2013−14シーズンにバルセロナを率いたヘラルド・マルティーノ監督は、「タタ」と呼ばれていた。しかし、現地では今でも、その愛称には揶揄のニュアンスが含まれる。気鋭のアルゼンチン人戦術家として期待されたが、チャンピオンズリーグはベスト8で姿を消し、スペイン国王杯は決勝で宿敵レアル・マドリードに敗れる屈辱を晒し、リーガ・エスパニョーラも連覇を逃した。

「リオネル・メッシのご機嫌取りもできない」

 そう茶化されるほど、低調だった。プレー内容も、フランク・ライカールト、ジョゼップ・グアルディオラ、ティト・ビラノバが作ってきたものと比べ、大きく後退した。

 マルティーノは、強烈な批判を受けることになった。その結果、たった1シーズンで自らクラブを去っている。世界有数のビッグクラブを率いる監督として、厳しい評価が下されたのだ。

 ところが、日本戦でメキシコ代表を率いたマルティーノの手腕は際立っていた。少なくとも、このレベルでは名将だ。


年内最後の試合でメキシコに0−2と敗れた日本代表の森保一監督

「(2019年1月にメキシコ代表監督に就任以来)日本戦の前半は、最低の出来だった」

 マルティーノ監督は、事実を率直に認めている。

「最初の20〜25分は、我々は日本に凌駕されていた。プレーにインテンシティが足りなかったし、ボールへのアプローチがことごとく遅かった。最後の15分で、ようやく互角の戦いに持ち込んだが、それでも我々が上回っていたわけではない」

 メキシコは、トップから中盤に落ちる鎌田大地を捕まえられずに苦しんでいた。そこで起点を作られ、ボールを回される。必死にプレスに行くと、裏を狙われ、ラインを突破された。

 前半14分、鎌田が遠藤航に戻したところに、メキシコ陣営はプレスをかける。すると、その裏に入った柴崎岳にパスを通され、完全にフリーにしてしまう。前を向いた柴崎に絶妙な縦パスを通され、原口元気に持ち込まれ、鈴木武蔵へラストパスが通った。この決定機を、GKギジェルモ・オチョアが防いでいなかったら、展開は違ったものになっていたかもしれない。

 マルティーノ監督はメキシコ伝統の4−3−3を用い、アンカーに特色のある戦いで攻撃的に試合を進めようとしていた。ただし、アンカーのルイス・ロモがバックラインに入って攻守を動かす戦い方は予測できるものだった。鎌田にしてやられる形で、中盤の攻防でも勝ち切れていない。日本の帰陣の早さに後手を踏み、攻めながらも決定機を作り出せなかった。攻撃も、崩しの切り札であるイルビング・ロサーノが左サイドから侵入を狙うが、酒井宏樹に完封されていた。

 そこでマルティーノ監督は、後半になってシステムも人も変える。4−2−3−1とし、ロモを交代出場のエドソン・アルバレスとダブルボランチを組ませる。また、左FWだったロサーノを右へ。相手の持ち味を消しながら、自分たちの強みを出しにいった。

「悪かった前半で、手を打たない監督を私は理解できない。中盤の三角形を捨て、ダブルボランチにし、(メキシコ人選手の)フィジカル面の優位を使った。練習でも試したことがない布陣だったが、選手たちは所属チームでの経験を活かし、戦ってくれた」

 マルティーノ監督がそう打ち明けているように、指揮官の決断だけでなく、選手たちの適応力も大きかったか。

 メキシコはトップが中盤と連係し、数的優位を作り出すと、まず中盤の攻防で優勢を取り戻した。すると、サイドも劣勢を挽回。とりわけ右に回ったロサーノは、本職とは言えない日本の左サイドバック、中山雄太にじわじわとダメージを与えている。

 押し込まれる展開に、日本のベンチも橋本拳人、南野拓実を投入し、巻き返すための手を打った。しかし、流れはどうにもならない。濃霧の中、日本は攻守で劣勢に立たされた。

◆「メキシコ戦の敗因は得点力不足ではない」>>

 メキシコは中盤のラインを軽々と越え、サイドでは1対1で小さな勝利を積み重ねた。後半18分の先制点は、その結実だろう。敵ペナルティエリアに入って、ボールがもつれかけたところ、ラウル・ヒメネスが左から強引に持ち込み、GKを前に右足つま先で浮かす技巧的一発でネットを揺らした。ウルバーハンプトン所属のヒメネスは、昨シーズン、プレミアリーグで17得点(得点ランク8位)を記録した有数のストライカーで、決定力の差も見せつけている。

 後半22分にも自陣でボールを奪い取ると、すかさず前線のエンリ・マルティンへ。マルティンはこれを裏に流し込み、走り込んだロサーノがGKシュミット・ダニエルとの1対1を制し、ダメ押し点。これで勝負は決した。

 個人の差を生かす、マルティーノ監督の手腕が際立った。

サッカーは90分のスポーツである。相手を研究し、自分たちのスタイルを行使し、先手を取れたとしても、試合の流れの中、その関係は常に変化する。生き物のようなものだ。それは日本の森保一監督へのレッスンだった。

 バルサの監督としては成功を収めることができなかったマルティーノだが、監督としての価値を高らかに示した。