「親がおかしい」そう思ったとき、どうやって過ごしていけばいいでしょうか(写真:筆者提供)

最初に取材応募メッセージを見たときは、正直に言うと、少々ひいてしまいました。子どもの前で平気でアダルトビデオを見る親──。どうかしています。そんな親のもとで育ったこの男性は、どれほど大変だったことか。

佐倉周太さん(仮名、30代)とオンラインで顔を合わせたのは、梅雨がまだ続く、7月の静かな朝でした。ずっと誰かに話したいと思っていたのでしょう、よどむことなく、幼少期からの体験を語ってくれたのでした。

息子の口に、無理矢理ご飯を押し込む母親

家族構成は父、母、周太さんと妹という、一見、いわゆる「ふつうの家族」でした。父親は小さな工場を経営し、家は持ち家です。けれど家計は厳しく、一家は切り詰めた生活をしていました。専業主婦だった母親は新興宗教にのめり込み、家事をしなかったため、宗教嫌いの父親と、喧嘩ばかりしていたといいます。


この連載の一覧はこちら

周太さんは小さい頃、病気がちでやせており、発育が遅めでした。そのためか、母親はいつも周太さんのことをけなし、否定し続けていたそう。しかもその子育ては、一般にはちょっと理解しがたいやり方でした。

「僕はすごく小食だったというんですが、3、4歳なんて子ども用の茶碗1杯食べるのがやっとじゃないですか。なのにうちの母は、大人の茶碗に、ご飯を大盛りによそうんです。それをいつも食べ残すからガミガミ怒られる。幼稚園の先生が、お弁当はそんなに詰め込まなくていいと言ってくれたこともあるんですが、なかなか直せませんでした」

母親は思い込みが強く、たびたび息子を困惑させていたようです。

「ある日、僕がお母さんに着替えさせてもらっているとき、お母さんのお腹の虫が鳴ったんですよ。グルグルグルって。そうしたら『あんた、お腹が空いてるんだ』と言って、ご飯を無理やり僕の口に押し込めたこともあります。そういうのもあって小さい頃は、ものを食べることに興味がもてなかったんですよね」

これでは小食になるのも無理もありません。食事は幼い周太さんにとって、苦痛ばかりのものでした。

さらに母親には、同じことを何度も聞いてくる癖もあったといいます。

「幼稚園の頃、お友達と少し離れた公園に遊びに行ったんです。心配したんでしょうけれど、僕が帰ってくると『あんた勝手に公園に行ったりして、車にひかれなかった?』『車にひかれなかった?』って20回ぐらい聞いてくる。もしひかれてたら今ここにいないじゃん、と思うんだけど(苦笑)。僕が大きくなってからも、『家の鍵、閉めてきた?』って何度も何度も聞いたりしていましたね」

もしかすると何か精神的な、または発達上の特性があったのでしょうか。でも、母親自身は自分のことをおかしいとは思っていないので、病院にかかることはありませんでした。

周太さんの記憶の中の母親は、いつも妹のことばかり褒めていました。勉強も運動もでき、発育が早かった妹を褒めそやしては、周太さんのことをおとしめるのです。

「僕の目の前で『〇ちゃん(妹の名)は成長が早いねえ』って何度も言うんです。成長が早い子こそ優秀であり、成長が遅い子は劣等生だ、というレッテルを貼る。僕も子どもだったから『ねえ、しゅうちゃんも早かったでしょ』と言うんだけど『あんたは遅いよ』のひと言。ずっと『(〇ちゃんに比べ)あんたはダメだ、あんたはダメだ』と言われてきました」

当時の周太さんは、自分に自信をもてず、学校の成績も悪かったといいます。学校では周りの子どもにいじめられ、中学の頃は、蹴られたりトイレに閉じ込められたりしたことも。家にも、学校にも、周太さんの居場所はなかったのでした。

大人4人でビデオを見る場面に直面して…

父親にも問題がありました。冒頭にも書いたように、子どもの目の前で、アダルトビデオを見たりするのです。

「僕が幼稚園の頃からです。ビデオの内容はよくわからないんだけど、いやらしいものだってことはわかるんですね。テレビでそういう場面が映ったときも、チャンネルをまわす家庭が多いと思いますけど、父は絶対にそれを見たがる。母が『そんなの見てなくていいから』と言うと、『いいじゃないか、いやだったら見なきゃいいんだ』という。そういう会話の間に立たされる子どもって、ちょっと気まずいというのを通り越しちゃうんです」

最近は、アダルトビデオを無理に見せることはDVや性虐待の一種であることが知られています。周太さんの父親は、無理に見せていたわけではありませんが、子どもの目に入るところで見てしまうわけですから、性虐待に近いでしょう。

小学生の頃、父親の友達一家が遊びに来たときの話も衝撃でした。周太さんはその家の子どもと自室で遊んでいたのですが、このとき大人たちは、みんなでアダルトビデオを見ていたというのです。

「(父の)お友達とお友達の奥さん、そしてうちのお父さんとお母さんとで、(アダルトビデオを)見ちゃうんですよ。それで僕が何か用事で居間に行くと、4人でそういういやらしいものを見ている光景があって、恥じらいもなく『なんだい? 何か用かい?』ってこっちの顔を見たりするわけです。

そういうビデオって、18歳未満は見てはいけないことになっていますよね。子どもによくないから決まりがあるわけで、そこは親として最低限守るところだと思うんです。なのに、平気で見ていられるというのは、あまりよくはない」

