5年ぶりにTwitterを再開した辻元清美議員

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国会運営は与野党の「国会対策委員会」(国対)という、実は法的根拠のないシステムに依存していることをご存じでしょうか? 事実上、与党と最大野党の、二人の国対委員長が特別な権限を持っているのですが、いまだその実態については古い談合政治のようなイメージでしか捉えられていません。

2017年10月、史上初の野党第一党の女性国対委員長となった辻元清美議員が見てきた、官邸による「国会無力化計画」とは何だったのでしょうか。『国対委員長』(集英社新書)の著者・辻元議員に、本書の見どころを紹介してもらいながら、「ネットと政治」について、いま考えていることを明かしてもらいました。

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■最悪のタイミングで国対委員長に

4年ぶりに本を出すことになりました。タイトルは『国対委員長』です。

政治の世界にいる者からすれば「国対」は日常用語なため「そのまんますぎないか」という気がしたのですが、「いや、みんな聞いたことはあってもよく知らないですから」と背中を押してくれた編集者の藁谷浩一さんの調べによれば、おそらく書名は初出、類書もほぼ見当たらず、とのことでかえって驚きました。この仕事の実相が知られていない、いやむしろ隠されてきたのかなあと。

確かにテレビのニュースで「与野党の国対委員長が今出てきました」という中継が流れると、強面の男性ばかりで秘密を持ち合い、裏で国会を牛耳っているというイメージを持つ方もいるのでは。古き55年体制下の談合政治の温床と見る方も多いと思います。

そのドロドロした(?)国対で、野党全体を率いて自民党国対委員長とサシで交渉する役割に、こともあろうに私がつくことになったのが2017年総選挙の直後。安倍政権の勢いは最高潮、野党は希望の党の「排除騒動」を経てバラバラ、という政治的には最悪のタイミングでした。

与党はもちろん、野党第一党の国対委員長が女性というのは史上初めてということで、私の一挙手一投足が報じられるようになりました。本当に、トイレに行くにも10名くらいの記者を引き連れて行かねばならないくらい。

私の目の前の交渉相手は自民党国対でしたが、安倍官邸が様々な茶々を入れてきていたことは明白でした。私と安倍総理は「正反対の存在」として20年前から比較されてきた歴史があり、実際に予算委員会などでも誰より鋭く対峙してきたと思います。そんな相手が国会における一方の「最高権力者」になったわけですから、これはもう安倍総理としたら「この機会に潰してやろう」くらい思っていたのではないでしょうか。それくらい、就任当初の嫌がらせは酷いものでした。

■「国会17連休」と書かれた水面下で

「2年生議員たちがテレビに出たいと言っているから、野党の質問時間を削れ」と与野党の質疑時間を逆転させようとしたときには、「自民党はどうなっちゃったのかしら」とむしろ心配になりました。一昔前の自民党なら、2年生がそんなことをしようものなら先輩たちに説教されて雑巾掛けからやり直し、というのが常道だったはず。官邸のお墨付きがあったからこそ、若い議員たちも下手な芝居を打てたのでしょう。

そこまでして野党の(もしかしたら私の)存在価値を奪おうとしたのであれば、やはり安倍さんはわかっていなかった。私が国対委員長を務めた2年間、安倍総理は立法府全体を無力化しようとしていたと思います。これではむしろ物事は動かない。「安倍一強」下ですら悲願の憲法改正は1ミリも進められなかったのは、与野党を超えた立法府の矜持が掘り起こされたせいではと思います。そうした暗闘の歴史を本書に書きました。

何をやっても怒られるのが国対というお役目ですが、「国会17連休」と一部メディアに書かれたときは悔しい思いをしました。政治部の記者が、そういうときにこそ水面下で血を吐くような交渉が行なわれていることを知らないはずはないだろうし、事実、私たちが国会を止めなければ、あのとき柳瀬唯夫元首相秘書官の「記憶」が戻ることはなかったでしょう。

官邸が経済界の要求で営業職に裁量労働制を導入しようとしたときには、二階俊博幹事長を夜12時まで一歩も外に出さず国会論戦の糸口をたぐり寄せました。本書では「なぜ野党は国会を止めるのか」などの国会の舞台裏を、具体例で書かせていただきました。国会論戦をより「深く」見ていただくために、ぜひ手にとっていただければ幸いです。

■Twitterデモに見た希望

さて本書にはもう一つのテーマがあります。「ネットと政治」です。私は長い間、ネット上のデマで苦しめられてきた(もちろん今も)わけですが、やはり藁谷さんと組んで作った前著『デマとデモクラシー』(イースト新書)を出した頃に比べると、ネットのあり方についての議論は進んだと思います。

