ケネディ大統領が暗殺日当時に乗った「リンカーン」は約4000万円で落札!

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暗殺日当日にケネディが乗っていたリンカーンは、いくら?

 現在、クラシックカー/コレクターズカーを取り扱っているオークションハウスは、その多くがもともとアート作品やアンティーク、あるいはセレブレティや歴史上の偉人たちが使用したメモラビリア(記念の品)などの競売を主なビジネスとしてきた会社が多く、その実情は現在でも変わらない。

 2020年10月14日、ボナムズ北米本社がニューヨークで開催したオークション「The American Presidential Experience/The Collection of Jim Warlick, and Other Properties.」では、歴代のアメリカ合衆国大統領にまつわるメモラビリア、たとえば公文書および私信などのドキュメントやウェア類、果ては「オーバルルーム(大統領執務室)」を完全再現した原寸大レプリカなど、数多くの歴史的アイテムが集められた、極めてユニークなオークションとなった。

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 そんななかでも、今回VAGUEが注目した出品アイテムは、やはり自動車。

 アメリカ合衆国史上、もっとも人気のある大統領のひとりともいわれる一方、悲劇的な最期で世界に衝撃を与えた「J.F.K.」ことジョン・フィッツジェラルド・ケネディが大統領在任中に搭乗したヒストリーを持つ2台のリンカーン・コンチネンタルであった。

 この2台のクルマが、ちょうど大統領選の真っただなかにあるアメリカでいかなる評価を受けたのか、オークションの「レビュー」をお伝えしよう。

●1963 リンカーン「リモ・ワン」

1963年11月22日の朝、ケネディ大統領とジャクリーン夫人が、カーズウェル空軍基地に向かった際に搭乗したリンカーン・コンチネンタル・コンバーチブル

 自動車以外のアイテムも数多く出品された「The American Presidential Experience.」オークションにあって、プレビュー段階から最高の目玉として取り上げられていたのが、あの運命の「1963年11月22日」当日の朝にケネディ元大統領とジャクリーン夫人を乗せた、純白のリンカーン「コンチネンタル・コンバーチブル」だった。

 この出品車両は、リムジンではなく通常の4ドア・コンバーチブルで、しかもJ.F.K.ないしは合衆国政府が所有していたクルマでもない。

 前日にあたる11月21日から、テキサス州フォートワースを拠点に遊説を予定していたケネディ大統領とファーストレディを乗せるために、テキサス州の自動車ディーラー、ビル・ゴライトリーからレンタルした個体とされる。

 大統領専用機「エアフォース・ワン」の場合と同じく、大統領を公用で乗せている間は自動的に「Limo One(リモ・ワン)」のコールサインで呼ばれることから、このコンチネンタルも間違いなく元リモ・ワンと見なされるという。

 1963年11月22日の朝、ケネディ大統領とジャクリーン夫人はフォートワースでおこなわれた朝食会に出席したのち、テキサス州のコナリー知事とともに、この白いリンカーン・コンチネンタル・コンバーチブルに搭乗し、近隣のカーズウェル空軍基地に向かった。

 しかし、ケネディ大統領がこのクルマに乗ることは2度となかった。

 空軍基地からエアフォース・ワンに乗った大統領夫妻とコナリー州知事は、現地時間の午前11時40分にダラス・ラブフィールド空港に到着。その後は、ワシントンD,C,から搬送された「あの」黒いリンカーン・コンチネンタルのオープンリムジンに乗り換えて、ダラス市街地でおこなわれるパレード走行へと出発した。

 それから1時間足らずのうちに起こった歴史に残る悲惨な出来事は、半世紀以上の時を経た現在となっても世界中の誰もが克明に知ることだろう。

 そして、一時的ながら「リモ・ワン」となったこのコンチネンタル・コンバーチブルは、かりそめの主の帰還を待つことなく、ゴライトリーのディーラーへと返却。そののち、何人かのオーナーのもとを渡り歩き、アメリカ国内の博物館に展示されていたこともあったとされる。

 近年になって、コネチカット州のリンカーン/マーキュリー・スペシャリストである「ベイカー・レストレーション」によって、エンジンの換装や外装のオールペイントなどのレストアが施されたものの、レッドレザーのインテリアは、ケネディ大統領を乗せたときと同じ状態のままで残されているとのことである。

