法人ドライバーにもかかわらず、年収1000万円を稼ぐ中山さん(仮名、写真:筆者撮影)

タクシー業界において、一般的には法人よりも個人ドライバーのほうが稼げるとされている。とくに高額の売り上げを上げるドライバーほど、この傾向は顕著となる。

理由は単純明快。法人のほうが諸経費や保険など売り上げから引かれる金額が多いからだ。地域や企業により多少の誤差はあるが、法人の場合は売り上げの55〜60%がドライバーの収入となる。これに対して、個人の場合は60〜70%程度が自身の懐に入ってくる金額だ。

時間的な縛りがない個人と比べ、法人ドライバーは決められた勤務時間の中で売り上げを上げる必要が生じる。つまり、法人のトップドライバーは効率性を突き詰め、1日当たりの乗車回数を伸ばすことに注力しているわけだ。

同じ年収でも、個人と法人だとその意味合いやハードルも大きく異なるともいえるだろう。これまでの取材経験を基にいえば、法人で1000万円を超えるドライバーは東京の「なか」(中央区・港区・千代田区)を拠点とする、ほんの一部のドライバーしかいない。

待ち合わせ場所の東京・田無の喫茶店に現れた中山さん(仮名・50代)は、業界大手のタクシー会社に勤める、去年の年収が1000万円を超えたひと握りのドライバーの1人だ。

破天荒すぎる営業スタイル

タクシー業界に足を踏み入れたのは11年前。自身の経営する企業が倒産し、膨大に膨れ上がった借金を返すため、消去法的にタクシー業界へと転職したという。そこから小規模のタクシー会社を4社渡り歩き、業界大手へと移った経緯がある。

「この業界で働くと決めた最初に面接を受けたのが、最大手の某社だったんですね。当時はタクシー会社の面接で自分が落ちるわけがないと思っていたんですが、面接官に『借金はありますか』と聞かれて、正直に『あります』と答えた結果、落とされました。

ショックでしたが、今思うとあの悔しい経験があとに生きてきた。小さな会社からスタートして、ガツガツやった結果、1年目から年収800万円を超えてきました。それからはトントン拍子に年収が上がっていった。

今でこそ思いますが、法人で働く場合は大手よりも小さなところのほうがいい。理由は規則が緩いことと、多少の融通は聞いてくれるので。とくに私のようにガツガツやるタイプで、特殊な営業スタイルのドライバーはそういえるでしょう」

一般的に法人ドライバーの営業スタイルは、街中での「流し」と、特定の場所の「着け待ち」に分類される。中山さんの営業も、六本木と銀座に特化した「着け待ち」。だが特異なのは、この2カ所に100を軽く超える固定客を持っていることだ。長距離がメインでない顧客も含めると、リストの数は200にも上る。

前提として、法人ドライバーで顧客を持ち、維持することは非常に難しいとされる。勤務日数の少ない法人ドライバーが、顧客を回し続けることは不可能に近いからだ。もう1つは、予約を1人でさばききる術を持たないことが挙げられる。

だが、中山さんはいかにも泥臭い手法でこの2つの問題を解決した。

「去年までの話ですが、東京の売れているドライバーだと年収800万円くらいまではいく人が結構多い。だが、その先を超えるのが本当に難しいんです。効率を考えると、法人でも顧客を持たないとプラスアルファの200万には届かないと気づきました。

今の会社は多く入れて1カ月で約20日出勤(夜勤のみ)で、1カ月で140万円を稼ぐためには1日約7万円が必要。この数字を週末や繁忙期で達成するのは難しくないが、常時キープとなるとハードルが高い。そこで同じように顧客を持つドライバーのコミュニティーに参加したり、積極的に会いにいくようにしたんです。

その結果、今は予約を受けて私が休みのときに仕事を手伝ってくれる仲間が20人くらいになりました。以前の同僚や、個人の方まで幅広い層です。そのメンバーの半分くらいが顧客を持っていて、お互いに回しあうので、結果的にはWin-Winなんです。私の場合は、グループの総計で300人近いお客さんがいる計算になりますね」

このグループのほかのメンバーにも話を聞いたところ、中山さんはグループ内でも顧客の数が多く、一目置かれる存在だという。中山さんの“営業術”とはどのようなものなのか。

「六本木と銀座にいるとき限定ですが、9割以上の方に車中で営業をかけていますね(笑)。もちろん嫌がられる方もいますが、だいたいの人はタクシーで営業をかけられると思っていないから、案外受け入れられるんですよ。

100人声をかけたら、そのうちの10%くらいがまた使ってくれて、その中でいいお客さんとして残っていただけるのが3割くらいです。今までの仕事で散々挫折を味わってきたので、声をかけるくらいは痛くもかゆくもないですよ」

中山さんは「営業なんて断られてからが仕事」と力強く言う。法人ドライバーとしては異色ともいえるそのスタイルの背景には、歩んできた人生と重なる部分が大きい。

中山さんがたどった数奇な人生

タクシードライバーはさまざまな経歴を持つ人が流れ着く職業ではあるが、中山さんの軌跡は取材対象者として非常に興味深く映った。

福岡県の田舎町で生まれた中山さんは、地元の高校を卒業後、福岡県内の大学に進学した。祖父は鉄工所を経営し、代々受け継がれてきた広大な農地を借地として貸していた。地元でも裕福な家庭だった、と回顧する。

