写真提供/岡山県笠岡市

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ポルシェがスポーツカーの「電気自動車」を販売するほど、乗りものが地球に優しくなっていくなか、2018年度から、国土交通省は特定の電気自動車を使った自治体への支援事業を開始している。その目的は? 反響は? 国土交通省総合政策局環境政策課の多田佐和子さんに話を伺った。

「グリーンスローモビリティ」とは?

今年100歳を迎えたおばあさんをはじめ、高齢者たちの楽しそうな声が聞こえてくる。7人乗りの「グリーンスローモビリティ」からだ。高齢者の交通手段や地域活動への参加等を目的に、2019年の10月末から11月末までの約1カ月間にかけて、国土交通省から千葉県松戸市へ無償貸与された、この見慣れない乗りもの。窓がなく、電気自動車だからエンジン音もしないため、乗員の笑い声のほうがよく響く。20km/h未満の低速で、のんびりと、友人とのおしゃべりを楽しみながら街を幾度も移動した。

松戸市の実証実験で使用したのはヤマハ製の7人乗りカート。今年度100歳を迎えられた百寿者(センテナリアン)が乗車した際の記念写真(写真提供/千葉県松戸市)

たった1カ月間の実証運行だったにも関わらず、地元ではこの乗りものを讃えるオリジナルソング『グリスロ賛歌』が生まれ、地域の方々が合唱して、新聞をはじめとしたマスコミに取り上げられた。昔は「オラが村に鉄道が通った!」と、初開通の折には村を挙げて踊りや歌を披露した自治体がよくあったが、それに近い感情なのかもしれない。

国土交通省では、2018年度から「グリーンスローモビリティの活用検討に向けた実証調査支援事業」を行っている。グリーンスローモビリティ(以下グリスロ)とは「20km/h未満で公道を走る4人乗り以上の電動パブリックモビリティ」のこと。電気自動車の技術が急速に進んだことで生まれた、新しい乗りものだ。2020年の6月17日現在で、55地域でグリスロの走行実績がある。

電気自動車なので環境に優しいのはもちろん、自動車より低速だから、万が一何かにぶつかっても大きな事故になりにくく、小型車両のため狭い道もスイスイと走れる。高齢者がよく利用している1人乗りのハンドル付き電動車いす(シニアカー)と比べて、多人数で移動できるほか、シニアカーと同様に窓ガラスやシートベルトがなくてもいいから、オープンカーのように開放感がある。

国土交通省の実証実験では、「ゴルフカート(定員:4人もしくは7人):最大2台」または「eCOM‐8(定員:10人):最大1台」のグリスロ車両が用意されている。先述の松戸市は上記「小型自動車」の7人乗りを使用(写真提供/国土交通省)

一方で普通の自動車と比べてデメリットとなるのが、窓がないため、雨の日はエンクロージャー(ビニール製シートなどの囲い込むもの)が必要なことや、エアコンが使えないこと。厳冬下では膝掛けなど対策が必要だ。またスピードが遅く、1回の充電で走れる距離が短い電気自動車だから、長距離輸送には向かない。だから単純に「廃止された路線バスの代わりに」というわけにはいかないのだ。

「低速」で道路を走るなら、他の車の邪魔になるなど、交通の妨げになるのではないか?と国土交通省の担当者である多田さんに意地悪な質問をぶつけてみたが「一人ひとりが一台ずつ車やシニアカーに乗るのと比べ、多人数乗車によって交通量を抑えやすくなりますし、運転手に“安全に他車に追い抜かれる方法”など安全な運転技術を、講習でレクチャーしています。運行主体も、なるべく交通の妨げにならないような運行ルートを検討していますし、ルートは事前に警察等に連絡するなどしていることもあり、今のところ事故は一度もありません」という。

(写真提供/国土交通省)

そもそも、こうしたメリット・デメリットを踏まえた上で、「既存の交通機関を補完する新たな輸送サービスとして、地域住民のラスト/ファーストワンマイル(※)や観光客向けの新しいモビリティ、地域のにぎわい創出などの活用」の可能性を調査するべく、グリスロの支援事業は始まった。簡単にいえば、既存の乗りものに、グリスロが加わることで、地域にどんなうれしい変化を起こせるのかを探るためだ。
(※)鉄道の駅やバス停などから目的地への最終移動、またその逆で自宅からの移動

「支援の申請は各自治体が行います。それぞれの地域でグリスロにはどんな活用法が期待できるか、車両を購入する前に無料で借りてテストすることで、今後事業化する際にどんなニーズや課題があるのかなどを考察することができます」と多田さん。

グリスロなら、もしかしたら自分たちの地域の課題を解決できるのではないか。そう考えた各自治体が応募し、2018年度は5地域、2019年度は先述の松戸市を含む7地域が選ばれた。

グリスロは、高齢者の生きがいに繋がる?

では応募した自治体は、どんなグリスロの活用方法を検証したのだろう。先述の松戸市の場合「加齢などにより移動に不自由を感じている方々の社会参加を促進し、それにより地域活動がより活性化できるか」をテーマに実証を調査したという。その結果が先述の通り。オリジナルソングまで生まれて合唱まで行ったのだから、「社会参加」や「地域活動の活性化」については一定の効果があることが分かったといえそうだ。

東京都町田市では4人乗りのゴルフカート型グリスロを2台使って事業化がスタート。地域住民らでつくる「鶴川団地地域支えあい連絡会」への事前登録が必要(登録料は年間500円)(写真提供/モビリティワークス)

