東京・霞が関の官庁エリアでは、毎日夜中まで明かりが消えない(撮影:引地信彦)

朝7時、仕事開始。27時20分、退庁――。こんな常軌を逸した長時間労働が、今でも霞が関の中央官庁では蔓延している。

国会対応のための不毛な残業や相次ぐ休職や退職が官僚たちを追い詰めている実態を描き出したのが、元厚生労働省キャリア官僚の千正康裕氏の著書『ブラック霞が関』(新潮新書)である。

なぜこうした旧態依然とした負のスパイラルが止められないのか。千正氏に聞いた。

上から下まで余裕がない

――自身が若手の頃、月平均150〜200時間の残業、法案担当時は月300時間に至った千正さんからしても、今の若手のほうが「圧倒的に大変」だというのが実感だそうですね。

確かに体力的にはきつかったけれども、精神的につらかったかというと、実はそうでもありませんでした。われわれ若手は忙しかったですが、中堅以上は余裕があるからいつでも相談できたし、幹部との距離も近く、見守られているという安心感がありました。

ところが今は、求められる政策の検討スピードが格段に上がり、若手だけでなく幹部まで労働密度が格段に濃くなっています。若手は大量の仕事があるうえ、急に指示されて対応する仕事も増えています。一方、管理職や幹部は国会議員や有識者など各所への説明に追われ、平日日中に自席にいることはほとんどありません。局長から深夜2時にメールでコメントが届くこともありました。

そんな環境なので、上から下まで余裕がなくなっています。管理職になった自分自身も、若い人に目の前の作業の意義について話したり、政策的な議論したりする時間を取りたかったですが、最後のほうは本当に余裕がなくてできなかったのが申し訳ない。

――著書の冒頭に出てくる、朝7時から始まり27時20分の退庁で終わる、「今の若手官僚の1日の例」を見ると、あまりに長時間の労働時間に加え、分刻みのような密度の濃さに驚かされます。

ここまでの激務になった要因は、与野党の戦いの激化と官邸主導、政治主導です。大きく早く、政策が動くようになりました。他方で人員が増えているわけではないので、そのスピードについていけなくなっています。もちろん官僚からしても、必要な政策だったら官邸主導で大きくものが動くことはよいことです。

本来、経営というものは顧客のニーズを捉えて勝負をかけると判断したら、そこにヒト・モノ・カネなどリソースを確保して投入しますよね。ところが霞が関では業務を遂行する体制を誰も考えない構造です。昔は、組織に余裕があったので飲み込めていましたが、限界に来ています。

政治家はニーズを捉えて進める政策を決めるのが仕事です。組織体制は、基本的に事務次官など役所の幹部が考えるのですが、幹部も現場の体制より政治からのニーズを優先せざるをえなくなっているように感じます。そのシワ寄せが現場に来ています。この構造は霞が関だけでなく地方自治体まで及んでいると思います。

低下する政策提案力

――働く側からしても、官邸サイドから突然振ってきたような案件への対応はモチベーションが上がらないでしょうね。

そうですね。もともと自分で政策を立案して社会に貢献したいと思ってこの仕事を志した人たちが多いですから。それでも国民のためになる政策だったらいいでしょうが、評判の悪いものは批判への対応もしないといけないので現場は精神的にきついです。


千正康裕(せんしょう やすひろ)/1975年生まれ。慶応義塾大学法学部卒。2001年厚生労働省入省。社会保障・労働分野で8本の法律改正に携わり、インド大使館勤務や秘書官も経験。2019年9月退官。株式会社千正組を設立し、コンサルティングを行うほか、政府会議委員も務める(撮影:梅谷秀司)

ただ、官邸や政治家が各省の官僚からの提案を聞くより、上からこれをやれと指示する背景には、官僚の政策を提案する力が落ちていることもあると思います。

政治家からするといい案を上げてこないから、官僚からのボトムアップを待つのではなく、外部の有識者から話を聞いてトップダウンで指示するようになったのだと思います。

――その理由は?

