“平成の黄門様”こと渡部恒三・元衆議院副議長

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 通商産業相や衆議院副議長などを務めた渡部恒三さんが、23日に老衰のため亡くなった。享年88。週刊新潮では、2015年12月の発売号で田中角栄元首相を特集した際、“弟子”だった渡部さんに、思い出を語っていただいた。以下は渡部さんが語った“オヤジの素顔”である。

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 オヤジは人の心を掴む天才だ。1969年12月、オレは自民党の公認をもらえず、福島2区から無所属で初当選した。幹事長であるオヤジは、インタビューで「彼は素晴らしい。追加で公認する」と答えたんだけど、オレは選挙で自民党からいじめられてたから、そんな気は起きなかったんだ。

 しかし、その数日後にはオヤジの子分になっていたのだから、不思議なものだ。年末に上京すると、なぜか、金丸信さんと早大雄弁会の先輩で官房副長官の竹下登さんが上野駅のホームで待っている。曰く「党本部で、(角栄に)会ってほしい」と。

“平成の黄門様”こと渡部恒三・元衆議院副議長

 幹事長室でオヤジが「やあ、おめでとう」と公認証書を渡してきたが、「選挙前ならまだしも」とオレは破ってやった。すると「当選は民社党と公明党の票のおかげ。公認しなかったのは当選させるための親心だった」と言う。選挙区情勢を把握し、上京時間まで調べていたことに感激し、オレは子分になったんだ。

 当選翌年、偶然にもオレと小沢一郎の誕生日が同じ5月24日で、初当選組44人を呼んで合同誕生日会を開いてくれたことがあった。憧れの人だから、嬉しかったね。赤坂の料亭で「これからの自民党は若い君らが担ってほしい」と言われて、新人議員の多くがオヤジ支持になった。角福戦争を控えている中、むしろそれが狙いだったんだろうなあ。誕生日会は上座にオヤジ、両脇にオレと小沢。見ると「小沢は必ず総理大臣になる。俺の息子だ」と言っている。夭逝した自身の息子が同い年だったからね。かわいがられている小沢を羨ましいと思ったよ。

田中角栄

 創政会立ち上げで、砂防会館に挨拶に行くと、建物が揺れるほど怒鳴られたこともあった。けど、85年2月、オヤジが倒れる直前は目白の屋敷で一緒に飲んでいたんだ。気づくと、オールドパーを1本空けていた。2時間は政策の話をしたなあ。その後、一報を聞いて、病院に駆け付けてな。会えずとも、受付で何日も待っていたよ。

 戦後の総理で誰より国を思っていたのは、吉田茂と田中角栄だよ。オレは幸せだ。そのオヤジと政治生活を送ることが出来たのだから。

2020年8月26日 掲載