松山城南・阿保 暢彦監督、就任2年目で涙の秋季四国大会初出場!就任2年目で初の秋季四国大会出場を果たし、感無量の表情で校歌を聴く松山城南・阿保-暢彦監督

 タイブレーク突入直前の延長12回裏、4番・與古田敬(1年・二塁手・右投右打・172センチ77キロ・沖縄市立美東中<沖縄>出身)の左翼線二塁打を契機に、二死二・三塁からの敵失で2試合連続サヨナラ勝ち。初の大会決勝進出と秋季四国大会出場を決めた松山城南。その瞬間から阿保暢彦監督の涙腺は完全に緩んでしまった。

 校歌を聴きながら何度も目頭を押さえる阿保監督。無理もない。修徳(東東京)での2度に渡る硬式野球部監督時代には数々の選手ばかりでなく、プロレスラー・KENTAらを育成。2013年には夏の甲子園出場に加え、東京国体では大阪桐蔭との両校優勝で同校硬式野球部に20年ぶりの全国タイトルをもたらしている闘将が、2019年4月に単身赴任で松山城南監督に就任。

 その直後から学内に隣接する学生寮「やまじ寮」で県内遠隔地・県外からやってきた選手たちと寝食を共にしながら、チームの土台作りから着手。新チームでは「昨年は北条に、今年は松山商で3点取ってからひっくり返された」夏の苦い初戦敗退を引き合いに出して、キャッチボールやゴミ拾いといった基礎的な部分から「粘り強さ」を強調してきた。

 その成果は準々決勝・新田戦に続き、この丹原戦でも存分に発揮された。先発の照屋心海(1年・右投右打・168センチ75キロ・宜野湾市立嘉数中<沖縄>出身)は「味方にリズムを作る」をテーマに、最速133キロのストレートと、手ごたえを得ていた縦スライダーを軸に12回を169球完投。7回表に4安打を集中され2点を先制された後も、強弱スイッチの入れ方は巧みなままだった。

 そして打線も。8回裏二死二・三塁で打席に入った6番・主将の白石遥登(2年・一塁手・右投右打・182センチ84キロ・泉佐野リトルシニア<大阪>出身)は「変化球を張って右方向に狙っていた」イメージ通りに右中間突破の2点二塁打。終盤の同点劇で冒頭のサヨナラシーンを引き出した。

 「今日は選手たちの力のすごさを改めて感じました」

 先日、松山城南は創立130周年を迎えることを機会に来年4月から校名が「松山学院」に変更されることを正式発表。新時代を迎えようとしている学校のシンボル部活として位置づけられている野球部が果たした初偉業。それでも指揮官は選手たちを信頼し、褒め称える。

 ただ、ここは決して彼らのゴールではない。試合後「昨日も学校からプレッシャーをかけられました」と冗談めかした阿保監督の顔はいつしか涙から笑顔に、そして修徳でも貫いていた「実力・運・勢いの3つを付けるための積み重ねが大事」といった「まず教育ありき」の勝負師の顔へと変わっていた。

(レポート=寺下 友徳)