『マル農のひと』(金井真紀:著、道法正徳:監修/左右社)

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 農業に関する専門書だと思い込んで読み始めたら、良い意味で期待を裏切られた。『マル農のひと』(金井真紀:著、道法正徳:監修/左右社)はフリーランスの農業技術指導員、道法さんの活動を著者が追ったもの。道法さんは、日本国内はもとよりアフリカや南米からも呼ばれ、各地で世界的にも類を見ない独特の農法を伝授してきた。

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 本書は、あまりにも型破りで奔放で個性的な農業人生を辿ってきた道法さんの、ある種の伝記としても読める。

 道法さんは1953年に広島県のミカン農家に生まれた。大学卒業後に広島県果樹試験場で専門知識を学び、JA広島果実連の指導員になる。しかし仕事をこなす中で、道法さんはとんでもない農法を発見してしまう。

 肥料や農薬をほとんど使わず、手間をかけず、それでいて果物が甘くなる、収量は増える。地球環境を守りながらも、ちゃんと儲かる。まるで魔法のような農法だ。当然、皆に「ウソだろ?」と言われ、肥料や農薬を販売している農協との折り合いも悪くなる。それで左遷に次ぐ左遷。52歳でJAを辞めた。

 道法さんの農法はことごとく前例を打ち破る。例えば、これまで「花が早く咲いたほうがおいしいミカンができる」という定説があり、その為に農家が除草剤を撒いていたのだが、道法さんが実験したら、「草があっても開花時期、変わらない!」という結果が出る。本当に除草に効果があるか確かめた人はいなかったのである。教科書にもそう書いてあったし、「長年みんなそうしてきたから」でやってきたのだ。

 苗木や枝は縛りさえすればよく育つ、という話にも農家の人々は驚いた。縛るだけなら、肥料をやる必要もわき芽を摘む必要もないから手間が省ける。害虫や病気にも強くなるから、農薬もぐっと減らすことができるというのだ。味も良くなるし、たくさん実る。いいことずくめで、話がうまくできすぎているんじゃないかと訝る人も多い。

 また道法さんは「手間ひま信仰」にも疑問を投げかける。つまり、手がかけられなかった=愛情がかけられなかった=ちゃんと育たない、と思い込んでしまう農家が多いのだ。だが、道法さんは「手抜きをしたらいいミカンが育たないなんて誰が決めた? それこそ観念や常識に縛られている証拠じゃろ?」と言う。

 講演では道法さんの農法の独創性に驚き、会場はざわつく。あまりにもこれまでのやり方と違うので、ショックを受けるのだ。だが道法さんは「理論は現象の後追いである」というピーター・ドラッカーの言葉を引用して農業を語る。道法さんの実践してきたことは学問全般はもちろん、ビジネスにも応用できるはずだ。

 本書は農業の技術革新の話であると同時に、組織の中にあって真実を見る目が曇らなかった稀有な人物の話だ。なぜ道法さんが組織の愚かさに巻き込まれずに済んだのか。それは、組織の論理に屈せず、個としての信念を曲げなかったからだ。道法さんはこんな言葉を残している。

「組織の中ではな、余計なことをしたらむしろ評価が下がるんじゃ」「なにかを変えるということは、前任者を否定することになるじゃろ」「組織ちゅうところでは、みんなの足並みを乱すことが最大の罪じゃ」――道法さんのような存在なしに、起業する若者やイノヴェーションを起こす会社は生まれないのではないか。

 ちなみにこの本でもこの書評でも、最初から最後まで道法正徳のことを「道法さん」と愛着を込めて呼んでいる。先生や師匠、下手したら教祖と言われてもおかしくない彼の愛らしく親しみやすいキャラクターに堅苦しい肩書は似つかわしくない。やはり「道法さん」という呼び名がしっくりくるのだ。

文=土佐有明