役所にいなければならない拘束時間が長くなったことの裏返しですが、官僚が会っている人間の範囲がかつてと比べてとても限定されてしまっています。官僚が普段会うのは、政治家、他省庁や自治体の役人、有識者、メディアや関係団体幹部くらいです。

本来は、お客さんである国民に近い現場の人と接して、感覚を吸収したり、政策の種を見つけたりすることが大事なのですが、その時間が本当にないんです。私自身は、平日の夜や休日のプライベートな時間に現場を訪問するのをライフワークにしていましたが、それは子どもがいないのと妻の理解があるから許されていただけで、本来は業務の中で現場を見るくらいの余裕が必要です。

例えば私が以前担当した保育問題でいうと、保護者が組織化されないこともあり、保育政策の担当者が保護者の声を聞く機会はほとんどない。いつも深夜まで仕事がある忙しさなので、保育政策の担当部署は、子育ては奥さんに任せて仕事にすべて時間を使える男性職員ばかりです。無駄な仕事をすべてやめて、少しでも現場に近いところの声を拾わないと、政策立案能力は回復できないと思います。

私が現場を回っていたのは、自分が心底理解していない立案を創るのが怖かったからです。自分の案をいちばん詳しい現場の人にぶつけてみて、まさにそんな制度が欲しかったという反応だったら、自信を持って政治家に説明できます。それを机上の知識だけで演技して説明するのとは違う。有権者と日々接している政治家に、通り一遍の説明では納得してもらえません。

キャリア官僚の2割が休職経験あり

――本来欠かせないはずのそうした時間を捻出するどころか、あまりの長時間労働に体調を崩し、休職に追い込まれる人が相次いでいます。千正さんの実感値としては、キャリア官僚の1割ぐらいは体調不良での休職経験があるそうですね。

現場を見る時間を作るどころか健康や家庭を壊すことも珍しくない状況です。自分ぐらいの世代だと、2割ぐらいは休職経験があるかもしれません。

かつては入省して数年の若手が職場に適応できず休職するといったケースが大半でしたが、今は10年以上バリバリと働いてきたエース級の人材が次々と倒れています。この仕事が得意なはずの人たちが倒れるという状況は、明らかに負荷が限界を超えていることを示しています。

以前はいくらでも働くエース級の職員でも、例えば法改正など1つの大きなプロジェクトが終わったら、ほとんど残業しない時期があったり、忙しくない部署に配置してバランスを取ったりすることができていました。ところが今は、法改正チームで徹夜続きだった職員が、プロジェクトが一段落した瞬間に、新型コロナ対応に回されるようなことが起こっています。

エースが壊れたり離職したりする組織は本当に危機的です。いちばんよく働く人の代わりになれる人はいないですから。

――2019年には千正さん自身も、体調不良で休職に追い込まれました。

2019年前半に「医師の働き方改革」という難しいプロジェクトのマネジメントをしていた頃に、役人人生で初めて体調を崩してしまいました。仕事が好きでタフと思われていたので、周りは驚きましたね。その後、実は自分も倒れそうだった、同僚がこれだけ倒れたといった話が次々と寄せられるようになりました。

実際、2018年頃から、厚労省ではさまざまな部署で、自分と同じようにたくさんの職員が休職に追い込まれました。若手の離職も続いています。働き方改革を担当する部署で、若手女性が3人一度に退職したことは象徴的です。ものすごく足元が揺らいでいることに気づかされました。

現場を回れる働き方改革を

――これだけ日本中で働き方改革の必要性が指摘され、その旗を振っている厚労省で、働き方改革がまるで進まないというのは皮肉ですね。

官僚の労働時間についてはPCのログイン時間などで、誰がどのぐらい残業をしているかを把握している役所もあります。ただし、この数字は公表されません。残業代が予算の範囲内でしか支払われないためです。

実際には、霞が関では大量のサービス残業が常態化していますが、政府自らが違法なサービス残業の存在を認めることはできないので、外向けには残業代の支払い可能な時間の残業しかしていないことになっています。民間企業と違って、労働基準監督署の監督官が立ち入り調査にやってきて、未払い残業代の支給を命じることもないので、チェックもされません。


――そんな事を民間企業が行ったら、たちまち「ブラック企業」との烙印を押されます。

役所というのは、自分たちの組織、予算、業務について完全な自己決定権がないんです。この状況を変えるには、不要な作業の廃止、IT化や外注、そしていちばん負荷の大きい国会対応のあり方も変える必要があります。これらは、世論の後押しがないと実現できません。だから、多くの人に霞が関の社会的な意義と改革の必要性を伝えたかったのです。

――本書のメッセージを最も届けたいのは、どういう人ですか。

なぜこんなおかしな税金の使い方をするのだろう、なぜこうした変な政策ができるのだろうと不思議に思っている人に読んでもらいたいです。

私が心配しているのは官僚の生活というよりも、この国に絶対に必要な「政策をつくる」という機能が存続できるのかということです。国民に届くいい政策をつくるために、無駄な仕事などをなくして官僚たちの健康と家庭を守り、より現場を回れるような働き方改革が、欠かせないと思っています。