「バルセロナを退団してから輝いた」11名のスター

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今夏はルイス・スアレスやネウソン・セメド、アルトゥロ・ビダル、イヴァン・ラキティッチら多くの選手が退団することになったバルセロナ。

今回は『Squawka』から「バルセロナを退団してから活躍を見せた11名のスター選手たち」という記事を紹介する。

チアゴ・アルカンタラ

バルセロナでの出場数:101試合

29歳のチアゴ・アルカンタラは過去7年間バイエルン・ミュンヘンで世界最高クラスのプレーメーカーとして価値を証明。ブンデスリーガで7連続優勝を果たし、チャンピオンズリーグ制覇も成し遂げた。

それを考えれば、2013年にバルセロナからわずか2000万ユーロ(およそ24.5億円)で買われたということは驚きだ。もし今のバルセロナに彼が残っていれば、全く違ったチームになったように思えるが…。今夏はリヴァプールへと移籍している。

ズラタン・イブラヒモヴィッチ

バルセロナでの出場数:46試合

46試合で22ゴールを決めたイブラヒモヴィッチ。その数字だけを見ればかなりいい成績なのだが、彼がジョゼップ・グアルディオラ監督のスタイルにフィットしたことは一度もなかった。

わずか1シーズン後に退団することになったが、それからミラン、PSG、マンチェスター・ユナイテッド、そしてLAギャラクシーでも成功を収め、世界最高クラスのストライカーとしての立場を確固たるものとしている。

フアン・ロマン・リケルメ

バルセロナでの出場数:42試合

ボカ・ジュニオルスから2002年にバルセロナへと加入したリケルメ。アルゼンチン稀代の司令塔として評価された彼であるが、カンプ・ノウで過ごしたのはわずか1年だった。

しかし彼はその後ローンで加入したビジャレアルでそのテクニックを遺憾なく披露し、2005年にはチャンピオンズリーグ出場をも成し遂げる。2007年には古巣ボカ・ジュニオルスに戻り、引退後は副会長に就任。バルセロナ以外のクラブでは伝説的な存在である。

チアゴ・モッタ

バルセロナでの出場数:139試合

ブラジルから1999年にバルセロナへとやってきたモッタは、Bチームでのプレーを経てトップへ昇格。中盤のバックアッププレーヤーとして出場機会を得たが、負傷や退場を繰り返したためレギュラーになれなかった。

さらにアトレティコ・マドリーでも苦しんだが、2008年にイタリアへ渡ってから復活。国籍を取得して父方の祖父の故郷イタリアの代表としてワールドカップにも出場し、その高い能力を世界に見せつけた。

アレクシス・サンチェス

バルセロナでの出場数:141試合

ウディネーゼからバルセロナに加入したのは2011年。2600万ユーロ(およそ31.9億円)もの移籍金が支払われたもの、分厚い攻撃陣に阻まれたことでレギュラーポジションは獲得できなかった。

その才能が発揮されたのはその後アーセナルに加入してから、そしてマンチェスター・ユナイテッドに移籍するまでの間だった。その輝きを今所属しているインテルで取り戻しつつある。

マーク・ヒューズ

バルセロナでの出場数:36試合

マンチェスター・シティやストーク・シティ、サウサンプトンなどを率いた監督マーク・ヒューズ。現役時代はポストプレーに長けたストライカーで、あのギャリー・リネカーとともにバルセロナへと加入した。

ただ彼は全公式戦で5ゴールしか奪えず、次年度はバイエルンへローン移籍。そして1988年にマンチェスター・ユナイテッドへと戻り復活を遂げた。

パコ・アルカセル

バルセロナでの出場数:50試合

バルセロナは2016年8月にパコ・アルカセルを獲得するために3000万ユーロ(およそ36.8億円)を費やした。彼はベンチから常にゴールの脅威を提供していたが、カンプ・ノウでは多くの出場機会を得られず2018年にドルトムントへ貸し出された。

すると彼はドイツでスーパーサブとして新境地を開拓、47試合で26ゴールという好成績を残した。2020年1月にはスペインに戻り、ビジャレアルに加入している。

セスク・ファブレガス

バルセロナでの出場数:151試合

キャリアの中で2回バルセロナを離れた珍しい選手の一人だ。下部組織時代にアーセナルへの移籍を決断し、プレミアリーグで300試合以上に出場。クラブ史上最年少のキャプテンにもなった。

2011年にはバルセロナに戻ったものの中盤のポジションはチャビとイニエスタに占められており、レギュラーは獲得できず。ときにはワントップでのプレーを余儀なくされたりした。そして2014年にイングランドへと戻り、チェルシーで2回の優勝を果たしている。

マルク・ファン・ボメル

バルセロナでの出場数:36試合

中盤のクラッシャーという評判を考えれば、バルセロナがPSVからファン・ボメルを獲得するという決定を下したのは奇妙なことでもあった。それがたとえフリートランスファーでもだ。

やはりフランク・ライカールト監督の下でそれほど重要な存在になれなかったため、1シーズンでバイエルン・ミュンヘンへと移籍していった。そこで2010年のCL決勝に進出し、2回のブンデスリーガ優勝を果たしている。

アダマ・トラオレ

バルセロナでの出場数:4試合

アダマ・トラオレが2015年にバルセロナを離れるという決断を下したことは、時間をかけてその正しさが証明されつつある。アストン・ヴィラとミドルズブラではただのスピード職人という感じだったが、ウォルヴァーハンプトンで重戦車に変貌を遂げた。

ラ・マシアでは細身のウイングに過ぎなかったものの、今や筋肉の鎧をまとって弾丸のように走る選手に変貌。前線ならどこでもこなせる多様性も魅力となった。

ヤヤ・トゥレ

バルセロナでの出場数:118試合

バルセロナではMFとして失格の烙印を押され、センターバックとしてもプレーすることになったヤヤ・トゥレ。2010年夏に退団し、マンチェスター・シティへと加入した。

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そこでの8年間はまさにキャリアの頂点だった。316試合に出場して79ゴールを決め、セントラルMFとして大活躍をした。クラブとの間でトラブルはあったが、それでもピッチの中では常にプロフェッショナルであった。