【近藤 大介】中国・10月の5中全会で「習近平半永久政権」が実現する可能性 カギを握る2人の去就に注目する

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「5中全会」の主要議題

10月1日、中国は「双節」(シュアンジエ)を迎える。国慶節(建国記念日)と中秋節(旧盆)が偶然、重なった「二つの祝日」である。

今年の中国は、「庚子(かのえね)の大厄」(60年に一度の庚子の年には大厄がやって来る)という言い伝えの通り、冬の新型コロナウイルスと夏の豪雨被害で、まさに「大厄の年」となっている。アメリカとの間で勃発している「新冷戦」も、これに加えてよいかもしれない。

それだけに、10月1日からの7連休は、14億中国人が久々に骨休みできる時節となる。だが連休が明けると、「政治の季節」がやって来る。「5中全会」(中国共産党第19期中央委員会第5回全体会議)である。9月28日夜に出された新華社の速報によれば、10月26日から29日までの開催が決定したということだ。

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中国共産党は5年に一度、秋に党大会を開くが、党大会が開かれない年は、全体会議を開く習慣がある。今年10月に「5中全会」を開くことは、7月30日の中央政治局会議で早々と決定し、発表されていた。

さらに「5中全会」での主な議題は、次の3点であるとも公表している。

1)中央政治局(トップ25)から中央委員会(トップ約400人)への報告
2)「国民経済・社会発展第14次5ヵ年計画」(2021年〜2025年の第14次5ヵ年計画)の策定
3)2035年の長期目標の建議

1)は人事、2)は経済、3)はアメリカ対策と置き換えてよいかもしれない。実はこの3点は、相互に連関しているため、一つと言ってもよい。つまり習近平路線を、この先も継続していくかどうかである。

現在の習近平総書記の任期は、2022年秋の第20回党大会までで、国家主席の任期は2013年3月の全国人民代表大会までである。どちらも「2期10年」という慣例に従うならば、「革命第5世代」の核心である習近平総書記・国家主席は、2022年秋から2023年春にかけて引退し、「革命第6世代」の後身に道を譲ることになる。

だが、習近平総書記(国家主席)は、明らかに引退する気がない。おそらくは、2035年までの長期政権を敷きたいと考えている。

なぜ2035年までかと言えば、これも推測だが、この年、自分が82歳を迎えるからだ。82歳は、習総書記が誰よりも尊崇の念を抱き、何でも真似ようとしている「建国の父」毛沢東主席が死んだ年齢である。だからこそ今回、わざわざ3)の2035年までの長期目標を定めようとしているわけだ。「ここまではオレがやるぞ」という習総書記の意思表示である。

長期政権への障害

習総書記はすでに、長期政権への布石として、2018年3月の全国人民代表大会で、憲法を改正し、国家主席の任期(2期10年)を取っ払ってしまった。共産党総書記の任期に関しては、党規約では特に明文化されていない。

このように習近平総書記は、「革命第2世代」の核心である蠟小平が敷いた「2期10年」というシステムを、大きく変えようとしている。換言すれば、「革命第1世代」の毛沢東時代の「半永久政権」に戻そうとしている。

これに強く反対していると思われるのが、党内序列ナンバー2の李克強首相及びそのグループである。

李首相は、共産党の下部組織である「中国共産主義青年団」(共青団)の第一書記(トップ)出身(任期1993年5月〜1998年6月)だから、彼らのグループを「団派」と呼ぶ。8000万人を擁するこのエリート組織をバックに持つ「団派」が、再び習近平グループに立ちはだかろうとしているのである。

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「団派」が「ポスト習近平」に推しているのは、やはり共青団第一書記出身(任期2006年11月〜2008年5月)で、「革命第6世代」ホープの胡春華副首相である。習総書記よりも、ちょうど10年若い57歳で、弱冠16歳で北京大学中国文学科に入学したという秀才だ。

共青団の第一書記を1984年12月から1985年11月まで務め、団派の総帥である「革命第4世代」の核心人物・胡錦濤前総書記(前国家主席)は、2007年秋に開かれた第17回共産党大会で、自らの後継者に弟分の李克強遼寧省党委書記(当時)を据えることに失敗した。その結果、「革命第5世代」の核心の座は、習近平浙江省党委書記(当時)の手に移った。

