鬼子母神や昭和の面影が残る古い街並みで知られる豊島区雑司ヶ谷。都電荒川線の走る音が聞こえる長閑な住宅街の一角に、中華料理店『ターキー』は在った。

【画像】ほうれん草、自家製のメンマ、厚いチャーシュー…ノスタルジックな「東京ラーメン」をぜんぶ見る

 創業は1975(昭和50)年。今年74歳になる店主の甲立一雄さんが45年にわたり暖簾を守ってきた。この地で長年愛されていた老舗だが、今年9月に惜しまれつつ閉店してしまった。コロナ禍の中でも客足が絶えなかった人気店だったが、家庭の事情によりやむなく暖簾を畳むことにしたという。

連日、開店の1時間以上前から行列が

 閉店情報がSNSで広まった最後の1週間は「バブルの一番忙しいときと同じくらい」の来店人数が続き、連日にわたって開店の1時間以上前から20人近い行列ができた。結局、最終日は開店前から材料がなくなり、予定よりも1日早く閉店。冗談めかして「閉店は個人情報だ、ネットにアップなんて個人情報流出だよ」と常連と言い合う甲立さんだったが、それだけ地元に長年愛された人気店だった。


閉店直前には開店前から20人近い行列が続いた ©️文藝春秋

『ターキー』のラーメンは今流行りのラーメンとは違う、昔ながらの懐かしい醤油味のラーメンだ。濁りのない透明なスープに、キリリと醤油が効いた、いわゆる「東京ラーメン」と呼ばれるもの。流行りのラーメンのように強烈な個性を持ったものではなかったが、ふと思い出して食べたくなるような、どこかホッとする味わいのラーメンだった。

 スープの寸胴には、あふれんばかりの材料が入れられている。毎朝早くから2時間半、鶏のモミジと豚のゲンコツでスープをとり、余ればその日のうちにすべて捨ててしまう。「翌日のスープなんて臭くて飲めないよ」と甲立さんは笑うが、45年間、74歳になっても毎日続けることは決して容易ではない。

 このスープを醤油ベースのタレにあわせて、特注の麺を泳がせる。ほうれん草、自家製のメンマ、厚く切られたチャーシューを乗せれば、見事な「ノスタルジックラーメン」の完成だ。ちなみに、このスープで2種類のルーを伸ばした「カレーライス」も、店の隠れた人気メニューだ。

 昼時になれば、近所の工事現場で働く作業員から学生までが新聞やマンガを片手にラーメンをすすり、夜にはサラリーマンや家族連れが訪れる。自家製のラー油をつけて味わうギョウザも、注文が入ってからひとつずつ包む手間のかかったもので、ビールと一緒に幸せそうに頬張り、一日の疲れを癒やす常連も多かった。

 甲立さんは学生時代、図書館までの道のりにあったラーメン店をめぐるうち、この世界を志した。開業前には当時のラーメン店を夫婦で何軒も回り、カウンターの高さや色味を比べて『ターキー』の内装に生かした。

「いまでこそ地下鉄ができて都会っぽくなったけど、それでもお客さんはこんな住宅地の中まで、わざわざうちの店をめがけて来るんだもの。何より『旨い』ってお客さんに言ってもらえるのが一番嬉しいことだよ」

複雑高度化する近年のラーメン業界

 ラーメン業界は日々、新しいうねりが起きている。

 化学調味料を使わないのは当たり前。フレンチやイタリアンのレストランでしか使わなかったような、銘柄鶏やブランド豚、あるいは割烹が使う高級な昆布や魚節などを惜しげもなく大量に使う。

 さらには、中国料理の「上湯」やフレンチの「フォン」「ブイヨン」などの手法も取り入れて、スープを作る工程も複雑になっている。麺の小麦ひとつとっても、オリジナルの配合でブレンドしてそのスープに合った麺を作る。昔ながらのラーメンと較べると、今のラーメンは料理としてのレベルが格段に上がっているのだ。

歴史が浅いからこそ国民食になった

 こうした進化のスピードの速さは、ラーメンの「出自」とも大きく関わっている。

 ファミリーレストランなどまだ無かった戦後から高度成長期の我が国で、庶民が日常遣い出来る外食と言えば、うどんか蕎麦、そして中華かラーメンしかなかった。

 江戸時代にはほぼ今の形が確立されたとされるうどんや蕎麦と比べると、ラーメンはまだ100年ほどと歴史が浅い料理だ。それゆえ、型にはまることがなく作り手の思ったままに作ることが出来る「自由」があった。ラーメンが国民食と呼ばれるほどの人気を博した背景には、その自由から生まれた「多様性」があることは間違いない。

 型が無かったからこそ、ラーメンは戦後最も劇的に進化を遂げた料理になり、ラーメンブームの到来によって、その進化のスピードは著しく加速した。まるでファッションのように毎年新しいトレンドが生まれ、作り手も食べ手もそのトレンドを追いかける。数年前に流行ったラーメンはもう古いのだ。

「ラーメン大国ニッポン」に漂う“寂しさと不安”

