いま話題の男女お笑いコンビ、「ラランド」。ボケのサーヤ、ツッコミのニシダともに、芸能事務所に所属しないフリー芸人ながら、『M-1グランプリ2019』では、アマチュアとして準決勝に進出。一気に注目を集めた。

「もう昭和じゃない、令和なんだ、お笑い界を変えて行こう」というサーヤ。それを、マイペースに見つめるだけのニシダ。9月29日から、TBSラジオで初の冠番組『ラランド・ツキの兎』がスタートする話題のコンビに、ルーツや結成秘話を聞いた。

 2人の出会いは、上智大学入学後の新歓コンパ。しかしその場は、お笑いサークルではなく、なぜか「アカペラサークル」だったという。

サーヤ「ニシダとは同じ学科で、なんとなく顔見知りくらい。私、入学前に上智大学の文化祭に行ったんですね。お笑いサークルのライブを見たら意外にもめっちゃおもしろくて、絶対入ろうと決めて。

 でも、お笑い一本だと人間関係も狭くなるし、暗い学生生活になりそうだなと思いまして(笑)」

「ひとつくらいは、華やかなサークルに入っておこう」と、行ってみたのがアカペラサークルだったという。

サーヤ「上智のアカペラサークルは、“全員パリピ” みたいな(笑)。あまりにも話が合わなくて。こっちが喋ってるのに、急に歌い出すし……もう根本的にノリが合わなかった」

ニシダ「その新歓に、僕もいたんです。で、お互いつまんなそうにしてた(笑)」

 飲み会のあと、駅に帰る途中にサーヤからニシダを勧誘したという。

サーヤ「お笑いサークルの先輩に、『同じ学科に太ってる子か、外国人がいたら連れてきて』って言われてて。そしたら、ちょうどニシダがいたんで『あ、誘わなきゃ』と(笑)。義務感的に、フォルムに反応したというか」

 ネタ作りの主導権は、サーヤにあるというラランド。中学時代からお笑いコンビを結成していたという彼女だが、芸能活動のルーツは、幼いころの子役時代にあるという。

サーヤ「何かに応募してスカウトされて、ドラマとかCMとか雑誌に出て……気がついたら子役だった(笑)。楽しかったし、おかげで今でも、人前に立つ違和感はないんです。

 小学校を卒業するころ、けっこう忙しくなっていて、そしたら親が『行事とか休ませるのは可哀想。義務教育は、ちゃんとやらせたほうがいい』みたいな教育方針に路線変更して、やめさせられちゃったんです。

 どこかで『いつか、あの世界に戻ってやる』みたいなのを持ち続けて中高一貫の女子校に行って……。お笑いの大会とか出たかったんですけど、厳しい学校だったので、出たくても出られない6年間。それが、大学に入って爆発したんです」

 一方のニシダは、元帰国子女であり、お坊ちゃん育ちでもある。こちらも超個性的な幼少時代を送っていた。

ニシダ「父親が海外に駐在してまして。ドイツに5歳から7歳まで、8歳から10歳はスペイン。11歳で日本に戻って男子校に通ってました」

サーヤ「ちゃんとイジメられてたよな」

ニシダ「ドイツではな! ネオナチの人たちに石を投げられるという(笑)」

サーヤ「ニシダの人生の前半部分を聞くと、乃木坂46の生田絵梨花さんと、まったく一緒なんですよ。住んでた国とか。そこからの踏み外し方がすさまじいというか、一歩ずつ全部間違えていった感じが最高ですね」

ニシダ「その後は、現在に至るまで紆余曲折しかないんですけど(笑)。大学に一浪して入って3年でやめて、1年間、何もない期間があって、大学に再入学して2年でやめました」

サーヤ「意味がわかんないやめ方だったしね」

ニシダ「1回めは、先生とバトってやめたんですよ。単位の取得でモメましてですね……」

サーヤ「(さえぎるように)いや、モメてないんですよ(笑)。インタビューのたびに、めっちゃカッコつけて脚色するんですけど、シンプルにテストの点数が足りてなくて、落とされてる(爆笑)。

