復帰する不可思議な人事だったにもかかわらず、大塚家具が出したリリースは「経営管理体制を強化する」という素っ気ないもの。大塚家具で何が起きているのか? そんな関心がメディアの間で頂点に達していた2015年2月25日、勝久会長が側近らとともにド派手な会見をしたのである。

 父親を会見に踏み切らせたのは、4対3の取締役会で可決された取締役候補の議案の中身だった。翌3月の株主総会にかけられる「会社側提案」の取締役候補には、父親である勝久会長の名も、弟の勝之専務の名前も無かった。久美子氏は父と弟を会社から追い出す強硬策に出たのだ。

 これに対抗する形で、勝久会長は取締役候補から久美子社長を除外した株主提案を出した。その結果、父・長男側と長女側のどちらが大塚家具の経営を担うか、二者択一の選択が株主総会で行われることになった。

 筆頭株主の勝久氏が18%あまりの議決権を保有していたのに対し、久美子氏は大塚家の資産管理会社「ききょう企画」を抑え、同社が持つ大塚家具株の議決権を掌握。株式を買い集めて久美子氏側への投票を公言していた米国の投資ファンド分と合わせて、ほぼ拮抗していた。焦点は古くからの取引先や金融機関が、会社側(久美子社長)に投票するか、株主側(勝久会長)に投票するか、だった。

 2015年3月27日、大塚家具本社がある東京・有明のファッションビルの一室で、株主総会が開かれた。出席者200人余りの総会に、100人以上の報道陣が押しかけた。

 10時に開会。事業報告など型通りの説明が終わり、取締役選任議案で会社提案つまり久美子社長側の提案と、株主提案つまり勝久会長側の提案内容が説明された。そんな折、ひとりの女性株主が質問に立った。

「大塚千代子です。母親です。今日はお詫びに来ました」

 そう切り出すと、議長の久美子社長を公然と批判した。

「会長が経営をやってきたが、あなたはまったく聞く耳を持たなかった。社員が幸せになればこんなことしなかった。社員の言葉を聞いてください。(中略)久美子に経営ができるとは思いません。社員をいじめないでください」

 この突然の発言は、繰り返しテレビの情報番組で流された。

 大塚家は父母と5人の子供の合計7人が、3対4に分かれて対立する構図となった。会長の勝久氏と妻千代子氏、そして専務で長男の勝之氏が会長派。これに対して、社長の久美子氏と末弟で執行役員の雅之氏、2人の妹は社長派である。なお、次女は資産管理会社の社長を務めるが大塚家具の仕事にはタッチせず、三女の夫は大塚家具の取締役だ。

 株主総会の会場で母親が娘の批判を繰り返しても、それで大株主の投票行動が変わるわけではない。実際には、金融機関や大手の取引先はすでに委任状を提出していたからだ。

 父と娘によるプロキシーファイト(委任状争奪戦)が繰り広げられた前代未聞の株主総会は、所要時間3時間15分で閉幕。会社側提案への賛成票が61%となり、現職社長である久美子氏の勝利で終わった。大塚家関係以外の株式の8割が会社側提案に賛成した。上場企業のあるべき姿、いわゆるコーポレートガバナンスを説いた久美子社長に、機関投資家などが賛成したように見えるが、日本の金融機関は伝統的に「会社側提案」に賛成する。久美子社長が勝利したのも、4対3とはいえ、取締役会を握ったことが大きかった。

 勝久氏は会長職を退いた。だが勝利を収めたはずの久美子氏は、その後、苦悩を背負い込むことになる。

「大塚久美子氏退任へ…大塚家具『父と娘』の1500日戦争」の全文は、「文藝春秋digital」で公開中です。

(磯山 友幸/文藝春秋 2018年10月号)