北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長も、まさか大型台風に“斬首作戦”を敢行されるとは思いもしなかっただろう。天災にはICBM(大陸間弾道ミサイル)の抑止力が利かず、最強を自負する朝鮮人民軍の特殊部隊20万人も太刀打ちできなかった。

 台風8号が8月27日に北朝鮮を縦断した後、2週連続で発生した台風9号は、9月3日に北朝鮮東岸沖を進んで大雨被害などをもたらした。台風10号も7日から8日にかけて朝鮮半島に上陸し、大雨や暴風などによる被害をさらに広げた。

「9号が通過した江原道の中心都市・元山市(人口約36万人)では、2日午後9時から3日午前6時までの降水量が200ミリに達し、北朝鮮当局の発表によると数十人の死者が出た模様です。同道と同市の幹部らは被害を未然に食い止められなかったことをとがめられ、正恩氏から『党的、行政的、法的に、厳罰に処する』と公言されました」(北朝鮮ウオッチャー)

 あの北朝鮮が不祥事を内々に処理せず、ましてや懲罰を公にするのは、2013年12月に正恩氏の叔父・張成沢党中央委員会行政部長を“反党行為”で解任し、処刑して以来。まさに人身御供である。

 農作物やインフラへの被害も甚大だ。朝鮮中央通信によれば、8月上旬からの大雨被害と台風で、農作物の被害面積は3万9296㌶に及んだほか、住宅1万6680戸と公共建物630棟が破壊、浸水し、多くの道路や橋、鉄道が寸断され、発電用のダムまで崩壊したという。

「9月1日付の労働新聞は、台風8号の被災地の復旧活動を“指導”する李炳哲党副委員長らの活動を伝えていますが、正恩氏以外の人物が指導したと報じるのは前代未聞です。北朝鮮は一貫して『唯一思想体系』『唯一領導体系』を堅持しており、この報道は最高指導者の許可なしでは不可能。おそらく復旧作業が容易ではないことから、正恩氏が自身に責任が及ぶことを避けたのでしょう」(同)

 正恩氏は人民生活の向上を掲げてきたが、非核化交渉が進まない中では経済制裁が解除されるはずがない。今年が最終年度であったはずの「国家経済発展5カ年戦略」も頓挫し、そこに台風とコロナ禍というダブルパンチでダウン寸前だ。

 そんな兄を“介護”するため、金与正党第1副部長が防疫司令官役となり、コロナ流入を遮断する「平壌封鎖作戦」を指揮している。

「北朝鮮が命運を賭けて進めているコロナ防疫の全権を任せたということは、与正氏の政治的立場を一段と強化させ、実績にしようという意図からです」(国際ジャーナリスト)

 北朝鮮では現在、地方の人間が平壌に入るのを防ぐため、道路や鉄道を完全封鎖する検閲を大幅に強化している。そればかりか、1カ月に1度だった検閲を常時行って、繰り返し『コロナ確定患者はいない』と主張している。しかし、脱北者団体の北朝鮮人民解放戦線によると、コロナ陽性で4万8528人が隔離され、267人が死亡したという。

 正恩氏はコロナ感染問題を憂慮する一方で、国際的な支援を求めない考えも示している。与正氏は平壌以外でも厳重な移動制限を実施しており、このまま北朝鮮のやせ我慢が続けば、すでに支障が生じている物流網は寸断されたままになるだろう。しかし、国境閉鎖と台風襲来で食料が枯渇し、1990年代に大量の餓死者を出した「苦難の行軍」の再来が危惧される中にあっても、北朝鮮は核兵器を手放そうとしない。

 昨年末に開かれた党中央委員会総会で、正恩氏は「世界は近く、わが国の新たな戦略兵器を目の当たりにすることになるだろう」と警告したが、その新戦略兵器に動きが出ているという。

「アメリカのCSIS(戦略国際問題研究所)は衛星写真を公開し、新浦にある造船所で、新型のSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の発射実験の準備を進めていると明かした。しかし、専門家は艦の溶接技術が稚拙なため、発射の衝撃に耐えられないと指摘している。それに新浦は日本海側にあるので、台風で施設に影響が出ているかもしれない」(軍事ライター)

 8月25日、韓国国防部の鄭景斗長官も、北朝鮮がすでに建造を終えたとみられるロメオ級(ロシア海軍の通常動力型潜水艦)改良型は、3発ほどの北極星3型SLBMを搭載できると発表した。

 先代の金正日総書記からの遺訓は「核は絶対に手放すな」だが、当時と正恩時代の大きな違いの一つが、周辺女性の社会進出である。李雪主夫人はファーストレディーとして、かつての“金王朝”では見られない役割を果たしている。女性の有力者としては、与正氏と崔善姫第1外務次官、そして、“側室”として党幹部から認知された玄松月党副部長らが知られている。

「正恩氏は8月25日の先軍節60周年に際して、軍高官らを対象に、母親の高容姫氏と雪主氏の活動を収めた記録映画を上映したらしい。容姫氏の映像は“国母”を演出するため製作された『偉大な先軍朝鮮のお母様』の焼き直しとみられますが、2人の活動を1本にまとめた映画が上映されたのは初めて。ひょっとすると、松月氏の出現でおかんむりの雪主氏をなだめるためかもしれません」(前出・北朝鮮ウオッチャー)

 予期せぬ台風3連発で、北朝鮮国内と正恩氏の家庭内に大きな危機が到来している。