守備に追われる時間帯が少なくなかった久保。不完全燃焼に終わった印象も。写真:龍フェルケル

写真拡大

 コートジボワール戦の後半アディショナルタイムに歓喜をもたらしたのは、途中出場の植田。柴崎のFKにヘッドで合わせた彼の決勝弾がこの試合最大のハイライトだろうが、個人的にもっとも印象に残ったプレーヤーは鎌田だった。

 トップ下に近いポジションで先発出場した鎌田は独特のリズムでゴールへの道を切り開こうとしていた。なかでも素晴らしかったのは58分のシーンだ。右サイドからの伊東のパスを絶妙なトラップで収め、そこからシュートまで持ち込んだプレーこそこの試合最大のハイライトではなかったのかと勝手に思う。

 そのプレーの中で痺れたのは、マーカーの動きを察知したうえでのパスの受け方。スッと左にスライドしてからトラップするセンスは見事のひと言で、これは受け方ひとつでビッグチャンスにつながる好例と言えた。

 もちろんシュートミスもあり、無謀な突破を相手に止められたりもした鎌田の出来が完璧だったわけではない。それでも、ボールを持ったら何かやってくれそうな期待感を醸し出した点でこのアタッカーのプレーはポジティブに映った。

 一方の守備陣で光ったのはCBの冨安。フィジカル勝負でもコートジボワールの選手に負けておらず、カメルーン戦に続き零封に貢献した働きは見逃せない。縦パスをカットされるなど細かいミスはあったものの、トータル的には及第点以上のプレーぶりだった。日本代表の面々が相手の個の能力に苦しむなか、堂々と渡り合う冨安は頼もしく見えた。
 
 さて、左サイドで先発出場した久保のパフォーマンスをどう評価すべきか。確かに足もとにボールが収まれば、優れたテクニックで敵を翻ろうしてチャンスを作りかけたりもした。しかしだからといって、「さすがは久保」と称賛できるほどのレベルだったか。私的な見解を述べさせてもらうなら、この日のプレーにはガッカリさせられた印象のほうが強い。

 守備に追われたぶん、攻撃に割くパワーが少なくなり、必然的に見せ場は限られた。カメルーン戦での大迫のコメント──「前半は(自分自身が)ボールを追うことに力を使ってしまった印象。追う時間が長かったので。まあ、それはチームに欠かせないことですし、仕方ないことなのかなと」──を鵜呑みにすれば、戦術上、前線からのプレスは必須だろう。そう仮定して、コートジボワール戦を振り返った場合、久保のプレッシングは果たして効いていたか。甚だ疑問だ。

 攻撃に専念させてこそ相手の脅威になれるはずの久保が、守備の局面でパワーを使っては元も子もないような気がする。この日のコートジボワールのような実力的に日本の格上で、強度の高い相手となると、どうしても久保のディフェンスの弱さが目立つ。この試合で判断するかぎり、配置ポジションなどを含めて久保の起用法は再考すべきだ。

 久保は“労働者タイプ”ではない。「ロナウジーニョも守備をさせてしまえば、ロナウジーニョではなくなる」。かつてイビチャ・オシムが言ったセリフを、この日の久保を見て思い出した。

文●白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集長)