TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。10月8日(木)のお客様は、音楽評論家の湯川れい子さんと、NONA REEVESの西寺郷太さん。ここでは湯川れい子さんと番組プロデューサーの秋元康さんとの知られざる関係性について触れていきます。

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(左から)西寺郷太さん、湯川れい子さん


◆湯川れいこと秋元康は因縁の仲?

湯川:今回のコロナで、私たちはいわゆる生の音楽に触れることができなくなってしまって。

西寺:ライブとかね。難しいですよね、配信もね。

湯川:オンラインって気持ちは分かるんだけど、なかなか伝わってこないじゃないですか。

西寺:分かります。

湯川:初めて、切実に“ビールと音楽は生じゃなきゃいけない!!”って思って。

西寺:良いことを言いますね(笑)。

湯川:本当に細胞レベルで感じたんですよね。でもレコーディングって、みんな録音中に魂を入れる作業じゃない? CDのなかにはバイブレーションが詰まっているというか、その作業が自宅で普通にできたということは素晴らしいことよね。

西寺:何年か先を考えたら、自宅作業のようなこともできないと、多分残っていけないんじゃないかなと。僕はどちらかというと、普通のミュージシャンに比べるとライブが少ないほうで、他のアーティストに楽曲を提供することが音楽生活の基本になっていたので、世の中のミュージシャンが受けた影響や打撃と比較すると、かなり少ないほうだと思うんですよね。小刻みにいろいろと動けるシステムを以前から作っていたので。

ところで、今日のこの番組って、番組プロデューサーの秋元康さんが湯川さんを指名したんですか?

湯川:この前、原田真二さんのラジオ番組(「原田真二 THE CHORD」)に呼んでいただいて。それも秋元さんの番組だったんですけど、本当に楽しかったの。その流れで。

西寺:写真を見ました。

湯川:そのときに“次にまた出て欲しい”って言われたのが、この番組だったんです。それで私は、郷太さんを指名させていただいたんです。

西寺:すごく嬉しいんですけど、秋元さんと湯川さんの作詞家としての関係性って……。

湯川:その話が出てきちゃうの?

西寺:因縁が(笑)。自分は作詞作曲をする人間なので、作詞家としての湯川れい子さんの「恋におちて」(小林明子)は、カラオケに行ったら必ず歌う曲だったりしますし、クリエイターとしての湯川さんをすごく尊敬しています。秋元さんも作詞家でありプロデューサーですけど、最初のお2人の出会いが……。

湯川:最初の出会いが鮮烈だったんですよ。今日、言っちゃおうかな。私は過去、秋元さんに“すごい人だ!”って、すごく敗北を喫していて。何年前になるんだろう? 40年くらい前になるのかな。

稲垣潤一さんがデビューするときに、ジェファーソン・スターシップのマーティ・バリンという人がソロで大ヒットを出していて。彼のアルバム(「Balin/恋人たち」)のライナーノーツを書いていて、そのなかでマーティ・バリンの曲を私が日本語詞にしてライナーに書いたのね。

そうしたら、稲垣さんがデビューするときに“マーティ・バリンの声質に似ているから、ぜひこのラインで詞を書いて欲しい”って言われたの。

西寺:「雨のリグレット」ですね。

湯川:そう、「雨のリグレット」という歌を書いてデビューするんですね。

西寺:それは、湯川さんが作詞なんですか?

湯川:私が作詞しました。で、それはそこそこ上手くいくんだけど、その次の第2弾がとにかく大事なんですよ。2作目がいつも勝負で。

西寺:デビュー曲は、まだいいとして。

湯川:そう。2曲目が上手くいかないと、そのタレントは死んじゃうってジンクスがあって。

西寺:今調べたら、2曲目が1982年リリースでした。だから38年前です。

湯川:それで2曲目を頼まれたときが、ちょうど6月くらいかな。私はまだ子どもが小さくてね。ロサンゼルスのプールが付いている私の親友の家に、一足早い夏休みで子どもを連れて遊びに行っていたの。そのときに、第2弾を書かなきゃいけなくて、曲を預かって一生懸命詞を書いていたんだけど。

西寺:カセットか何かで聴きながら?

湯川:そう、カセットで聴きながらプールサイドとかで。でも全然詞のイメージが浮かんでこないの。“これでどうですか?”って一応東京に歌詞のファックスを送っていたんだけど。そうしたら、ある日ディレクターがわざわざロサンゼルスまで来てくれて。

西寺:休んでいるのに。

湯川:うん。あの歌の歌詞のことかなと思って。そうしたらプールサイドで、“申し訳ありません。2弾目は、実は他の作家にもメロディーを渡していました”と。それで新人の作家が持ってきた詞がすごく良いので、「2弾目はこれで進めさせていただきたい」って言われて。

西寺:その詞を書いたのが……。

湯川:秋元康さんだったんです。それが彼にとって作詞家デビュー作で、その詞を見てガーンときたんです。

西寺:曲名は?

湯川:「ドラマティック・レイン」だったんですよ。

西寺:今調べたらリリース日が1982年10月21日なんですね。作曲は筒美京平さんが。でもB面は、湯川さんが書いていますね。

湯川:一応書いているけど。

西寺:「蒼い追憶」。

湯川:書いているけど、その「蒼い追憶」は、さっきのマーティ・バリンのカバー曲なのよ。で、“これはすごい作家が出てきた!”と思ったのが、実は秋元さんだったの。

西寺:すごいなあ、それ。怒らなかったんですか? “私の歌詞を何やねん!”って。

湯川:いえいえ、“恐れ入りました!!”という世界でしたよ。

西寺:でもレコード会社の人たちも“すみません、湯川さん。もっとすごい人がいたんで”って電話じゃなくて、これは直接謝りに行かなきゃいけないなって。

湯川:そのディレクターは、のちに小林明子さんの「恋におちて」で一緒に制作する人なんですよね。

西寺:良い歌です。「I’m just a woman〜♪」ですね。

湯川:秋元さんは、今でもすごく良い曲を書いていらっしゃると思うんです。ものすごくこだわりを持って、すごい詞を書いて。全部100パーセント、自分で詞を書いて(欅坂46や乃木坂46のメンバーを)スタジオで待たせても、納得するまでまだ直す。作家として本当にすごい人だなって。今でも大尊敬しています。

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<番組概要>
番組名:TOKYO SPEAKEASY
放送日時:毎週月-木曜 25:00〜26:00
番組Webサイト: https://www.tfm.co.jp/speakeasy/