娯楽が多様化している中で、プロ雀士の金太賢さんが見据えた麻雀界の未来とは?(筆者撮影)

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第82回。

「雀王」「麻雀最強位」を獲得したプロ雀士

金太賢(キム テヒョン)さん(37歳)は、日本プロ麻雀協会に所属するプロ雀士だ。


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2017年に団体最高タイトル「雀王」を獲得、その年の『近代麻雀』(竹書房)が主催する麻雀のタイトル戦「麻雀最強戦」にて「麻雀最強位」も獲得した。

プロ麻雀の世界は非常に厳しい。

プロの資格を持っているだけでは、稼ぐことはできない。テレビなどのメディアに出演する、書籍を書く、大会に出場し賞金を稼ぐ、などそれぞれ稼がなければならない。

セルフ・プロデュースがとても大事だ。

金さんは8月に『麻雀「超コスパ」上達法』(彩図社)という、初心者向けの麻雀入門書を発売された。本を出版できるのは、人気プロ雀士の証しだ。

金さんはなぜ、プロ雀士になったのか、


『麻雀「超コスパ」上達法』(彩図社)

そして現在どのように稼いでいるのかを聞いた。

金さんは兵庫県神戸市で生まれ育った。

「名前から誤解されることもありますが、生まれも育ちも日本です。現在も在日韓国人で帰化はしていませんが、私はそこにあまりこだわりはありません。小さい頃は名前のせいでイジメられることがありましたけど、成長してからはとくに問題はありませんでした」

小さい頃から成績はよかった。とくに算数、数学は好きだった。

「麻雀は数学までは必要ありません。算数レベル、パズルレベルだと思います。ただ物事を“理屈で考えられる人”のほうがより強くなれると思います」

ただし子ども時代は麻雀には出会わなかった。

中学校ではバスケットボール部に入りキャプテンになった。中学校3年生では、バスケ部のメンバーでバンドを作り、ドラムを担当した。これに大いにはまった。高校に進学しても、バンドは続けたいな、と思った。

明るい青春を過ごした。

「その頃はまだ将来の夢とか、まったくなかったですね。みんな高校くらいは行くし、行っとくか、くらいの感じでした」

成績的には進学校にも行けたのだが、より楽しそうな学校はないか探した。

私服でOK、土日が休み、という点が気に入り、神戸市立工業高等専門学校の電子工学科に進学した。

勉強は親に文句を言われない程度に、こなしておいた。軽音楽部とバスケ部の2つに入り、どちらも楽しんでいた。

そんな折、クラスの友人たちが教室でカード麻雀をしているのを見かけた。何でも経験だと思って挑戦してみると、これが面白かった。のめり込みそうになったが、高校2年まではまだ軽音楽部の活動がメインで、麻雀はたまにやる程度だった。

「それから高校3年生から5年生(高専は5年制)までは麻雀にずっぽりとハマりましたね。いったんハマると、長いたちなんです」

クラスメイトには10人近く麻雀をやる仲間がいた。泊まっても怒られない友人宅で、みんなで徹夜で麻雀をした。

授業が終わった後の教室で麻雀を打っていたら、さすがに先生に怒られたので、学校近くの公園に移動し東屋で打った。

1人でいるときも、ゲームボーイの麻雀ゲームでポチポチと遊んでいた。

金さんは、その頃から麻雀は強かったのだろうか?

「今思えば強かった気もするのですが、そんなに覚えてないんですよね。当時は、自分がいちばん強い!!みたいなのは二の次でした。友達と一緒にいられる時間が大事でした」

高専卒業後は電機メーカーに就職するも…

高専を卒業すると、大学には編入せず電機メーカーに就職することにした。

家電製品のプログラムをするのが仕事だった。具体的にはリモコンのプログラムを制作した。当たり前に、

「定年までここで働くんだろうな」

と思っていた。

入社した春から夏までは、仕事を頑張った。だが仕事が慣れてくると段々、麻雀が打ちたくなってきた。週末、遊びで打つことはあったが、それだけでは物足りなくなった。

「入社したときは『この部署にいたら、お金が貯まるよ』って言われてたんです。ただ、働いてみるとお金が貯まると言うか、単に使うヒマがないだけなんですね。ただ、ブラック企業というほど忙しいわけではないんですが、なんだか毎日が楽しくなかったです」

同僚を見ても、やっぱり楽しそうではない。平日は仕事をして、土日はめいっぱいエンジョイする、と切り替える人もいたが、金さんはそういうタイプではなかった。どうにも息苦しく、

