青山のレストラン「ザ・バーン」のエグゼクティブシェフ、米澤文雄氏は、リモート料理講師やミールキット開発など従来の”シェフ業”以外の取り組みにも力を入れている。その背景にある危機感とは(撮影:今井康一)

コロナ禍で苦戦する飲食業界を支援するための「Go To Eatキャンペーン」が始まった。街にも徐々に人が戻りつつあり、飲食店も“最悪期”を脱したようにも見える。が、もともと飲食業界は新規開店の5年後生存率が20%と言われる厳しい世界。コロナ禍で経営環境が厳しくなる中、従来の飲食店のあり方にとらわれず、新たな収入源を模索する料理人たちも出てきている。

東京・青山のモダン・アメリカン・レストラン「ザ・バーン」でエグゼクティブシェフを務める米澤文雄氏もその1人だ。22歳で単身ニューヨークへ渡り、インターンを経てミシュランの星つきレストラン「ジャン・ジョルジュ」のスーシェフを務めるなど、シェフとして着実にキャリアを積み上げてきた同氏だが、コロナ以降意欲的に新たな取り組みを始めている。

リモートで料理にミールキット

その1つが、「リモート料理講座」である。「4月に大きなイベントでおつまみを提供する予定だったのが、コロナの影響でできなくなり、代わりにインスタライブを行うことになりました。家庭でできるビールに合う料理を提案するため、モデルの女性にリモートで料理を教え、ぼくも彼女も自宅でその料理を作るという内容です」と米澤氏。


東京・青山のモダン・アメリカン・レストラン「ザ・バーン」。コロナ以降、新たな取り組みを始めている(撮影:今井康一)

これに続いて、今年8月には小山薫堂氏の企画で、リモートでシェフが料理を指示してほかの人に作らせる対決番組、『東京会議presents「リモートシェフ」』(BSフジ)に出演。論理的で明快な指示で2週勝ち抜いている。実は料理指導は米澤氏の得意分野の1つ。それは専門学校の料理講師をしているからでもある。

テレビやインターネットを通じて教えるリモートシェフの場合もそうだが、自分以外の人に料理を作ってもらう指示をし、的確にこちらの意図を反映させるためには、感覚的な表現では伝わらない。何をどれだけ入れ、どのぐらいかき混ぜる、あるいは加熱するなど、明快な指示でロジカルに伝える必要があることを、米澤氏は指摘する。

レシピと食材がセットになっている「ミールキット」にも挑戦した。5月半ば過ぎ、来店できない人向けに真空パックしたステーキ、ケールサラダ、ボロネーゼの3点で1コース2人分の料理を7500円で発売。すると、最初の2日間で60〜70食分も売れた。初日は夜9時の営業終了後も1時間ぐらい、電話が鳴りやまなかったという。

ミールキットでは、オイシックス・ラ・大地の8月20日発売、「[ヴィーガン]米澤流ベジボロネーゼ」の監修も行っている。これは、オイシックス・ラ・大地の高島宏平社長と交流があったところから始まった。

高島社長とは、新潟の越後妻有で行われているアートイベント「大地の芸術祭」にお互い参加していて知り合った。米澤氏は同イベントに5年前から関わり、地元の人たちと糸瓜の甘酢漬けといった、販売用の郷土料理の保存食を開発。料理を継承し、農村に雇用が生まれることを期待している。

一方で、自身のレストラン「ザ・バーン」でもこれまでにないことを始め、結果的に新たな顧客を取り込む契機となった。それが、看板料理のステーキ250グラム分をドン、と挟んだステーキサンドのテイクアウトである。価格は4200円と決して安価ではないが、これが5、6月の土曜日には30個も売れるほど人気になった。

同店も緊急事態宣言の発令後、1カ月間休業。5月7日に営業を再開した時点では、ほとんど客が来なかったという。そこでテイクアウトを始めることにしたが、先行する店が多い中、個性を出すにはどうしたらいいか考え抜いた末、たどり着いたのがボリューム感満点のステーキサンドだった。沈んだ雰囲気の中、ボリュームに驚く客が思わず笑顔になり、食べておいしいと満足する商品を出したいとの考えからだった。


約250グラムのステーキを挟んだステーキサンドは今でも人気商品だ(撮影:今井康一)

プロのカメラマンに撮影を頼んでインスタグラムにアップしたところ、購入する人が増え、その味に惹かれて、今度は店に食べに来る──。好循環が生まれ、5〜6月に食べに来た客の3分の1が、インスタがきっかけの新規客になるほどだったという。

