ちょっとここまで凄いとは思っていなかった。
静かな興奮とともに映画館を出ると手足が震えていることと、歯の根がかみ合わなくてガチガチ音を立てていることに気付く。
現在、全国ロードショー公開中の『朝が来る』は想像を絶するほどの快作だった。

映画『朝が来る』公式サイト
http://asagakuru-movie.jp/

不妊治療を経て、一度は子どものいない人生を決意したものの、特別養子縁組により男の子を迎え入れる夫婦の前に、生みの親である少女が現れる、というあらすじだけで「これはマストチェックのやつだわ」と映画の鑑賞記録アプリにマークしたのが数ヵ月前。

監督の河直美氏は、是枝裕和氏、黒沢清氏、北野武氏と並んで海外での知名度と評価の高い映画監督陣、通称「4K」の1人。海外映画祭の常連でもある日本映画界のトップランナーが、このテーマにどう切り込むのか公開を心待ちにしていたが、気がかりなことがひとつ。上映時間が138分となかなか長い……。

尾籠な話で恐縮だが、妊娠してからこっち、トイレが非常に近く、普段から2時間以上ある映画を鑑賞するのは毎度怯みそうになる。10月公開作品でまだ見てないものをこなしてから行こうかなとも考えたが、公開直前に「これはすぐに見に行かねば」と優先順位が繰り上がった。

産んだ子どもを養子に出す14歳の少女を演じるのが、先日レビューを執筆した『星の子』で主人公の姉を好演していた蒔田彩珠さんということを知ったからだ。新興宗教に心酔する両親との確執や妹に対する包容力を見せていた彼女が、間髪入れず複雑で難しい役どころに挑戦ということで、公開初日に鑑賞する運びとなった。


物語の序盤は、佐都子(永作博美)と清和(井浦新)夫婦の栗原家にフォーカスがあたる。
6歳になる息子、朝斗と暮らす彼らはベイエリアのタワーマンションに暮らし、ひとつの「幸せな家族」のカタチを体現しているとも言えるだろう。

社内恋愛・結婚した2人が、お互い子どもは欲しいかと確かめ合うシーンはキラキラと眩しく、希望に満ちている。
しかし、自然に子どもを授かることに何の疑いも持っていなかったであろう2人が、夫の無精子症をクリニックで告げられるシーンは、あまりにも残酷で、地面に叩きつけられるようなインパクトがあった。

お金も時間もかけて不妊治療に取り組む様や、思うような結果に結びつかず、清和が飲みの席でヤケを起こしてしまったり、断腸の想いで治療をやめる決意をくだしながらも、特別養子縁組を仲介する民間事業者の「ベビーバトン」にたどり着くまで、夫婦が朝斗を迎えるまでの過程が一つひとつ、とにかく丁寧に描かれている。

その描写の細かさ加減に、「これ138分で終わるのかな……」と最初懸念していた時間が逆に足りなくなるのではと心配になる瞬間もあった。しかし、すべてのプロセスをじっくりと追うことで、夫婦の葛藤や感情の揺れ、焦りや苛立ちがひしひしとこちらにも伝わってくる。

周囲の席からはかなり早い段階からすすり泣きが聞こえていたので、「みんな結構ペースが速いな……」と最初は構えていたが、私もいつの間にやら感情のメーターがいっぱいになっていたようだ。「ベビーバトン」から赤ちゃんが生まれた知らせを受け、待望の対面を果たすシーンでは、マスクを着用した口元の下にハンカチを当てていたにも関わらず、自分でも聞いたことのないボリュームの嗚咽を劇場内に響かせてしまった……。

永作さんも井浦さんも昔から知っている役者さんだし、美男美女であることは今も昔も変わらないのだが、外見の美しさを越えた内面の豊潤さや、年を重ねたことによる深みがあふれ出すような、とにかく素晴らしい表情で、私は今とてつもない名作を見ているのかもしれない、と必死で涙を拭っていた。

一方、朝斗の生みの母親であるひかりのストーリーもまた丁寧に寄り添うように進んでいく。
地方都市に生まれ育ち、地元の進学校を目指す彼女は、本当にごく普通の中学生だ。同級生の男子に告白され交際が始まり、お互いを運命の人と信じて結ばれるものの……と、これまで数々のドラマや映画で見たことのある顛末だとも思う。

しかし、望まぬ妊娠だったにしても、「ベビーバトン」と巡り合い、お腹の赤ちゃんと向き合いながら、同じような境遇の少女たちと出産を待つひかりの目に映る風景を共有しているうちに、これはどこか遠くで起きているおとぎ話ではなく、いつ自分の身に降りかかるかも分からない、誰にも起こり得る現実なのだと気づかされるのだった。

ここ数年、子ども世代にどう性教育を伝えるかに非常に関心を抱いている。
娘に性に関する自己決定権を持ってほしい、そのためには十分な知識や教育を得てほしいとも思う。

しかし、14歳で妊娠したひかりはただ、知識や教育が不十分だっただけなのだろうか。
本当は愛されて、慈しまれていたはずの彼女は、決して可哀想だったわけでも不幸だったわけでもない。そして彼女の両親や親類も、世間体や外聞を気にする保守的な人たちとして描かれているけれど、絶対的な悪者ではないのだ。

自分の心身や健康を傷つけないために必要不可欠なものだけど、知識も教育も決して万能ではない。大切なことはきちんと教えているから、うちの子だけは大丈夫なんて慢心していたらきっと足元をすくわれるんだろうなと、来るべき思春期や反抗期のことをずっと考えている。

これ以上何を言ってもネタバレになってしまうので、明言は避けるが、これまで散々見てきた「血の繋がらない親子」をテーマにした作品のどれとも異なっていて、鑑賞後は茫然としてしまった。河監督はこれまでの作品でも、一般人を巧みに組み込んだ演出を得意としていたが、本作も要所要所でドキュメンタリーを見ているような感覚に陥る。

一方で、こんな端役にあの名優が!なんて贅沢なキャスティングもあったり、光に焦点をあてた映像やロケーションも見事で、リッチなフルコースをいただいたような気分も味わえる。そして何より、赤ちゃんとの対面シーンを思い出しては今でもジワっと涙が湧いて出てきてしまう。ちょっと忘れられない1本になってしまった。

真貝 友香(しんがい ゆか)
ソフトウェア開発職、携帯向け音楽配信事業にて社内SEを経験した後、マーケティング業務に従事。高校生からOLまで女性をターゲットにしたリサーチをメインに調査・分析業務を行う。現在は夫・2012年12月生まれの娘と都内在住。