「僕にはサラリーマンは向いていないんだ」

と思った。

そして何より、麻雀で生きていきたいという気持ちが湧いてきていた。高校時代からずっと好きだった、麻雀で食べて行けないか?と考えた。

「どうせサラリーマンを辞めるなら、好きなことをして生きていきたいと思いました。ただこの段階では夢は『プロ雀士で稼ぐ』ではなく『麻雀で食べていきたい』とやや控えめな希望でした」

会社を辞めた22歳の年は、神戸市内でフリーターとして生活していた。

日雇い労働をしたり、工場やイベントの設営などをしてなんとか生計を立てていた。

アルバイトをしながらも、プロの対局を見たり、麻雀の本を読みあさったりと、麻雀の勉強は欠かさなかった。

麻雀のプロ試験は、年に2回行われていた。金さんの腕を知った、日本プロ麻雀協会からは誘われていたが、まだ踏ん切りがつかず7月の試験はパスした。

そして半年後の1月に試験を受けて無事合格した。

「プロ試験は、履歴書を送り、面接を受け、実際に麻雀を打って作法や打ち方を審査されます。就職試験と似ていますよ。麻雀が好きでちゃんと勉強していたら、プロ資格を取るのはそれほど難しくはないと思います。

ただ、プロ資格を取ってもそれで食わせてもらえるわけではないです。年会費やエントリーフィーを払わなければならない分、より大変になります」

麻雀プロの厳しい生活

麻雀プロになっても、生計はそれぞれが立てていかなければならない。そこが麻雀プロのいちばん厳しいところだ。

「現在2000人のプロ資格者がいますが、メディアへの出演料や、本の出版などで稼げる人はほんの一握りです。ほとんどの人は二足のわらじを履いていますね。半分くらいの人は、普通にサラリーマンをしながらプロを続けていると思います」

金さんも、二足のわらじを履きながらプロ活動をしてきた。現在も大手の健康麻雀店(賭け事NGの雀荘)で働いている。

プロとして活躍するには、とにかくリーグ戦を勝ち上がっていかなければならない。

金さんは、記録的なスピードで昇級し、26歳のときには、20代ではまず入ることができない最上位のリーグ戦に入ることができた。

その最上位のリーグ戦で1年間戦い抜き、上位3位に入ると、前年度のチャンピオンを含めた4人でその年のチャンピオン『雀王』を決める。

4人で丸4日打つ熾烈な戦いだ。金さんは、20代で3度も雀王戦に出場した。

「20代のときには1度も勝てなかったですね。運ではなく、あと一歩実力が足りていなかったと思います」

ちょうど働いていた麻雀店でも出世して、そちらの仕事もかなり忙しくなっていた。

そもそもの夢が「麻雀で食べていきたい」だから、麻雀店で働くのは苦痛にならなかった。ただ、プロ対局のことだけを考えると、もっと勉強をしなければならないな、と思う。そこにジレンマが発生する。

「同じリーグに出ているほかの選手の試合は絶対に見なければいけません。ライバルの研究だけで、結構な時間を使います。

仲間同士で研究会も開きます。4人の仲間で打って、打ち方が正しかったかどうか吟味します。そうやって勉強すればするほど、強くなっていくのがわかります。

ただ、勉強自体はお金が発生するわけではありません。生活するには仕事をしなければいけませんから、勉強と仕事のバランスが難しいんですね」

20代半ば頃に、CSで放映されている麻雀番組に出演する機会があった。金さんが昔から視聴していた番組だった。

夢の舞台にプロになって4〜5年で出られたのは純粋にうれしかった。

「でも全然ダメでした。ガッチガチに緊張してしまって、悲惨な結果になりました」

せっかく出演できたのに、自分を出せずに終わるなんて!!とひどく後悔した。こんなことが二度とあってはいけないと思い、カメラの前に出る仕事はなんでも受けることに決めた。それからはノーギャラのインターネット配信の番組にも出演するようにした。

「番組にどんどん出演していると、すぐにカメラ慣れしました。今では『みんな見てくれ!!』って感じです(笑)。カメラの前で打つのが、いちばん楽しいですね。

テレビ中継に出ている若い雀士を見ると手が震えていたりします。そんな彼らを見ると、

『最初はそうだよな。頑張れ』

って応援します。

今はコメントの文化ですから、視聴者からひどい悪口が書き込まれることもあります。私は幸いメンタルが強かったのでそこまで傷つかなかったですが、陰で泣いている人もいます。かわいそうだと思いますが、そういう悪罵にも耐えるのもプロの仕事なんだと思います」

大会に出て優勝すれば賞金を手にすることができるが、最高金額も300万円くらいであり、賞金だけで食べていける額ではない。

「賞金だけで年間600万円稼いだ年がありましたが、それっきりですね。賞金だけで、生計を立てるのは難しいと思います。プロ麻雀士は2000人いて、その全員で賞金を取りにいくのだから、なかなか手に入れるのは難しいです」