若いカップルや女性客が増えた

「今も新規のお客様は多く、若い方はほぼ新規です。コロナ前とは客層が変わりました」と米澤氏。内装がモノトーンで、料理もとくにインスタ映えする派手さがないせいか、以前は40〜60代のビジネスマンが中心で、接待や会食のグループが多かったという。しかし、コロナ禍で接待需要が減った今は、若いカップルや女性客が多い。


レストラン「ザ・バーン」の店内(撮影:今井康一)

「前はアラカルトで大ぶりのお肉を召し上がる方が多数いましたが、2名や3名の少人数グループになったこともあり、カジュアルな5500円のコースを新たに作ったところ、若い方はほぼそれを注文されます」(米澤氏)。同店の以前の客単価は約1万円だったという。

米澤氏のインスタのフォロワーは、もともと5500人ぐらいだったが、6月末には1万人と倍増。人気が出たのは、ステーキサンドの投稿だけでなく、前述のリモート料理講座など、インスタライブなどの動画の発信を積極的に行ってきたからだ。それでも、8月は通常の6割程度しか客が来ないなど、コロナ前水準を取り戻すのは容易ではない。

それはそもそも、コロナ以前から飲食店業界が、店舗過多など構造的問題を抱えているからでもある、というのが米澤氏の見立てだ。

「パリやニューヨークでは、厳しい飲食店の出店規制がありますが、日本にはあまりない。居酒屋が何軒も入ったビルが繁華街に林立する光景は、日本特有のものです」と米澤氏。「1つのパイを取り合っている状況であれば、人手不足にもなります。しかも日本は人口が減っている。仕事を適切に与えるためにも、ある程度の出店規制が必要だと僕は思います」。

確かに、繁華街には驚くほどたくさんの飲食店がある。そのうえ近年は、再開発による新しいビルが次々とでき、その都度数フロア分の飲食店街が出現する。明らかに多すぎる。

「結果が出すぎる」という料理人独自の問題

出店過多の影響は、人手不足にとどまらない。「飲食店が多すぎて激しくなった競争を勝ち抜くために、長時間労働をしなければならない人がいる。人手不足のため、本来シェフやマネジャーになるべきスキルや経験がない人がその職に就いていて、スタッフにうまく指導できない場合がある。すると、部下は仕事が面白くなくなって長続きしない。そういう悪循環が起きています。残酷なようですが、店が減ることは必要だと僕は思います」と米澤氏は指摘する。

また、人が続かない原因には、「そうでなくても、料理人は結果が出すぎる」根本的な要因もある、と米澤氏は指摘。「スポーツ選手だったら、年に数回ある大会に向けて身体を作ればいい。しかし、僕らの仕事は毎日がテスト。あまりにも毎日すぎるので、日々の飲食営業フローにのみ込まれて、本来の喜びが見えなくなりやすい。いろいろなところで原点回帰できる環境が必要だろうと思います」と話す。


米澤氏は飲食店業界の構造的問題によって起こる悪循環に、警鐘を鳴らす(撮影:今井康一)

才能や体力が問われるこの業界は、もともと人の出入りが激しくなる要因を抱えていると言える。米澤氏の場合、高校を卒業後に働いたイタリア料理店「イル・ボッカローネ」の先輩たちと交流を続けており、彼らに会うたびに下働きだった時代を思い出させられると言う。

飲食店の労働時間の長さは近年、注目されているが、時間の長さだけに注目して問題とするのは違うのではないか、と米澤氏は考えている。それはもともと、料理人という職人仕事が、長い時間をかけて研鑽を積み続けることで技術を向上させる質のものだからである。

「飲食店で働くファースト・プライオリティは、お金じゃないと思うんです。ただ今は、情報が可視化されていて、ほかの人がもっと儲けている姿が見えるから、不満が出やすい。でも、一流の人は努力していると思います。僕も子どもの頃、母の料理を手伝って楽しかったので料理人を志し、今でもあまり『仕事をしている』という感覚はなく、自分で決めた仕事を日常としてやっています。この仕事で、人と出会うことや喜ばせることにやりがいを感じています」

料理人がコロナ禍を生き延び、未来の可能性を広げるには、米澤氏のような有名シェフクラスなら飲食のプロデュースや講師などを始めるという方法がある。テイクアウトの総菜事業を本格化させる方法もあるだろう。もちろん、飲食業に見切りをつけて、別の働き方を探すこともできる。何をするか、何ができるのかを考えることが、まだコロナの影響がこれからどうなるかわからない今、必要なことではないか。

どこでどんな店を開くのか、あるいはなぜ飲食業で働くのか。コロナ禍はもしかすると、自分や自分たちが持っていた本来の目的を改めて考える機会を、飲食業界の人たちに与えているのかもしれない。