それから5年後の2012年秋の第18回共産党大会で、習近平が総書記に就き、団派の凋落が始まった。現在の中央政治局常務委員(トップ7)の中で団派は、序列2位の李克強首相と序列4位の汪洋中国人民政治協商会議(政府の唯一の公的諮問機関)主席の二人しかいない。習近平グループは5人いるため、存在感が薄い。

そのため、2022年秋の第20回共産党大会で、習近平総書記に代わって、胡春華副首相を総書記の座に就かせるという悲願は、成就するか心もとない。それでも「胡春華後継」実現のために、今度の「5中全会」で、胡春華副首相(中央政治局委員)を常務委員に引き上げるべく画策しているのである。トップ25のグループから、トップ7のグループに昇進させるということだ。

習近平総書記としては、胡春華副首相の昇進など容認したくない。逆に追い落としてしまいたいところだろう。だが、これまでのところ胡副首相は、「埋頭苦幹」(仕事に汗をかくことに没頭する)という座右の銘を実践している。習近平総書記に絶対忠誠を尽くしているかのごとく振る舞っていて、瑕疵(かし)がないのだ。

胡春華副首相は習近平総書記から、中央農村活動指導小グループ長を命じられている。これは、北京になるべくいてほしくないため、農村回りをやらされているようにも見受けられる。それでも胡副首相は、嫌な顔一つ見せず、この役回りを日々こなしている。

先週22日には山西省の「2020年中国農民豊作節」のイベントに参加し、こう挨拶した。

「習近平総書記の重要指示の精神を深く貫徹し、党中央と国務院(中央官庁)の決定を真摯に実行するのだ。それによって全社会の関心を農業、農村に集め、農民を愛する濃厚な雰囲気を作り出し、農村地域の全面的な振興のさらなるパワーを促進していくのだ」

今回、胡春華副首相が常務委員に昇格できなかったとしても、「ポスト習近平」の芽が消えるわけではない。2年後の第20回共産党大会に向けて、「中南海」(中央最高幹部の職住地)の権力闘争が続くことは必至である。

李克強グループの巻き返し

そもそも習近平グループと、李克強グループ(団派)の何が違うかと言えば、それは政治哲学である。

現在の中華人民共和国は、毛沢東率いる「革命第1世代」の社会主義者たちが1949年に建国したが、1976年の毛沢東の死後、「革命第2世代」の核心となった蠟小平は、1978年に改革開放政策に舵を切った。そして、1989年の天安門事件の挫折の後、1992年に「社会主義市場経済」を党是(翌年に国是)とした。

これは、政治は社会主義だが経済は市場経済の国家を築くということだ。本来なら、政治が社会主義なら経済は計画経済で、経済が市場経済なら政治は資本主義だ。それを蠟小平は、社会主義陣営と資本主義陣営のイイトコドリをしたのである。実際、この特異なシステムを採用したことで、中国は奇跡の経済成長を成し遂げた。

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だが、やはり社会主義市場経済というのは、根本的に矛盾したシステムなのである。蠟小平時代の脆弱な中国経済のもとでは、イイトコドリは成功したが、いまやGDPがアメリカの7割に達しようという世界第2位の経済大国である。社会主義と市場経済の矛盾は抜き差しならないところに来ており、周知のようにアメリカによる「中国総攻撃」も始まっている。

そんな中、徹底的な毛沢東路線、すなわち社会主義の道を邁進することによって、中央突破を目指そうというのが、習近平グループの考え方である。いわば政治重視派だ。

この場合、国内的には個人崇拝などの強制手段によって結集を図れるかもしれないが、マイナス面もある。それは中国経済の失速と、アメリカを始めとする西側諸国との対立である。

そうしたリスクについて習近平グループは、経済失速は14億の国内市場活性化で補い、外交的には、同じく統制型の社会システムを目指すウラジーミル・プーチン大統領率いるロシアとの「準同盟関係」を構築することで、凌(しの)いでいこうとしている。

