<純烈物語>夢を叶えた直後に訪れた 「八起」の焼き肉は紅白初出場の味<第64回>

写真拡大

―[ノンフィクション連載「白と黒とハッピー 〜純烈物語」]―

◆<第64回>夢をかなえた直後に訪れたメンバーたち。「八起」の焼き肉は紅白初出場の味

 グループ結成以前から酒井一圭を応援していた「焼肉八起」のおかみ・唐澤時子さんにとっても待望の、純烈デビューシングル『涙の銀座線』が2010年6月23日にリリース。歌の教室に通い始めて最初に習ったのが演歌だったため、なんの抵抗もなく入っていけた。

 その頃は紅白歌合戦出場など夢のまた夢。おかみさんも「厳しい歌の世界で簡単に有名になれるわけがない」と理解しつつ、それでも純烈が途中でダメになるとは微塵も思わなかった。

「純烈さんが“夢は紅白、親孝行”ってバン!と出した時に、これはいい言葉だなと思って店の中へ貼り出すもの全部にこのセリフを入れたんだっけ。あたしらの世代からすれば紅白っていうのはトップ中のトップだから、その名前を出されたら“夢の紅白→よし、いこうぜ!”ってなっちゃって、いけないなんていう思いは浮かんでこないのよ。出られると信じる以前の問題。だってさ、無理だなんて思ったらポスター貼らないわよ」

 酒井からボイストレーニングをはじめこういうことをやっていると聞かされるたびに、おかみさんの脳内には純烈が日本中の人々を楽しませている情景が浮かんできた。口に出し直接本人たちには言わずとも、いつの日かそれが現実になるのを予見していたのだ。

 そんな純烈のステージを初めて生で見たのは、まだ6人編成だった頃。マヒナスターズと共演した東京のステージで、それは生バンドによるライブではなかった。そのあと、町田の鈴木楽器へキャンペーンに来た時も足を運んだが基本、土日はとくに店が忙しいためいけない。

 近くにあるグリーンホール相模大野へ純烈が来た時は若手歌手との“対バン”でワンマンではなかった。ここでおかみさんは、初めてメンバーと写真を撮る。それまでは「応援してね!」と店のお客さんに言って一緒に撮影したものに限られていた。

「でも、その時よりも一番忘れられないのが2度目にグリーンホールへ来た時のステージ。前回は生バンドじゃなかったのが、幕が開いたらドーン!と生演奏で始まったの。あれは嬉しかったよねえ。

 そのときは満員じゃなかったのが、満席になって。一緒にしちゃいけないけど子どもがお遊戯しているのを見て泣く親の心境みたいなものでさ、ここまで来たかーって。今思い出しても涙が出ちゃう。そりゃ紅白に出た時も嬉しかったけれど、そこまでが大変だったんだから。『よくここまで頑張ったね。ここからは、もういけるよ』って」

 ファンの方々も心得ていて、おかみさんを誘うなら月曜or火曜。その分のチケットを押さえてくれるので店が忙しいなか、助かっている。中野サンプラザ、浅草公会堂、なかのZERO大ホール、前川清の50周年記念明治座公演と足を運ぶ一方、NHKの『うたコン』にも「ハガキを出して1枚で2名観覧できるのでいきますか?」と誘われ収録に参加。

 当選するために何十枚と書いて送っていることを知り「そんなに大変だったの!? それなら自分でやらなきゃ!」と、毎回30枚ぐらい応募するようになった。ファンとの血が通った交流とともに、純烈もどんどんステータスをあげていった。

◆聖地・東京お台場 大江戸温泉物語にも誘われることに

 そのうち、聖地・東京お台場 大江戸温泉物語にも誘われる。昼の部に続き夜も座敷にちょこんと座っていると、酒井が驚きながら「今日は八起さんが来ています!」とステージ上から紹介。いっせいに純子・烈男の視線が集まる中、旦那の章さんと2人で下を向き続けた。

「色紙の話や『店で歌をかけてくれるんだよ』ということを酒井さんが紹介してくださったんだけど、大勢の中であたしたちは2人だけだからビックリしちゃってね。ありがたいんだけど、この状況はどうしたらいいの?って固まっちゃった。お店だったら立ち上がって『はーい!』って手をあげられるけど、みんなが同じ条件の中で『八起でーす!』って言うわけにはいかないじゃない。