津島原発訴訟で旧津島村の商店街などを視察する裁判官ら=2018年9月、福島県浪江町、三浦英之撮影

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「一つの家族」だった村

連載『帰れない村 福島・旧津島村の10年』

東京電力福島第一原発の事故から10年。福島県にはまだ、住民が1人も帰還できない「村」がある。

福島県浪江町にある津島地区、「旧津島村」だ。第一原発から北西に20〜30キロ。日本テレビ系列のテレビ番組で、アイドルグループ「TOKIO」が農業体験をするために住み込んだ「DASH村」としても知られる。

「村」は阿武隈山地にあり、周囲を深い原生林に囲まれた七つの集落からなる。広さは山手線の内側の約1.5倍に相当する約9550ヘクタール、人口は約1400人(約450戸)。終戦後に旧満州からの引き揚げ者を多く受け入れ、「米が食えない」と言われるほど苦しい生活が長く続いた地域でもあった。

「田植え踊り」などそれぞれの集落に独自の伝統文化が継承され、最大の特徴は「集落の人間であれば、お互いの家の冷蔵庫の中までわかる」と言われる結びつき。住民同士が一つの家族のように支え合って生きてきた。

旧津島村は1956年に合併して浪江町になったが、その後も、人々は役場がある海側の市街地を「浪江」、山側の貧しい旧村部を「津島」と呼び、強いつながりを維持し続けてきた。

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帰還困難区域、いまも

そんな穏やかな「村」を2011年3月、目に見えない原子力災害が襲った。

原発事故によって放出された大量の放射性物質は北西方向へと流れ、やがて雨や雪となって野山へと降り注いだ。「村」は全域が人の住めない「帰還困難区域」になり、住民は今も、県内外に離散して避難生活を続けている。

そんなふるさとを奪われた旧津島村の住民たちが2015年9月、国と東京電力を相手取り、故郷の放射線量を原発事故前の状態に戻すことなどを求める「ふるさとを返せ! 津島原発訴訟」を福島地裁郡山支部に起こした。

震災後、福島県内外に避難した住民らによる同種の裁判が全国各地で相次いだが、原告の全員が帰還困難区域の住民によって占められているのは「津島原発訴訟」だけだ。住民の約半数の約700人が訴訟に加わり、7月までに30回の口頭弁論が開かれた。来年春にも判決が言い渡される見通しだ。

裁判では、旧津島村の住民らが出廷し、故郷を失った悲しみや事故直後に放射能に被曝したことへの不安、避難生活で地域のつながりが失われ、見知らぬ土地でひとりぼっちになって暮らさなければならない絶望など、多くの言葉が語られた。

「10年」を訪ね歩く

私はその残された証言を道しるべに、避難した住民が過ごしてきた「10年」という時間を、自らの足で訪ね歩きたいと思った。

当時、彼らは何を考え、その気持ちは時を経て、どのように変化したのか。

それらはきっと、彼らや彼女らだけの「10年」でなく、私たちにとっての「10年」でもあるはずだ、と私は思った。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)

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東京電力福島第一原発の事故後、全域が帰還困難区域になった福島県浪江町の「旧津島村」(現・津島地区)。原発事故で散り散りになった住民たちを南相馬支局の三浦英之記者が訪ね歩くルポ「帰れない村 福島・旧津島村の10年」を始めます。毎週水曜日の配信予定です。

〈三浦英之〉2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。