だが、福岡にこのままとどまる安定した人生に疑問を感じるようになった。1年ともたずに大学を中退し、仕事のアテもない状態で単身上京した。

あこがれた東京では仕事も選び放題だったという。21歳のときに、大阪に本社を置く業界最大手の清掃業務全般の販売などを行う企業へと就職している。歩合制の営業職として採用され、4カ月後には月収50万円を達成。1年が経つころには営業所内で成績トップへと登りつめたという。

「新規で契約を取ってくるという点に関しては、能力があったんでしょうね。理由はシンプルで、ガツガツいけるし、断られても何の苦にもならない性格だったので。ほかの営業が10社回るところを、その倍は回っていました。20歳を超えた程度の若造がそれだけ契約も取れて、金もある。誘惑が多い東京で、絵に描いたように見事に調子にノッちゃったんです」

もともと、東京でひと山当てたいという思いで上京したこともあり、中山さんが本業以外のサイドビジネスに手を出すのも早かった。オフィスコーヒーのFC販売にも絡み、下北沢の居抜き物件で飲食店を開業。そして、青山で弁当配達のデリバリーも開業したのが22歳のときだ。

だが、いずれもうまくいかず、借金を抱えた。ストレスから、私生活でも渋谷の裏カジノにハマり、毎週末10万円以上を散財した。3年が経つころには、借金の額は600万円に膨れ上がっていた。

実は、この時期に結婚も果たしている。現在は3人の子どもの父でもあるが、中山さんには当時から今に至るまで家庭サービスをしたという記憶がない。

起業で内部留保が3億円を超えたが…

4年務めた清掃会社では、つねに成績はトップだったという。だがビジネスで失敗し、顧客を回せなくなってきたという負い目から、退社を決意した。

「優に800万円はもらっていましたから、もし辞めなければ今ごろどうなってるのかな、とは時々思います。でも当時はプライドもあったので、哀れな目を向けられながら仕事を続けるという選択肢を持てなかったんです」

退職後は出張マッサージ師、携帯販売の営業、カレー屋を開業するなど、さまざまな職業を転々とした。興味深いのは、いずれの業態でもトップセールスとして1000万円近い年収を稼いでいることだ。そして、いずれも数年で成績は下降し、別の道へ舵を切っている。

30歳でNTTの代理店業務を請け負うようになり、軌道に乗ったことで起業した。3年後には売り上げが1億円を超え、内部留保金も3億4000万円を超えるほどになった。

しかし、好調のときこそ必ず落とし穴にはまってきたのも、中山さんの人生でもある。

「父親がギャンブル狂で、祖父の財産もすべて溶かしてしまったんです。だから自分はギャンブルだけはしないと決めていたんですが、結局血は争えないということなんでしょうね。信用取引にはまってしまい、留保金もどんどん消えていった。会社をたたむ前には全財産である700万を持ってラスベガスのカジノで勝負して、すっからかんになってしまった(笑)。

その後、会社を潰したことで心を病んでしまい、地元で療養していたんですが、上京資金として手元に残していた20万円もオートレースで負けてパー。結局、親父と一緒でバクチで人生が狂ってしまったから皮肉ですよね。

ただ、本質的なところでいえば、仕事を取ってくる力はあるけど、その顧客を守り、伸ばしていく力が私にはなかったということです。そういう意味では、タクシーの仕事は合っているのかもしれません」

タクシーの仕事は自身に合うと話す中山さんだが、業界の風習や旧態依然の体質には強い嫌悪感を抱いているという。これまで働いた会社では圧倒的な数字を叩き出してきたことから同僚のやっかみも受け、退社を余儀なくされたこともある。

「以前働いていた2社では、同僚から役員に『あいつは運転が荒い』『お客様からクレームが来ている』『他社のドライバーと手を組んでいる』などと告げ口され、定例会や忘年会で役員から名指しでつるし上げられたりもしました。確かに私のやり方は強引だし、法人でこれをやり続けることで敵も多くなる。

でもね、そんなことはどうでもいいし、結局はいくら稼げるかが勝負の世界。これは私も含めてですが、稼ぐドライバーはすべてで荒い面がある。運転もそうだし、性格もそう。効率を重視するあまり、事故を起こすこともある。

でも、そんなガツガツいく強引なやり方だと限界が来るんだな、ということも強く感じています。去年くらいから、休みの日にお客様と飲みにいったりするようになり、仕事に対する考え方も変わってきました」

中山さんにもコロナ禍は例外でない

新型コロナウイルスの影響もあり、今年は前年比で約20%の売り上げ減にも直面している。その他大勢のドライバーに比べるとこの減少幅はかなり小さいといえるが、やはりコロナ禍の影響は受けているのだ。そして、おそらく去年までのような世界線に戻ることはもうない、と中山さんは言う。

「どれだけ突き詰めて頑張っても、法人だと月収で90万〜100万円が天井なんです。私の場合、ほとんど乗客が途絶えることがないレベルでやってきて、1人当たりの単価も悪くない。ただ、ここがもう限界だとも思っています。人々の意識が代わり、おそらくコロナ前のような水準に戻ることはもうないでしょう。

ドライバーとしてもそうですが、私の人生は“成功できない”というコンプレックスを補うことをモチベーションにしてきた。だから借金まみれでも、自己破産だけは意地でもしなかった。そのために家族には迷惑かけてきましたが、私の人生で誇れることがあるとするなら、それでも妻は黙ってついてきてくれて、離婚に至らなかったことでしょうか」

中山さんはこの業界に入って以降、家族と過ごす時間が増えたという。借金完済までの道のりは遠いが、2年後に有資格を得る個人タクシー開業のための準備を進めている。