 しかし「古い」は悪い意味とは限らない。たとえば、『ターキー』のラーメンには、世の中の潮流などに振り回されることなく、ただひたすら毎日同じものを作り続けてたどり着いた「説得力」があった。伝統ある店の存在が、ラーメンが国民食たるゆえんの「幅の広さ」を示している。

 高級食材を惜しげもなく使ったり、今までにない製法を用いる昨今のラーメンの風潮を否定するつもりはまったくない。ただ、跡継ぎがなく廃業したり、店舗の老朽化によって継続が困難になる店が年々増えていることに、私は一抹の寂しさと不安を覚えずにはいられない。

 かつて飲食店に限らず、仕事のほとんどは「家業」だった。しかし、戦後になって価値観は変わり、薄利多売できつい労働を強いられることから、「家業としてのラーメン店」は減っていった。一方で、ラーメンをビジネスとして捉えて、より効率的により収益性の高いラーメンを作る「企業としてのラーメン店」が生まれた。

 結果、どこにでもあるような食材を使って長年の経験と技術によって美味しく仕上げた、職人の仕事を感じられるラーメンが日に日に少なくなっているのは寂しい限りだ。

「お祖父ちゃんの店を守りたかった」で100年続く銀座の名店

 もちろん、『萬福』『春木屋』『大勝軒』……。幸いにして後継ぎに恵まれ、半世紀以上にわたり愛されているラーメン店が東京にはある。

 たとえば、1926(大正末)年に屋台として創業、三代にわたりおよそ100年近く暖簾を掲げる東京屈指の老舗『萬福』。銀座の片隅で厨房に立つのは三代目店主の久保英恭(ひでひさ)さん。創業者である笠原福次郎さんの孫である久保さんは、幼少期より店を手伝いながら、中華料理店などでの修業を経て、25歳の時にこの店を受け継いだが、それは自然なことだったと語る。

「商家の子供は店を手伝うのが当たり前って時代でしたから。自分は最初船乗りになりたいという夢があったのですが、やはりお祖父ちゃんの店を守りたいという思いがあって、25歳の時に店を継ぎました。料理をすることも好きでしたし、高校時代からお店の仕込みから何から実質的には僕の仕事でしたから、自然な流れで継ぐことになりました」

「失われた」伝説の浅草ラーメン“奇跡の再生”

 また、一度失われた味を再生する挑戦が奇跡的に実を結んだ例もある。

 1910(明治43)年、浅草に創業した『來々軒』は、醤油ラーメンの元祖であり、日本のラーメン店の原点とも言われる歴史的名店である。しかしながら、後継ぎがいないことから1976(昭和51)年に廃業した。今から100年以上前にラーメンブームを興した味は、二度と味わうことは出来ずにいた。

 そんな中、長年調査や研究を重ねてきた『新横浜ラーメン博物館』が、創業者の末裔や同じ醤油ラーメンの人気店『支那そばや』の協力も得ながら、創業当時の味を復元することに成功した。3年間という期間限定ではあるが、伝説の味をまた楽しめる様になったのは、ラーメンという食文化にとって朗報だ。

 復活した『淺草 來々軒』の店長で、調理を担当した『支那そばや』の松野下丈児さんは「当時の食べた人の気持ちを想像しながら作り、色々な年代の人がまた食べたくなる様な味にしようと思いました」と語る。

「ノスタルジックラーメン」の行方

『萬福』の久保さんは「家業」として店を継いだが、親や祖父から継いでくれとは言われなかったという。しかし久保さんは自分の意思で店を継いだ。萬福百年の歴史が途切れることはなかったが、これは稀有な例と言えるだろう。

 また、『淺草 來々軒』の復活も、日本のラーメンの原点の味を再現するという壮大なロマン。食事情も全く異なる110年も前の味を、現代に再現することは限りなく不可能に近い。

 新横浜ラーメン博物館で長年『來々軒』を調査して来た中野正博さんは「30年間の取材や調査の中で、どんな製法だったかとかどんな麺だったかなどは特定出来たのですが、『誰も食べたことのないラーメンを再現』するというのは、実に困難な作業でした」と挑戦を振り返った。

 開業して半世紀も経てば、人も店も年老いていく。しかし一度暖簾をたためば、その味を食べ続けてきた人たちの哀しみはもちろんのこと、食文化としてラーメンを捉えた場合にも大いなる損失だ。

 今までにない新しい味を生み出すことは確かに難しいが、長年愛されてきた味を守り続けることはもっと難しい。味のみならず製法においても、受け継がれて繰り返されていくことでさらに磨き上げられ、ラーメンという食文化に厚みと深みが加わる。ラーメンならではのその多様性の中に「前衛」や「革新」だけではなく、「継承」や「伝統」も共に在って欲しい。

 パリの街角では100年以上も愛され続けているレストランが今も人気を集めている。京都にも数百年の歴史を刻む老舗料亭がある。

 ラーメンという世界に誇るべき日本の料理が、フレンチや和食と肩を並べるためには、トレンドを追いかけるラーメンや、ファストフード化したマスプロ的なラーメンだけではなく、代々受け継がれていく老舗の作るラーメンが不可欠だ。だから私は職人が作る昔ながらの「ノスタルジックラーメン」をこれからも追いかけていきたいと思う。

(山路 力也)