なかなかの「意識高い系」だった?戦国時代の武士はどんな日常生活を送っていたのか

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戦国時代と言えば、多くの武士たちが天下に号令をかけるべく、血で血を洗う合戦を繰り広げていた印象が強いと思います。

しかし、武士たちも好き好んで戦っていた訳ではなく、むしろ自分の領地や一族といった生活基盤を守るため、避けられない場合に戦っていたことが大半です。

※自分たちの安全保障上、確保したい土地に侵攻することは間々ありましたが、それも広い意味では「自衛」の一環と言えます。

大河ドラマや時代劇では華々しい合戦の方が「画面映え」するから、戦闘シーンばかりクローズアップされがちですが、言うまでもなく武士たちにも日常生活があり、時間的にはそっちの方が圧倒的に長いのです。

そこで今回は、戦国時代における武士たちの日常ルーティン例として、模範的な武士の生活を記した戦国初期の家訓「早雲寺殿廿一箇条(そううんじどの にじゅういっかじょう。後北条氏の家訓)」から、武士たちの平和な一日を辿ってみましょう。

意識高すぎ!?武士たちの朝活

武士たちの朝は早く、夏なら3:00、冬でも5:00には起床。これは朝駆け(奇襲)に備えるためで、なるべく早く身体を温めるためです。

洗面の前に館の内外を見回って夜の内に異常がなかったか確かめ、汚れているところがあれば掃除させorして、手早く洗顔や身支度を整えます。

刀や装束については見苦しくなければ十分であり、他人と見栄を張り合うことは慎み、急な来客や呼び出しがあってもあわてないよう、プライベートでもある程度の身だしなみが求められました。

神仏は朝に夕に礼拝しますが、大切なのは神仏を通して自分と向き合い、他人と誠実に接する心がけであり、形だけのパフォーマンスでは意味がない事が戒められています。

出仕(出勤)時間は厳密でないものの、6:00には参上、主君や上司に挨拶してから朝の時間を有効に使いました。現代で言うところの「朝活」でしょうか。

そして8:00に朝餉(朝餉。朝食)。あらかじめ済ませてから出仕した者もいるでしょうが、主君と家臣が同じ釜の飯を食うことで親睦を深めたり、情報交換や指示を出したりなど、現代で言う「ブレックファーストミーティング」を行うこともあったようです。

※ちなみに、身体を温めるためか朝から酒を飲むことも珍しくなかったようで、飲み過ぎによる失態と、それを戒めるエピソードは枚挙に暇がありません。

領地経営に自己啓発……午前中が勝負な武士ライフ

そして食事&会議が終わった9:00ごろから、めいめいの仕事にとりかかりますが、主君から受けている任務があればそれを遂行し、ない者は基本的に自分の裁量で過ごすことになります。

領地のある者は領内を視察して領民たちの声を聞いたり、統治上の課題やトラブルがあれば解決したり、中には自ら農作業に従事して糊口をしのいだり、と領主としての務めを果たしました。

管理する領地のない者も何か役目に与(あずか)るべく、仕事を探して有力者に働きかけたり、空き時間を活用して自己研鑽に励んだり、立身出世の糸口をつかむために必死です。

趣味と実益を兼ねて狩猟を楽しむ武士(イメージ)。

また、武士は古来「弓馬(きゅうば、ゆんば)」の嗜みを重んじたことから、趣味(娯楽や気晴らし)と実益(食料調達、体力増進、戦技錬成、地理の把握、親睦の強化やコネ作りなど)を兼ねた狩猟が好まれました。

いつどこで合戦が起こるか判らない戦国時代では、「土地勘がある(地理に明るい)」こともスキルの一つとして重視され、敵を迎え撃つ時はもちろん、こちらから攻め込んでいく時にも役立つ(作戦メンバーに抜擢されやすい)ため、しばしば遠出していたようです。

「あなた、また狩りへお出かけになるの?」

「仕方ないだろ、接待も仕事の内なんだから……」

何だか現代(ひと昔前)の接待ゴルフみたいな光景が、あちこちの家庭や野山で繰り広げられていたのかも知れませんね。

また、武士たるもの文武両道を心がけ、寸暇を惜しんで読み書きをして(読むのはもちろん、書かないと文字を忘れて恥をかいてしまうものです)歌道を学び、言葉遣いや立ち居振る舞いにも品格を備え、主君に恥をかかせないよう励むのも奉公の内です。

うらやましい!?14:00ごろには業務終了

かくして、朝早くから精力的に活動する意識の高い戦国武士たちですが、お昼を過ぎた14:00ごろには仕事を切り上げて帰宅、早くも夕餉(ゆうげ。夕食)の席につきます。

「え、ちょっと遅めだけど昼食じゃないの?」と思われるかも知れませんが、当時は一日2食が基本でした(戦闘時は別)。

夕餉の席を囲む武士たち(イメージ)。

夜食を摂らなければ次の食事は翌朝8:00となり、18時間も間隔をあけるのは流石に空腹がきつそうですが、多くの武士たちは限られた食糧をやりくりして、晩酌くらいは楽しんでいたことでしょう。

18:00には閉門し、緊急時を除いては基本的にアポなし訪問を断ります。早すぎると思うかも知れませんが、現代と違って夜道は星月と手もとの灯りだけが恃みという真っ暗闇です。

この時点で訪問していた者もすぐに帰るか、そのまま泊っていくかを判断し、深夜に帰るのは非常に危険でした。

そして20:00には就寝。この時間であれば真夜中ごろに夜襲があっても既に3〜5時間は寝ているのでとっさの対応がとりやすいと考えられたためです。これなら7〜9時間は睡眠がとれるので健康的ですね。

あまり夜更かしや深酒をして、疲れが溜まったor酔いが回った状態で寝入ると反応が鈍くなり、いざ有事に後れをとってしまうことも指摘されています。

もちろん、全員が就寝してしまう訳ではなく、交替制で不寝番を立てて、いついかなる時でも奇襲を警戒したのは言うまでもありません。

終わりに

戦国乱世に生きる武士たちと言えばとかく荒くれ者が多く、さぞワイルドで野放図な生活を送っていたのかと思いきや、イメージとは裏腹に、意外と(むしろ現代人よりも)キチンとしていたのかも知れませんね。

北条早雲の像。彼の教えを守ったからこそ、五代にわたって関東に覇を唱えられたのかも。

……うがった見方をすれば、こういう模範的な武士があまりに少ないことを嘆いた北条早雲(ほうじょう そううん。伊勢宗瑞)「お前ら、少しはしゃんとせい!」という意味で『早雲寺殿廿一箇条』が遺したのかも知れませんが。

※参考文献:
「歴史ミステリー」倶楽部『図解!戦国時代』三笠書房知的生きかた文庫、2016年7月
佐藤和夫『戦国武将の家訓』新人物往来社、1986年8月