実録ドラマ 3つの取調室 〜埼玉愛犬家連続殺人事件〜」のワンシーン(写真:フジテレビ提供)

1993年に埼玉県で愛犬家ら4人が相次ぎ失踪、その2年後の1995年、ペットショップを経営する男女が逮捕された。「ボディーを透明にする」として被害者の遺体を解体・遺棄し、証拠を隠滅したというその残忍な手口から、日本中を震撼させた「埼玉愛犬家連続殺人事件」だ。

逮捕されたのは関根元(げん)元死刑囚と、その元妻・風間博子死刑囚。2人は、2009年に死刑判決が確定した。しかし、遺体なき殺人という特異性や、決定的な殺害の証拠不足、証言の食い違いなど、今なお謎が多い事件でもある。

逮捕から25年の節目を迎え、風間死刑囚の実の息子・和春氏(41歳・仮名)が、フジテレビ「実録ドラマ 3つの取調室」取材班のインタビューに応じた。事件以降、初めてテレビの取材に答えた息子は何を語ったのか――。

留学先のアメリカで知る母親の事件

和春氏は、風間死刑囚の前夫との間にできた子どもだ。前夫との離婚後、和春氏が5歳のころのこと。祖母の家から風間死刑囚と一緒に帰宅する途中、関根元死刑囚の車に乗った。それが関根元死刑囚との初めての出会いだった。


風間死刑囚の息子・和春氏(仮名)(写真:フジテレビ提供)
捜査員と犯人の攻防を「実録ドラマ 3つの取調室 〜埼玉愛犬家連続殺人事件〜(10月4日(日)20時〜22時09分(一部地域は20時06分〜)」では描いていく

「親父が欲しいか?」。関根元死刑囚から声をかけられ、風間死刑囚は隣でニコニコしていたという。その後2人は結婚する。

それから10年ほどが経った1995年1月。当時15歳だった和春氏は、留学先のアメリカへ向かうため成田空港にいた。アメリカに飛び立とうとしたまさにその時、関根元死刑囚と風間死刑囚が逮捕されたのだった。

その後どうなったのか。和春氏はこう語る。

「アメリカに無事に着いて、ちゃんと着いたよって(母親に)連絡しようとしたら誰も(電話に)出なくて。仲の良かった友達に連絡したら“お前の母親が逮捕されてニュースすごいよ”と教えられました。アメリカに着いたばかりなのにこれからどうなるのか? お金はどうするのか? 頭が真っ白になり途方に暮れました。

しばらくしてようやく祖母と連絡がつきました。すると祖母は『お前は3カ月そっちにいろ。生活費は何とかするから。忙しいからまた連絡する』と言われ、何が何だかわかりませんでした。それからまた少し経って祖母から連絡があり、事件について聞きました。関根なら事件を起こすことはありうる、でも母親が一緒と聞いて愕然としました。

関根に脅されてやったのだろう、何かの間違いだろうと思いました。思い起こせば、最後に会った母親は飛行機に乗り遅れないよう、送り出すのに焦っている感じでした。『忘れ物はないか? 後で送るから向こうで食べたいものはないか?』と心配してくれていましたが、今から思えば、迫っている逮捕を予感していたのかもしれないです」

“犯人の息子”暗転する人生

そのままアメリカの高校に入るつもりだった和春氏の人生は暗転する。1995年3月、密かに帰国して自宅に戻るが、周囲の目もあり自宅にはいられなくなる。多感な時期の少年にとってはあまりに過酷な環境だった。


関根・元死刑囚(写真:フジテレビ提供)

その後、祖母のきょうだいの家など親戚の家を転々としながら高校には行かず、知り合いの飲食店などで働きながら生計を立てていく。しかし、それも長くは続かず社員寮がある会社を渡り歩く。

「“親は親、子は子”と言ってくれる友達も多くて、これまでと変わらず接してくれましたが、仕事先などでは母親のことや自分の素性については隠して生きてきました」(和春氏)

周りの同世代の友人たちが青春を謳歌する一方で、高校にも、大学にも行けず、母のことは隠して生きてきた和春氏。その後、20歳で知り合った女性と結婚。相手の家族にはありのままを話し受け入れてもらったという。妻の親の家に住む形で、ようやく和春氏の流転の日々に終止符が打たれる。

やがて裁判が始まる。和春氏は「自分にとってたった1人の母親だから裁判に行かせてくれ」と、妻の親に頼み法廷へ向かう。

「そこで久しぶりに見た母親は小さくなっていました。明るさがなくなっていました。自分の親が腰縄をつけられ、捕まっているという光景はショックでした。すると関根も法廷に入ってきました。私を見ると『おう、元気か』と明るく声をかけてきたんです。ふざけるな、と思いました。腹が立ちました。


風間博子死刑囚(写真:フジテレビ提供)

母と再婚した当初、関根は優しかったんです。しかし小学生の頃になると虐待が始まりました。裸で家の外に放り出され、正座をさせられて足の上にブロックを置かれ、ボールペンで腹も刺されました。理由は掃除をしていなかったから、とかそんな理由です。

包丁で手を切られそうになったこともありました。遊ぶお金が欲しくて親の財布からお金をとってしまったことがあったんです。それがバレると『盗むような手ならいらないだろう』と包丁で手を切られそうになりました。今思うと、自分もいつ殺されてもおかしくなかったんだと思います。それを母親は守ってくれました」

死刑囚の息子として今思うこと

2009年に2人の死刑が確定。その後、関根元死刑囚は獄中で病死。風間死刑囚は現在も東京拘置所に収監されているが、殺人への関与を否定し、再審請求を続けている。和春氏は母親への複雑な思いを語った。


刑事役の水野美紀さん(写真:フジテレビ提供)

「被害者の方たちには申し訳ないと思う。謝って許されることではないけれど、申し訳ないです。しかし子どもとしては、刑が執行されて、もう母親に会えないかと思うと怖いし悲しい。母親が殺人をしていないと言い切りたいけれど、自分はその場にいたわけではないからわからないです。でも信じています。やったのかやっていないのか……捜査を尽くしてほしいという思いはあります」