 ちなみに、暗殺事件の際にケネディ大統領が搭乗していた黒い1961年型リンカーン・コンチネンタル・リムジンは、1977年まで歴代の大統領たちが「リモ・ワン」として継続使用し、現在ではミシガン州デトロイト近郊の「ヘンリー・フォード博物館」に恒久展示されている。したがって、今後マーケットに売りに出てくる可能性は、限りなくゼロに近い。

 それだけに、ケネディ大統領と写った写真も残っているという、この白いリンカーン・コンチネンタル・コンバーチブルは、アメリカ合衆国の近代史を物語る上でももっとも重要なメモラビリアのひとつと認識されてしかるべきなのだ。

 そんな歴史的車両がオークションに出る機会は、たとえアメリカであっても非常に限られることを考慮してであろうか、ボナムズ社は30−50万ドル、日本円に換算して約3200万円−約5300万円という強気のエスティメート(推定落札価格)を設定した。

 そして現地時刻で14日13時にスタートした競売では、エスティメートを難なくクリア。税/手数料込みで37万5075ドル、つまり約3950万円で落札されることになった。

 これは、同タイプ/同年代のリンカーン・コンチネンタル・コンバーチブルが、フルレストアされた極上車であっても概ね5万ドル前後で販売されている現況と比べると、5倍から10倍にも相当する価格。

「1963年11月22日にケネディ元大統領が乗ったリンカーン」という歴史的なファクトが、このクルマに特別な価値を与えていることの証明と思われるのだ。

ケネディが私用で使っていたリンカーンの値段は?

 ボナムズ「The American Presidential Experience」オークションには、ケネディ元大統領にゆかりのあるリンカーンが、もう1台出品されていた。

●リンカーン「コンチネンタル・マークV」

ケネディ大統領が私用で使用していたリンカーンは、防弾仕様の左右ドア、リアコンパートメント用のエアコン・コントロールも特注で設えられるなど、ほぼ「リモ・ワン」に準ずる機能は完備していた

 奇しくもJ.F.K.が大統領に選ばれたのと同じ1960年に製作され、主に「パーソナルな」用途で、ワシントンD.C.のホワイトハウス周辺において使用されたというヒストリーを持つ、漆黒のリンカーン「コンチネンタル・マークV」である。

 ただし公用車ではないパーソナルカーとはいえども、そこは大統領の乗るクルマ。ボナムズ社の公式オークションWEBカタログによると、フォード社からアメリカ合衆国政府に年間500ドルでレンタルされていたという。

 また、1948年から2001年にかけて、すべてのアメリカ合衆国大統領専用車両を手掛けていたセキュリティ車両架装のスペシャリスト「Hess & Eisenhardt」社に委ねられ、防弾仕様の左右ドア、パワーステアリング、リアコンパートメント用のエアコン・コントロールも特注で設えられるなど、ほぼ「リモ・ワン」に準ずる機能は完備していた。

 ケネディ元大統領の死後、大統領に就任したリンドン・ジョンソンは、この車両を使用することはなかった。そして1964年3月にJ.F.K.の友人ジェームズC.ウォルシュ博士を介して、メリーランド州イーストンのカークランドホール・カレッジに寄付された。

 そののち複数の個人オーナーやミュージアムの所蔵を経て、ダラスの事件から50年後となる2013年10月24日には、ボストンの「RRオークション」社が販売したとの記録が残っている。

 この1960年型リンカーン・コンチネンタル・セダンにボナムズ社が設定したエスティメート(推定落札価格)は20万ドル−30万ドル。つまり、日本円に換算すると約2100万円−約3200万円という、こちらも同じ年式の同型車、そして同じくらいのコンディションのリンカーンと比べても、10倍以上に相当する高額のプライスであった。

 ところが、14日午後(現地時刻)からおこなわれた競売では、残念ながら最低落札価格には至らなかったようで流札に終わり、現状では継続販売となっている。

 もう1台の白いリンカーン・コンチネンタル・コンバーチブルよりも、ケネディ元大統領が実際に乗車した機会は多かったであろう個体ながら、こちらは落札に至らなかったのは、複数の理由が考えられよう。

 まず、同じリンカーン・コンチネンタルであっても、有名かつ市場評価も高い1955年モデルと1961年モデル(およびその発展型)と比べて、「コンチネンタル」のつかない「プレミア」セダンとボディを共用したこの時代のモデルは、クラシックカーマーケットにおける人気が明らかに低いことも一因と思われる。

 しかし、やはり歴史的事件への何らかのかかわりがあるか否かが、オークションにおいても評価を左右することも重要な要因となるのも間違いのないところ。

 それがオークションの現実であり、また醍醐味でもあるのだろう。