一方、蠟小平路線、すなわち市場経済の道を拡大させることで中国を発展させていこうというのが、李克強グループ(団派)の考え方である。いわば経済重視派だ。社会主義的なものよりも経済を重視し、そのためにアメリカを始めとする西側諸国との友好と共存を模索する。彼らは基本的に親日的でもある。

私は以前、李克強首相の友人から話を聞いたことがあるが、首相になる前には、「社会主義だろうが何主義だろうが、中国が安定していればよいのだ」と語っていたそうである。つまり李首相は、ゴリゴリの社会主義者ではないのだ。ロシアで言えば、ドーミトリー・メドベージェフ前首相と似たタイプだ。

中国社会が順風満帆な時は、習近平一強体制で「無風」である。だが今年は、冒頭記したように、「庚子の大厄」の年である。1840年のアヘン戦争、1900年の義和団の乱、1960年の大飢饉と並ぶ「コロナと豪雨の大乱の年」である。国内経済は危機に陥り、アメリカからは「新冷戦」を仕掛けられている。

こうしたことから、李克強グループも、相当な巻き返しに出ている。その所産として、彼らは「胡春華後継」を担保したいのである。

習近平政権の実質的ナンバー2

こうした流れに、微妙に絡んでくる幹部がいる。それは、王岐山国家副主席である。これまでは、習近平グループの代表格の一人だったが、いまや李克強グループに考えが近くなってきているのではと思われる節があるのだ。

王岐山は、文化大革命吹き荒れる青年時代に、北京から陝西省に「下放」され、そこで同じく北京から陝西省に下放された習近平と知り合って、意気投合した。習仲勲副首相の息子である習近平と違って、王岐山は平民の出だったが、陝西省博物館の学芸員として姚依林副首相を案内したことから、娘婿(長女・姚明珊の夫)となり、「太子党」(革命元老の子息)の仲間入りを果たした。

江沢民時代と胡錦濤時代を通じて、王岐山は主に、経済・金融と対アメリカ外交の分野で、頭角を現していった。危機の場面で抜群の能力を発揮することから、「消防隊長」のニックネームがついた。2008年のアメリカ発の金融危機(リーマン・ショック)の際、財務長官を務めていたヘンリー・ポールソンは、『ポールソン回顧録』(日本経済出版社)の中で、いかに王岐山副首相に助けられたかを記している。

2012年秋の第18回共産党大会で総書記に選出された習近平は、青年時代から気心の知れた王岐山をナンバー2の首相に据えて、二人三脚で国家運営を進めたかった。だが、前任の胡錦濤総書記がそれを許さず、首相には「胡錦濤の弟」と言われた李克強を押し込んだ。いわば習と李を「政略結婚」させたのである。

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そこで習近平総書記は、党内序列6位となった王岐山を、党中央紀律検査委員会書記に据えた。そして習総書記と王書記のコンビは、「トラもハエも同時に叩く」というスローガンのもと、徹底した腐敗撲滅運動を展開していった。

以後、第18期中央委員会の5年間で、153万7000人もの幹部を摘発したと誇った。2017年秋に第19回共産党大会が開かれた時には、習近平総書記の「政敵」たちの多くが、監獄につながれていた。

王岐山書記の有名な言葉が残っている。2015年4月23日、訪中したフランシス・フクヤマ・スタンフォード大学シニアフェローと青木昌彦同大名誉教授らに、次のように説いたのだ。

「中国において皇帝というのは、『天子』と呼ばれる神である。中国ではいまでも神が統治するから、司法も必ず党中央の指導のもとに行動せねばならない。

各国の最高法である憲法は、人間の手によって書かれた紙切れに過ぎない。だから憲法が定める最高権力者である大統領は、神ではない。また日本には天皇がいて、イギリスには女王がいるが、女王も天皇も神ではない。神がいるのは中国だけだ」

いわゆる「習近平神論」である。そして習近平総書記を神のように崇めない幹部たちは、悲惨な末路を辿ったというわけだ。習近平時代の最初の5年間、政権の実質上のナンバー2は、明らかに李克強首相ではなくて、王岐山書記だった。

