新型コロナウイルス感染拡大により、イタリアでは医療崩壊が起き、ロックダウンを余儀なくされた。こうした事態に至っても、イタリア人の多くは落ち着いていた。それはなぜなのか。1年の半分をイタリアで過ごしている文筆家のヤマザキマリ氏が解説する――。

※本稿は、ヤマザキマリ『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

写真=ABACA PRESS/時事通信フォト
2020年3月23日、イタリア、クレモナ病院のICU。 - 写真=ABACA PRESS/時事通信フォト

■かつてイタリア医療は「世界第2位」の高水準だった

今回のパンデミックによって、イタリア医療崩壊を起こしました。高齢化社会であることや感染者の増加を遅らせる対策を優先しなかったことなど、その理由については様々な角度からの分析がされていますが、イタリア人にとっては予測できたことでもあったようです。

かつてイタリア医療は、そのものの質や国民の健康度、システムの平等性といった指標から世界第2位(2000年、WHO調べ)と評価されるほどの高い水準を誇っていました。

ところが失政や世界的な金融危機などを受けて政府は深刻な財政難に陥り、医療費の削減を積極的に行いました。病院の統廃合などを通じて病床数を減らし、早期退職を募っては医療従事者の数も減らした。そこであぶれたイタリアの医師たちは、海外の病院などへ流出していきました。

イタリアはコロナ対策として、引退していた医者や医療関係者2万人の再雇用や、ある程度履修した医大生や看護学校生たちの早期卒業による就業、といった対応をとったと報道されています。しかし医療スタッフ不足は、そもそも政治が招いた結果だったわけです。

医療崩壊を予想していたイタリア

ただし、フィレンツェ留学時代から、事故による怪我などで3回イタリアの病院に入院した私の経験からすれば、当時から医療の現場には余裕がなかったように思います。

3回のうち2回は病床が満員という理由で、病院の廊下に設らえたベッドで寝て、点滴や診察もその状態で受けました。

27歳で出産したときは、産んで早々「病室が足りないので、できれば早く退院してくれ」と急き立てられたことが忘れられません。医療水準は高かったにもかかわらず、すでに医療費削減が行われていて、医療事業がうまく回っていなかったのです。

そんな経験もあって、今回、初期段階にイタリアがPCR検査を大々的に始めたときから、医療崩壊が起きるであろうことは、私も予測していました。そしてイタリア人同士でも、医療崩壊に対して「大変だ!」と騒ごうものなら、「今更何を言っているんだ。こんなことになるのはわかっていたことだろう」と言い返されるほど、既知の問題でした。

■赤の他人と議論するイタリア人、友達に限定する日本人

夫とも医療崩壊について話したのですが、「医療費削減を政府が推し進めたとき、俺は『イタリアは本当にバカだ』と思った。でも、考えておくべきだった。医療については『イタリアのあれが悪い、これが悪い』だけで改善することではなかったんだ」と言っていました。そして自分たちの非を一旦責め、認めることで解決の糸口を見た、というようなことを話していました。

こうした自問自答の末に反省し、前へ進める答えへ向かうという思考パターンは、イタリア人たちとの会話でよく感じていることです。

もちろん、日本人にも同じような思考パターンをもつ人は大勢います。しかしイタリア人ほど、会話といったコミュニケーションのなかでそうした思考の流れをたどり、それを生かす機会は多くないのではないでしょうか。問いを気の置けない友だちに限定しがちなのが日本人なら、赤の他人とでも議論を交わしたいイタリア人。そんな感覚が私にはあります。

■「昨日と同じ明日」が来るとは思っていない

パンデミックをきっかけにあらたに気づかされたことは多々ありますが、イタリア人たちにとって厳格なロックダウンの経験は、さほど動揺させられるようなものではなかったように見えています。コロナ以前の10年ほどの間だけでも、イタリアを含むヨーロッパはシリアやアフリカの国々から押し寄せた難民の受け入れやEU離脱問題など、絶えず大きな課題と向き合ってきた地域ですから。

イタリアの人たちも、昨日と同じ明日が平穏にやってくることを当然と考えている人は少ないんじゃないかと思います。

新型コロナウイルス対策のロックダウンによって、イタリアでは2カ月近くにおよぶ自宅隔離が強いられました。外出できるのは食料の買い出しなど最低限のみ。しかも最初の頃は外出理由を記した許可申請書を持ち歩かなければなりませんでした。夫はその間、窓ガラスを割られていた車を見かけたと言っていましたが、少なくとも彼が暮らすヴェネト州では、外出禁止を起因とした大きな犯罪や暴動はなく、人々は厳しい行動制限を守っていました。

