【藤津亮太の「新・主人公の条件」】第20回 「魔女見習いをさがして」長瀬ソラ、吉月ミレ、川谷レイカ

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「魔女見習いをさがして」は「大好きなフィクションを持つ」ということが人生においてどんな意味を持つかを描いた作品だ。
 この映画の主人公は3人いる。
 教員志望の大学生ソラ、帰国子女の会社員ミレ、フリーターのレイカ。3人は年齢も住んでいる場所も違うが、偶然にも鎌倉にある「MAHO堂のモデルとなったといわれる一軒家」で出会う。それぞれに悩みを抱えた3人は、それぞれ“「どれみ」の聖地”を訪ねたくなるような心境だったのだ。そして3人とも「どれみ」を見たことがあるとわかると、一気に意気投合する。3人は「どれみ」ゆかりの土地に旅行にでかけ、そして交流を深め、時にはぶつかり合い、その過程で少しずつ自分の問題と向き合っていく。
 3人の共通の話題が「どれみ」だから、作中には「どれみ」への言及がしばしば出てくる。例えば高山に旅行をするのは映画「も〜っと!おジャ魔女どれみ カエル石のひみつ」の舞台が高山だからだし、京都・奈良への旅行も、どれみたちが修学旅行で訪れた場所をめぐるものだ。また自分の心情も、キャラクターの台詞を使って語られることもある。
 こういう「どれみ」への言及は、基本的に「この人たちには、そうやって語り合える大切な作品がある」ということを伝えるための描写だ。だからそこは細部までわからなくても十分楽しめる。もちろん「どれみ」を知っているファンであれば、ニヤリとできるのはいうまでもない。
 3人を出会わせた「どれみ」は確かに、この作品にとって大きな存在だが、それだけでは「人生におけるフィクションの意味」とまではならない。本作で「どれみ」という存在が意味を持つのは、それは3人が、「魔法なんてない」ということを知っている大人の世界に生きているからだ。
 魔法なんてないこの世界で、乗り越えられそうにない問題が目の前に立ちはだかったらどうすればいいのか。その時はまず体をかわす必要がある。かわして、しのいでいる間に自分の中に元気をためていくのだ。そして元気が十分たまったら、意を決してその“問題”という名前の山を一歩一歩登っていくのだ。
 この時、「あなたの好きだったフィクション」はいつも側にいてくれる。「力をくれる」というほど具体的ではない。「問題解決のヒントをくれる」というほど直接的でもない。でも「大好きだったフィクション」は、あなたがそのフィクションを好きだった気持ちをいつも呼び起こしてくれる。それはとても生き生きしていて、問題を目の当たりにしたあなたにはとても必要なものなのだ。そうして「大好きだったフィクション」は避難所であり、つきそいとして、いつもあなたの側に静かに居続けてくれる。
 問題を解決するのは自分だけれど、「大好きなフィクション」が側にあると思うだけで、ずいぶんと心が楽になる。魔法はこの世の中にはないけれど、「大好きだったフィクション」とあなたの間には“魔法”が存在するのだ。ソラもミレもレイカもそんな関係を「どれみ」と築いているのだ。
 もちろん「大好きなフィクション」は、人によっては「ガンダム」だったり、「プリキュア」だったり、「トトロ」だったりするだろう。でもそこに“あなたとのだけの魔法”があるのは間違いない。
 そんな私たちとフィクションの関係を、鏡のように写し取って映画の中にいるのがソラとミレとレイカなのである。それを通じて観客は自分とフィクションの関係を発見したり、思い出したりするのである。だから3人はこの作品の主役なのだ。