20代では取れなかった雀王の称号だが、2017年にやっと取ることができた。ただし、30代初めでの獲得は決して遅くはない。

「とにかくめちゃくちゃうれしかったですよ。ようやく取れたって。自分の中ではタイトルを取るまでに、思っていたより時間がかかってしまったなという感じでした」

雀王をとってからは、仕事が変わってきた。

他団体との交流戦などに出場することができるようになる。その1つが、「麻雀最強戦」だった。そして「麻雀最強位」も獲得した。

金さんの快進撃が進む中、麻雀界そのものが徐々に華々しくなってきた。

まずアベマTVが始まり、麻雀の番組が放送されてプロが注目されるようになってきた。人によっては、アイドルのように女性ファンがついた。

「昔は、麻雀プロのファンって、自身も麻雀が強い人が多かったんですが、今はそんなことはなくなりました。麻雀のことはあんまりわからないけど、番組は見てるって人が増えました」

「Mリーグ」発足という激震

そして麻雀界でいちばんの激震だったのは、2018年の「Mリーグ」の発足だった。団体の垣根を超えて優勝を争うスポーツ大会だ。

優勝賞金は5000万円と、今までの賞金とは桁が違った。そして選手には年収400万円が保証された。ただし、その代わり賭博行為は固く禁じられている。

まだ始まって間もない「Mリーグ」だが、金さんは「このままいけば麻雀界のど真ん中になるのではないか?」と思っている。

「『Mリーグ』に出場するには、腕前だけではなくタレント性も非常に大事です。私がいつか出場できるのかはわかりませんが、『Mリーグ』のスタンスはぜひ応援したいと思っています。

麻雀プロやMリーガーに憧れる子どもたちもどんどん出てきてほしいですね。現在は麻雀店は風営法の管理化なので、18歳未満は入場できません。ただ、今後法改正があって子どもでも入れる健康な麻雀店が作れたらいいなと思います。学校に将棋部や囲碁部があるように、麻雀部があってもいいと思うんです」

「Mリーグ」の影響で健康麻雀店も増え、業界全体で盛り上がってきていた。

昔は、

「麻雀をするなら、お金を賭けなければつまらない」

と言っていた人たちも、

「お金を賭けなくても、十分面白いね」

と健康麻雀店を訪れることが増えたという。

認知症の防止になるという研究結果も出されており、昔麻雀をしていた老人が再び健康麻雀を始めるケースも多い。

「40年の麻雀店の歴史を見ると、店舗数は5分の1以下になっています。1980年台には3万軒あった店舗が、現在では実質5000軒と言われています。現在も減少し続けている、かなり厳しい状況ですね」

繁華街を歩いていて、麻雀店を見かけることは確かに減った。これはやはり、娯楽の多様化が大きいだろう。40年でコンピューターゲームをはじめとして、さまざまな娯楽が普及した。

大学生の娯楽と言えば麻雀という時代は、はるか昔だ。

「Mリーグ」やアベマTVの麻雀番組のおかげで、わずかながら回復してきた麻雀店だったが、ここで思いもよらぬ障害が発生した。

コロナの大ダメージを越えて

新型コロナウイルスである。

「大ダメージでした。麻雀店って、3密的にはものすごく印象が悪いですから。集客はグッと減りました。仲良くしていた人の店も潰れています。話を聞くと胸が痛いですね」

今後どのような展開になっていくかはまだわからないが、新たにテコ入れや努力が必要になってくるのは間違いないだろう。

ただ、金さんはそれでも、麻雀文化はなくならないのではないか?と気楽に考えている部分もある。

「麻雀は本当に面白いゲームです。運と技術のバランスがとてもいい。4人で会話しながらやりますから、コミュニケーションツールとしても抜群に優れています。これだけ面白いゲームがなくなることはまずないだろう、と思ったので人生をかけました」

今後、麻雀を取り巻く文化がどのように変化していくかは完全には読めない。今はMリーグが人気だが、これがずっとメインストリームになるかはわからない。

また少額の賭けが合法化されて麻雀店が盛り上がる、という可能性もある。TOTOくじのように、麻雀リーガーに投票する公営ギャンブルが登場するかもしれないという噂もある。

「これからもいろいろな変化があると思います。ただ時代がどのように変化していったとしても、私自身が、麻雀界の中心で生きていけるよう頑張りたいと思っています」

と金さんは話を締めた。

状況は明るい話ばかりではなかったが、

「麻雀で生きていく」

と決めた男はとても潔く、堂々としていた。