 わりとヌルッとやめたんですけど、なぜか毎回話を盛るんですよ。不良性を出そうとする(笑)」

ニシダ「必修科目を2回落とすと、問答無用で強制退学ってルールが厳しすぎたんですよ!」

サーヤ「でも、今まで退学になった同級生って、クラブ通いしてる遊び人の女の子しかいなくて、ビッチ、ビッチ、ニシダって順でやめたんで(爆笑)。『あいつ、なんなんだ?』って、同級生の間で話題になってましたね。

 ニシダは大学退学後もサークルには通い続け、コンビは継続した。1年間の「本当に何もしていない」ニート生活を経て、なぜか復学した。

ニシダ「必修以外は、けっこう単位取ってたんで余裕だと思ってたら、復学した場合には2年間で取るべき単位が決まってまして、また退学。あれは大学の罠ですよ!」

サーヤ「ニシダは、『なんで、先生は言ってくれないんだ!』って怒ってましたけど、その姿勢・考え方が、2度の退学の原因というか(笑)。大人ですからね、年齢的には」

ニシダ「やめたとき、25歳でした」

 一方のサーヤは、ストレートで卒業して就職も決めた。

サーヤ「お笑いは続けようと思ってて、でも実家にもお金を入れなきゃいけない事情があったんですよ。それで、ベンチャー系企業を狙って就職試験を受けてたんです。

 面接で、『お笑いの活動がしたいんです』ってジャブを打ったら、おもしろがってもらえて、スルッと入れました。しかも部長さんがお笑い好きで、『どんどん有給取れ』『ライブやれ、場数を踏め』って……もうマネージャーですよね(笑)。

 それで自由に芸人活動してたら、有給じゃ足りなくなってきたので『やめたい』と言ったら、部長が大喜びしちゃって。『俺が育てた!』って言いたいんですよ、きっと。今は転職しまして、広告の会社で、ラジオアプリの広報、SNS周りとかを担当してます」

ニシダ「当時、僕は大学生だったので、彼女の仕事が終わるまで、ただ待ってる(笑)。時間がありすぎて、毎日、市ヶ谷の釣り堀にいました。収入も、ほとんどなかったし」

 コンビ内の格差がどんどん広がっているが、ニシダは、どうやって今まで生きてきたのだろうか。

ニシダ「実家暮らしでしたから。お小遣いは……も、もらってなかったです。まあ、もらってたこともあるんですけど」

サーヤ「今は?」

ニシダ「今は……親とほぼ関係が破綻したんですよ。もとから仲よくなかったんですけど、今はMAXで仲悪くて、後輩の家に転がり込んでます」

 若手芸人によくある、「芸人の後輩と一緒に住んでいる」ということかと思いきや……。

ニシダ「探偵です(爆笑)。大学の後輩なんですけど。 」

サーヤ「探偵事務所に勤めてて、浮気調査ばっかりしてます。血眼でカーセックスの写真を撮ろうとしてるよね」

ニシダ「ホテルは、“入り” と “出” と、両方の写真が必要なんですって。カーセックスなら、完全な証拠になるから一発で仕事終わると。まあ、そいつのところで居候です。何もしてないです」

サーヤ「普通、芸人は売れなくても、バイトしながら泥臭く頑張ってるからカッコいいんですけど、泥臭くもないし……。時間があるならお笑いのネタを考えるとか、役に立つことをすればいいのに、ただただ時間を潰してるだけなんです」

 紆余曲折はありつつ、軽やかに芸人活動を続けてきたラランド。テレビにも多く出演するようになった2020年9月、後に「伝説回」と呼ばれる『アメトーーク!!』の収録を迎える。
(次回に続く)

ららんど
2014年、上智大学の同級生だったサーヤ(ボケ、現在は現役OL)とニシダ(ツッコミ、現在はニート)によりコンビ結成。事務所に所属していない、フリー芸人。コンビ名の由来は、地球から8.21光年の距離にある恒星「ラランド21185」から。9月29日よりTBSラジオにて、初の冠番組『ラランド・ツキの兎』(火曜21時30分〜22時)が始まる。最新情報は、公式サイトをチェック