私が最も攻撃を受けていた当時は「フェイクニュース」という言葉すらなく、したがってフェイクを検証する動きもなくて、デマを撃退するのに一つ一つ自分たちが手作業でやらねばならなかったのですから。

ただ、同時にネットの発信が人々の実生活に大きな影響を及ぼすことになり、痛ましい事件を引き起こすようにもなりました。ネットの中傷で若い女性が自ら命を絶つ事件も起きましたが、中傷した人たちはさっと書き込みを削除したりアカウントを消したりしているそうです。匿名性の高い世界で、誰か影響力の高い人が「こいつは叩いていい」とフラグを立てたとき、イナゴの大量発生のような攻撃がやってくるのです。

私がTwitterを始めたのは東日本大震災の直前ですが、災害ボランティア担当の総理大臣補佐官として震災対応にあたっているときに、Twitterに多くの孤立情報が寄せられるようになり、私は自分で全てコメントを読み一件一件対処していました。「誤情報も多いが、これは災害時のツールとしてすごい!」と張り切っていました。

ところが、ある新聞記者が私に関する自衛隊のデマなどを事実として書き、それがきっかけで大炎上したことから、孤立情報の100倍もの量の誹謗中傷で私のTwitterは埋め尽くされるようになりました。でも見ないわけにはいかない......ただでさえ泊まり込みの日々が続く中、私も秘書もかなりメンタルを削られました。

しかし公人としてツールを使っている以上、ネット上のチャンネルを簡単に閉じるわけにもいきません。悪戦苦闘しているうちに、私の場合、デマを信じた人から演説中に襲われて秘書が殴られたり、脅迫状とカッターの刃、果ては銃弾まで送られてきたりするようになりました。結局、Twitterの更新を止めました。

もしもこうした情報操作が意図的にされているとしたら。それも、「官邸」という権力の中枢が広告代理店や大手メディアも使って仕掛けてきたとしたら。私のような一議員はひとたまりもありません。

前著を出してから今までの間に、私は「官邸主導」としか思えないメディアミックスの連携プレーで散々な目に遭いました。一連の森友事件がそうです。本書にもその経緯を少しだけ書きましたが、真実を明らかにするために発言することが、自分の心身を大きな危険に晒すことになる、それを政治が加速させていると実感させられてきたのです。

ただ、安倍政権末期に多くの人が参加したTwitterデモは、私たち野党が必死でやっていた国会論戦を広く世に知らしめました。普段は政治的発言をしない著名人やアーティストたちが声を上げ、最終的には検察庁法改正をストップさせることができました。

私はこの動きを見て、「声を上げ続ければ、応えてくれる人たちが必ずどこかにいる」と希望を持ちました。SNSメディアを恐れるだけではなく、使いこなす――までは無理でも、せめて自分に合うギリギリの方法を試してみる――まではやってみようと覚悟を決めました。

とくに今、新型コロナで多くの人たちが苦しい生活を送り、「自粛警察」などという動きもあって世の中が萎縮する中、言いたいことが言いづらく、政権批判など論外――という空気がじわじわと満ちてきているように思います。

これはまずいなと、思い切って5年ぶりにTwitterを再開しました。「再開します」と動画で発信したら、それが5日で100万回も再生されるという異常な事態となったようで......やっぱり「怖い」は「怖い」ですね......。

■辻元清美(つじもと きよみ)
1960年奈良県生まれ、大阪育ち。衆議院議員(大阪10区)。早稲田大学在学中に国際NGO設立。1996年、衆議院選挙にて初当選。2000年、ダボス会議「明日の世界のリーダー100人」に選出。連立政権で国土交通副大臣、災害ボランティア担当内閣総理大臣補佐官就任。2017年10月、立憲民主党の結党時より同党の国対委員長を2年間務めた。立憲民主党幹事長代行、衆議院憲法審査会委員、NPO議員連盟共同代表。著書に『いま、「政治の質」を変える』、『デマとデモクラシー』など。

■『国対委員長』著者:辻元清美
定価:本体900円+税
官邸から立法府をまもれ――。元自民党副総裁・山崎拓氏との特別対談収録。
国会運営は、与野党の「国会対策委員会」(国対)という法的根拠のないシステムに依存している。事実上、与党と最大野党の、二人の国対委員長が特別な権限を持っているが、未だその実態については古い55年体制の談合政治のようなイメージでしか捉えられていない。2017年10月、史上初の野党第一党の女性国対委員長となった著者が野党をとりまとめ、時に与党と手を組んでも食い止めようとしたものは何だったのか。公文書の改竄・隠蔽が続き、官邸による「国会無力化計画」が進行したこの間の舞台裏を初めて明かす。

文/辻元清美 構成/集英社新書編集部