だが王岐山書記には、一つだけ「欠点」があった。それは年齢である。

中国共産党には、「七上八下」(党大会開催時に67歳の幹部は留任できるが、68歳以上は引退せねばならない)という不文律がある。そのため、2017年秋の第19回共産党大会の開催時に満69歳になっていた王岐山は、引退を余儀なくされたのだ。

それでも王岐山を諦めきれない習近平総書記は、ウルトラCに出た。翌2018年3月に開いた全国人民代表大会で、引退していた王岐山を国家副主席に指名したのだ。いわば「8人目の常務委員」というわけだった。

そして、同月に米ドナルド・トランプ大統領が対中貿易戦争を仕掛けると、習近平総書記は王岐山副主席と、やはり同月に経済担当副首相に抜擢した中学時代の同級生・劉鶴を含めた「3者鳩首会談」によって、対米政策を決定するようになった。李首相もこの時、留任したが、相変わらず重要決定の場からは外された。

王岐山に起きた「異変」

ところが、今年に入って、この盤石と見られた「習近平主席−王岐山副主席」のラインが、どうも怪しいのである。そのことが顕著に表れたのが、「任志強事件」である。

任志強は、任泉生商業部副部長の息子で、王岐山とは北京35中学の同級生。以来、二人は無二の親友である。任は後年、北京で不動産王となるほど成功し、「北京のトランプ」と呼ばれた。

「北京のトランプ」のニックネームを頂戴したのは、不動産王であることと同時に、歯に衣着せぬ発言が、たびたび物議を醸したからだった。胡錦濤時代に不動産の高騰が社会問題になると、「貧乏人まで家を買いたがるからマンション価格が上がるんだ」と述べた。株価が急騰すると、「学生の分際で株に手を出すような奴がいるからだ」と吠えた。

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日本で言えば「大正デモクラシー」のような胡錦濤時代の中国で、「北京のトランプ」の口を塞げる者はいなかった。それで「物言えば唇寒し」の習近平時代に代わっても、「北京のトランプ」は相変わらず吠え続け、ミニブログ(微博)のフォロアーは3700万人に上った。私もその一人だった。

異変が起こったのは、習近平政権の正式発足から一年近く経った2014年2月19日である。

この日、習近平総書記が、人民日報、新華社通信、中央電視台の「3大官製メディア」を視察し、「メディア党姓論」を説いた。かつて毛沢東主席は、「メディアは軍と並ぶ党を支える両剣だ」と述べたが、習総書記もまた、「すべてのメディアは党の色に染まれ」と命じたのだ。これは「報道の自由」の対局にある発想で、「共産党の宣伝機関になれ」ということだ。

これに怒りを炸裂させたのが、「北京のトランプ」だった。「ひょっとしてあの時代(文化大革命時代)に戻ろうってつもりか?」「人民の政府が、いつのまに党の政府に代わったのだ?」「こんなこと、勝手に変えてよいものか!」「すべてのメディアに姓があって、人民の利益を代表しないのなら、人民は捨て去られ、路頭に迷ってしまう(悲)」……。

この「(悲)」の文字がツイートされたところで、ミニブログは突然、閉鎖された。加えて、「北京のトランプ」も行方不明となってしまった。

この時、習近平総書記と「北京のトランプ」の間に入って、事態を収拾させたのが、王岐山書記だったと言われる。同年5月2日、北京市西城区の共産党委員会が「党の政治紀律への厳重な違反により、任志強に1年間の監察処分を下した」と発表した。

その後、任志強は世捨て人のようになったが、いつのまにか木彫りの芸術家に転身していた。昨年末には、北京の芸術家村「798」で初の個展を開き、かつての不動産仲間たちが祝福に訪れている。

ところが今年に入って、周知のように新型コロナウイルスが中国を襲った。すると3月、それまで6年間、沈黙を守ってきた「北京のトランプ」が、友人知人に向けて、WeChat(微信)で再び吠えた。ニューヨークタイムズ(3月31日付)によれば、それは次のような内容だった。

〈 中国政府のコロナウイルスに対する応対は間違っている。権力を渇望する一人の「ピエロ」と共産党は、言論の自由をきつくコントロールし、そのためかえってウイルスは拡散している。中国共産党はそのような愚昧さから覚醒しなければならない。1976年に「四人組」(文化大革命の主導者4人)を打倒した先進的なリーダー(蠟小平)のように、文化大革命の動乱を終わらせるのだ 〉