実証実験を終え、既に事業化をスタートしている例もある。東京都町田市では、社会福祉法人悠々会が運行団体となって2019年12月から自家用有償旅客運送として運用をスタート。4人乗りのゴルフカート型の2台のグリスロが、多摩丘陵に位置する鶴川団地と、丘の下の商店街とを結ぶ。利用料金は年間500円。一見、グリスロによって高齢者が坂の上り下りをしなくても買い物に行ける、と思いがちだが、「実は利用する高齢の方々はあまり買い物に困ってはいませんでした。今ならスーパーの配送サービスをはじめ、買い物にはいろんな手段があるからでしょう」と多田さん。

ではなぜ高齢者はグリスロに乗るのだろう。「グリスロで出掛けること自体に意味があるようです」。グリスロに乗って出掛ければ、顔なじみの運転手さんやお客さんに会える。窓のない開放的な車内でみんなとおしゃべりを楽しみ、笑顔を咲かせる。用事を済ませて、また楽しく皆で戻る。また明日、晴れたら。そんな感じのコミュニティの場として、グリスロがあるようだ。「島根県松江市のほうでも、同様の事業化が2020年4月から始まりました。こちらは当初運賃が無料だったのですが、利用者のほうから『無料では申し訳ない』と申し出があり、結局午後の運行のみ1日100円となりました」

さらにグリスロは、普通の車よりも運転が簡単で速度も出ないため、正しい研修を受ければ、地域のシニアボランティアや障害をもつ人が運転手になることもできる。そうなれば地域の担い手としての生きがいにも繋がる。

(写真提供/社会福祉法人 みずうみ)

世界中で高齢化が進んでいるが、中でも日本の高齢化率は、現在世界一だ(65歳以上の人口比率が世界で最も高い)。高齢によって足腰が弱ると、どうしても外に出るのが億劫になりがちだし、一人暮らしともなればなおさらだ。だからといって外に出ないとさらに筋肉が衰えて、ますます出不精になり……と悪循環に陥ってしまう。この負のサイクルを断ち切る方法の1つに、グリスロがなれるのではないだろうか。グリスロが、地域住民の健康寿命を延ばす仕掛けになれるのでは? ちなみに紹介した町田市も松江市も、運営主体は社会福祉法人。地域の高齢者事情をよく分かっている人々だからこそ、グリスロのこうした利用価値に気づいたのだろう。

観光による町おこしやスマートシティのパーツとして?

(写真提供/広島県福山市)

もう1つ、グリスロの事業化例として紹介したいのが、広島県福山市だ。同市には景勝地として有名な「鞆の浦」や「福山城」などがある。一方で、瀬戸内海に面した同市は狭い道や急峻な坂道が多い。だから「小型」「低速=ゆっくり」「開放的」なグリスロは、「観光地をゆっくりと風景を眺めながら巡る乗りもの」としては通常のタクシーよりも適している、というわけだ。

(写真提供/広島県福山市)

運行しているのは地元のタクシー会社で、料金は通常のタクシーと同じ。通常のセダン型やワゴン型タクシーとともに、4人乗りのゴルフカート型グリスロを用意している。こちらは2019年4月から運用が始まった。グリスロでたくさんの観光客に喜んでもらえれば、観光地としての人気が高まるかもしれない。それは福山市の地域活性化にも繋がる。

さらに、このグリスロの実証調査支援事業には、環境省も支援するケースがある。1つは「IoT技術等を活用したグリーンスローモビリティの効果的導入実証事業」であり、もう1つは「グリーンスローモビリティ導入促進事業(車両購入費補助)」というものだ。簡単に言えば、グリスロと最先端技術を組みあわせ、例えばいつ・どんな時に・どんな人が・どれだけ移動したか、といったデータを取ることで、バスなども含めた公共交通機関の構築に役立てたり……と、さまざまな“未来の街”の検証に、グリスロを活用するというものだ。

実際、福島県いわき市では地元企業や大手通信会社、広告代理店などと連携した「次世代交通システム」の実証実験が、つい先日から始まった。グリスロをスマホから予約できるほか、AIを使って予約状況に応じた最適なルートを運行したり、地域内で使える電子クーポンをグリスロの車内で発行し、地域商店街の活性に役立てる……といった、いわばスマートシティの実証実験を行っている。

地域内に設置されている23カ所の乗降ポイントの中から、乗車したい地点と降りたい地点、日時と人数を入力して予約する。予約状況に応じて、当日でも可能。

地域の課題を解決するためのワンピース

「グリーンスローモビリティの活用検討に向けた実証調査支援事業」は、先述したように2018年度から始まったばかり。そのため、本来はもっと多くの実証調査の結果を集めてから課題を整理すべきだろうが、今の時点で挙げるとすれば「事業化に向けた収支をどうするか」だろう。

福山市の事業例のように、通常のタクシー料金と同じであればまだしも、町田市や松江市のように「年間500円」や「1日100円」といった運賃だけでは、事業としては成り立たない。持続可能な事業にするためには、運賃以外の広告費等の収入や、有志から駐車場の無償提供を受けるなど固定費の抑制が必要だ。

といってもこの「収支」の問題は、赤字の鉄道やバス路線の撤退が進んでいるように、既存の公共交通機関も同じこと。グリスロだけでなく、バスやタクシー、鉄道も含めて、地域の交通をどうしていくのか。各地域は今回のグリスロの無償貸与を通して、地域交通の課題を洗い出し、可能性を探るためのトライ&エラーがしやすいはずだ。実際見てきたように、グリスロには「地域のコミュニティの場」としての価値や、「観光による町おこし」という既存の交通機関にはない新しい価値が見えつつある。

(写真提供/社会福祉法人 みずうみ)

何しろ100歳のおばあちゃんが笑顔になれるグリスロだ。課題の多い地域交通状況を、もしも多くの公共交通機関の組み合わせというパズルで解決するなら、そのワンピースになる魅力は十分にありそうだ。

●取材協力
国土交通省
(籠島 康弘)