それはもう、「あまりよくはない」どころではないのでは。周太さんはこの父親のせいで、「性に関する感覚を少し狂わされた感じ」がするものの、その後実際に異性と交際するなかで、狂いは修正されていったと振り返ります。

父親には、子どもっぽいところもありました。周太さんがテレビで戦隊モノの再放送を見ているとよく、「あんなもの飛ぶわけがない」「こんなことありえない」など、就学前後の子どもがするような指摘をし続けるのです。もしそこで周太さんが文句を言おうものなら、たちまち「平手打ちやグー」で殴られるのでした。

「親がおかしい」と信じ続けられた理由

周太さんのような状況で育った子どもは、親の言うように「自分はダメなんだ」と思い込まされがちです。けれど周太さんはかろうじて、「自分ではなく、親がおかしいんだ」という感覚を信じることができました。

どうして、それができたのか。理由の1つは、「お友達の家に遊びに行って観察すると、やっぱり『うちってふつうじゃないな』ってわかった」ことでした。比較対象を得られたおかげで、自分の置かれた状況の異様さに気づくことができたのでしょう。

もう1つ、父方の祖父母のおかげもあったかもしれません。親戚も父や母と似たタイプの人が多かったのですが、唯一父方の祖父母だけは比較的話が通じ、周太さんを肯定してくれました。父親がその場にいないときだけですが、『周ちゃんは、できる子なんだよ』と言ってくれたのです。

さらに中学1年生のときに出会ったビートルズの音楽も、周太さんに影響を与えたようです。英語の授業で『Yesterday』を聞き、「雷が落ちたみたいに好きに」なった周太さんは、以降、ビートルズの音楽や思想にのめり込んでいきました。

「『Yesterday』のことを父親に話したら、ビートルズの白黒映画(『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』)のビデオを見せてもらったんですよ。好きな洋服を着て、好きな髪形をして、自由にしたいことをしようっていう内容で、すごく感銘を受けました。それから洋楽を聞くようになったんですけれど、ロックミュージックって『自分を信じる』ということをテーマにした曲がすごく多いんですね。そういったものにも影響されてきました」

なおこのとき周太さんは、ビートルズを媒介に、父親と初めて「いい関係」になれるのではと期待しましたが、残念ながら、そうはいきませんでした。父親が「(メンバーの)ジョン・レノンは42歳で死んじゃった」と言った際、すでにビートルズを知り尽くしていた周太さんが「40歳だよ」と訂正したところ、父親は激昂して周太さんを殴りつけ、以来ビートルズの話は一切しなくなったということです。

周太さんはその後、高校、専門学校を卒業。就職氷河期のただ中、フリーターとして働き出しますが、まもなく仕事の腕を認められ、正社員に採用されます。生活が安定したので、ようやく実家を離れて1人暮らしを始めところ、一時期は母親が金の無心に訪れるようになりましたが、いまではもう実家と縁を切り、両親や妹とは長く会っていないそう。自分で立ち上げた仕事も順調だといいます。

弟のようにかわいがってくれる「大家さん」との出会い

「いまは『大家さん』と一緒に暮らしています。彼はもともと、僕が大好きなドキュメンタリーに出ていた人で、僕が会いに行って弟子入りしたところ、『お前は結婚する前に、他人との共同生活を経験したほうがいい、ここに住みな』と言ってくれて。この10年近く、彼が持っているビルの管理人室に、部屋を与えてもらっているんです。

彼は本業のことより、人とのコミュニケーションの取り方とか、社会の渡り方やモラルなどを教えてくれました。例えば、年上の人にはこういう態度を取るといいとか、人の悪口を言うものじゃないとか。僕が育った家は、とにかく他人の悪口ばっかりだったんだけど、親くらい年が離れた、僕が尊敬する彼がそうやって教えてくれると、『やっぱりそうなんだな』って、どんどん再発見していく。僕を育て直してくれている人です」

なお、この「大家さん」も周太さんもヘテロセクシュアル(異性愛者)で、恋愛関係ではないそう。彼も苦労をしてきた人物で、必死に生きる周太さんに、かつての自分を重ねたのでしょうか。弟のようにかわいがってくれたということです。

「『大家さん』と出会って、自分も人から大切にされるという経験をして、すごく変わってきたんですね。例えば『周太はルックスもいいんだから、こういうおしゃれをしたらもっとモテるよ』とか、『きみは頭がよさそうだから、こういうことをしたら成功するよ』とか、自分を肯定するような言葉を言ってくれる。それで、僕も少しずつ表情が明るくなっていった実感があります。15年前、実家にいた頃の自分の写真を見ると、いまの自分よりも老けてますもん」

世間には、かつての周太さんのように親から否定され続け、自信を持てずにいる人が大勢います。周太さんはそんな人たちに対し「自分の感覚を信じてほしい」と話します。

「『あんたが悪い、あんたが悪い』って親から植え付けられると、『もしかしたら自分が悪いのかな』って考えちゃうと思うんだけど、そこで感じた違和感を信じてほしいです。自分の味方は絶対どこかにいるから、その自分の味方が見つかるまで、いろんな場面に自分からどんどん出向いていってほしい。自分の感覚を理解してくれる人を探しに行く旅を、決して止めないでほしいです」

周太さんは筆者のもとに、「話を聞いてほしい」と何度も連絡をくれました。なぜそこまで、と最初は戸惑いましたが、いまは納得がいきます。そうやってたくさんのドアを、諦めずに叩き続けてきたから、たどり着くことができたのかもしれません。

当連載では、さまざまな環境で育った子どもの立場の方の話をお聞きしています(これまでの例)。詳細は個別に取材させていただきますので、こちらのフォームよりご連絡ください。