「習近平」という個人名こそ出てきていないものの、習近平総書記を「権力を渇望するピエロ」と称し、文化大革命時代の「四人組」に見立てている。この発言によって、再び「北京のトランプ」の消息が消えた。

先週9月22日になって、北京市第二中級人民法院がホームページで突然、その消息を伝えた。全文は以下の通りである。

〈 2020年9月22日、北京市第二中級人民法院は、北京市華遠集団株式会社の元会長の任志強に対して、汚職罪、収賄罪、公金濫用罪、国有企業成員職権濫用罪で、公開の場で一審判決を下した。

法院での審理が明らかになったのは、任志強被告人が2003年から2017年まで、職権を利用して4974万元あまりの公金を横領し、賄賂を125万元あまり受け取り、公金を6120万元濫用し、職権を利用して国有企業に特別で重大な1億1670万元あまりの損失を出させ、国有企業の華遠集団の財産を5378万元損失させ、任志強個人は1941万元あまりを得ていたことである。

法院は、任志強被告人の行為は汚職罪、収賄罪、公金濫用罪、国有企業成員職権濫用罪にあたると認識し、法に基づいて罰する。任志強被告人が自己のすべての罪行を供述したことに鑑み、すべての犯罪を事実と認める。合わせて、本人が法院の判決を認め、違法な所得を全額追加徴収したため、法院は公訴機関の量刑の建議に酌量を与え、懲役18年の実刑判決と420万元の罰金刑とする。

判決後、任志強被告人はその場で、法院の判決に服従の意を示し、控訴しないとした 〉

このように、現在69歳の任志強は、懲役18年の刑を科せられてしまったのである。出所するのは2038年、87歳の時だから、習近平政権に二度と悪影響は出せまいということだ。

今回、王岐山副主席は無二の親友を守れなかったのか? 推測するに、習近平総書記から、むしろ裏で加担していたと勘繰られている可能性がある。もしくは、李克強グループとスタンスが近くなったかだ。もともと王岐山副主席の得意分野は、李克強グループと同様、経済・金融と外交分野だからだ。

ともあれ、何かが起こっているのは確かだ。今年に入って、王岐山副主席が公の場に出る機会は、めっきり減っているからである。

胡春華と王岐山の去就に注目

「中南海」の出来事は、いつもブラックボックスだが、一つ言えるのは、習近平総書記に重用されている幹部ほど露出が多いということだ。特に国家副主席という役職は、対外的な行事に出席することが多い。いくらコロナ禍とはいえ、海外とのオンライン会議などは盛んに行われている。

ところが、王岐山副主席が今年に入って出席したと報じられたのは、以下の通りである。

1月16日 中南海でベネズエラのアレイヤサ外相と会見
2月27日 中南海でセルビアのダジエッチ第一副首相兼外相と会見
4月4日 清明節の全国各地各民族人民の新型コロナウイルスとの闘争の犠牲烈士同胞追悼集会に、トップ7とともに参加
5月24日 全国人民代表大会の湖南省の分科会に出席
9月3日 北京西郊の盧溝橋で開かれた中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利75周年の抗戦烈士献花式典に、トップ7とともに参加
9月8日 人民大会堂で開かれた全国新型コロナウイルス対抗表彰大会に、トップ7とともに参加

この9ヵ月間で、公の活動はわずか6回にすぎない。しかも、3月に任志強事件が起こってからは、個人的な会見などの活動はゼロとなっている。

9月3日と8日の活動は、中国中央広播電視総台(CCTV)の映像で観たが、王岐山副主席は腰が折れて、すっかり寠(やつ)れた様子で、トップ7の後ろに影のように付き従っているだけだった。

もしかしたら、「5中全会」で国家副主席を下ろされてしまうのではないかと懸念されるほどの凋落ぶりなのである。

以上、注目は胡春華副首相と王岐山副主席の去就である。ともあれ、今後の習近平政権の行方を占う重要な「5中全会」となることは間違いない。