■一般人による「家庭内演技動画」が流行

それでもロックダウン中、メンタル面の問題はあったようです。毎日あらゆる人々とコミュニケーションをとるのが大好きな国民ですから、直に話せるのは身近な家族だけ、という限定的な人間関係に耐えられず、鬱症状や精神的なパニックを起こした人が増えたらしい。一方で動画サイトやSNSなどでは、彼らが自宅隔離をどんなふうに過ごしているか垣間見られるものも、多数投稿されていました。

たとえば「もう我慢できない! カフェを飲みにバールに行く!」とジャケットを着込んで出ていく熟年男性の動画。玄関を出て本当にバールに向かったのかと思えば、そのままキッチンの窓の外に立ち、そこから「マスター、エスプレッソを1杯」と注文を投げた相手は自分の妻。

妻もそれを受けて「いらっしゃい。はい、どうぞ」と出窓の床板をバールのカウンターに見立て、バリスタになり切って淹れたてのコーヒーを出していました。「1ユーロだったかな?」「ええ。また来てね」と、男性がカップをぐいっと飲み干したあとも会話のやりとりが続きます。そして、背景には動画を撮っている娘さんらしき笑い声が……。

一時期、こうした一般の人による家庭内演技動画がたくさんアップされていました(笑)。家族揃って、大の大人が小芝居を楽しんでいて、視聴者をも楽しませている。受け入れ難い日常の異変のなかでも、こんなふうに乗り切ることができるなんて、彼らのエネルギッシュな想像力と行動力には憧れすら覚えます。

■コロナ禍の人々に響いた「誰も寝てはならぬ」

思わず心を動かされ、涙がにじんだ映像もありました。フィレンツェ5月音楽祭劇場が配信していた少年少女の合唱です。プッチーニのオペラ『トゥーランドット』のアリア「誰も寝てはならぬ」を、ビデオ通話を利用してリモートで合唱していたのです。

イタリア人なら誰でも知っているだろうこの曲は、最後に「夜明けとともに、私は勝つ!」という歌詞で盛り上がるのですが、清らかな声の癒やしとともに、コロナ禍にいる人々に響いたと思います。ほかの団体の企画にも、イタリアをはじめとするヨーロッパの子どもたち700人がこの曲をリモートで合唱している動画がありました。

■音楽はストンと人の内側に入ってくる

自宅隔離中、音楽の力を感じさせる映像がSNSにはたくさん投稿されていましたよね。音楽は言語とは違って、脳を疲れさせることなく、ストンと人の内側に入ることができます。私もクラシックからブラジル音楽、日本のポップスまであらゆるジャンルの音楽を聴きますが、とにかく何かにむしゃくしゃしているようなときは音楽を聴くと、気持ちがすっと切り替わります。

ヤマザキマリ『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)

イタリアのお国柄を形容するときに「マンジャーレ(食べる)、カンターレ(歌う)、アモーレ(愛する)」というフレーズが付いて回りますが、彼らはこれを微妙な気持ちで受け止めています。日本人が「スシ、ゲイシャ、サムライ」と形容されるのと同じ気持ちになると言えば、わかってもらえるでしょうか。イタリア人だからといって国民全員がオペラやサッカーのファンというわけでもないように、短絡的なステレオタイプでまとめられたくはないはずです。それでも、子どもたちによる「誰も寝てはならぬ」の合唱をこの時期に聴いて、グッと心にくるものを共有できる素地は、多くのイタリア人がもっているのだと思います。

個人主義で群れるのを嫌い、時には親族や家族ですら信用せず、社会のあり方に対して常に懐疑的なイタリア人たちですが、“表現”による感動や高揚感を分かち合うことで他者との繋がりを確かめる。ああいった彼らの動画を見ていると、心細い状況の中における“表現”の重要性と、人々が一体化することの本質的な意味を考えさせられました。

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ヤマザキ マリ(やまざき・まり)
漫画家・文筆家
東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞 受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『国境のない生き方』(小学館新書)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)など。
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(漫画家・文筆家 ヤマザキ マリ)