浮気してないってば!武田信玄が美少年に宛てたラブレターが必死すぎて可愛い♡

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『天文15年(1546年)推定武田晴信誓詞(東京大学史料編纂所所蔵文書)』という文書をご存知でしょうか。武田晴信とはごぞんじ武田信玄の事です。

実はその文書、若かりし頃の信玄から「春日源助」という少年に宛てて送られたラブレターなのです。

「春日源助」とは

実は「春日源助」という人物は信玄の身の回りでは厳密にいうと同姓同名の人物は見つかっていません。

しかし、重臣の一人である高坂昌信の通称が「春日源五郎」で似ている事から、おそらく高坂なのではないかと言われています(諸説あり)。

武田信玄(月岡芳年画、一部分)Wikipediaより

彼は百姓の子であったにもかかわらず、信玄が22歳の時、16歳で見そめられて近習に取り立てられました。それほどの美貌だったのです。

記録によると源五郎は信玄のかなりのお気に入りだったらしく、頻繁に「奥へ召し寄せられ」ていたのだとか。

奥に召し寄せられていた、という事はつまり深〜い関係だったっていうことですよね!

気になる内容は

手紙の内容は箇条書きになっています。一部分を現代語訳すると、

「弥七郎を夜伽(よとぎ)に寝させたことはありません。これ以前にもないし、たとえ昼であっても弥七郎とはそんなことはありません。ましてや今夜など思いもよらない事です。」

・・・どうやら信玄は、弥七郎という他の少年と浮気しているのではないかと源助に疑われてしまい、必死に否定しまくっているのです。

信玄によると、「特別に源助と親しくなりたいと思う」あまり、源助に接近するために怪しい行動をしてしまい、かえって弥七郎と親しいのではないかと誤解されてしまったのだとか。

戦の計略では天才的な才能を発揮できる信玄でも、恋愛となると話は別だっだったんですね。嫉妬する源助と、必死すぎる信玄の姿が浮かんで、可愛く思えてしまうのは私だけでしょうか・・・?

参考文献:江戸・戦国のくずし字 古文書入門 (扶桑社新書)菅野俊輔