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『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 
第I部 五輪での戦い(4)

数々の快挙を達成し、男子フィギュア界を牽引する羽生結弦。その裏側には、常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱がある。世界の好敵手との歴史に残る戦いやその進化の歩みを振り返り、王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。 


2018年平昌五輪のフィギュアスケート男子シングルSPで演技する羽生結弦

 羽生結弦にとって2017年から18年の平昌五輪シーズンは、徐々に勢いを加速させて頂点に駆け上がったソチ五輪シーズンと違い、苦しい戦いを強いられた。

 9月のオータムクラシックでは、ショートプログラム(SP)は世界歴代最高の112.72点を叩き出す順調なスタート。しかし、羽生が挑戦を決意していたフリーでの4回転ルッツが危機を招くことになった。グランプリ(GP)シリーズ初戦のロステレコム杯こそ、それを見事に決めて大きな手ごたえを得たが、2戦目となった11月のNHK杯で裏目に出た。

 競技前日の公式練習では、動きにキレがなく好調とは言えない状態だった。4回転ループは2回続けて転倒し、4回転サルコウもパンクを3度繰り返してからなんとか決めた。そうした中、一度パンクしてから再び挑んだ4回転ルッツは、軸が完全に斜めになり、回転不足でブレードが氷に突き刺さる形になって転倒。羽生は、そのまましばらく氷上に倒れ込んだままだった。

 診断の結果は右足関節外側靭帯損傷。NHK杯は欠場し、5連覇を目指したGPファイナル出場もなくなった。

 ケガは重傷だった。NHK杯については、痛み止めを打ってでも出ようと思ったというが、痛みどころか、足首が動かなくなっていた。実際に氷上練習ができるようになったのは2カ月後の1月に入ってから。トリプルアクセルを跳べるようになったのは1月下旬と、五輪出場さえ危うい状況だった。

 結局、平昌五輪は4カ月ぶりのぶっつけ本番の戦いとなった。会場のある江陵入りしたのは、SP4日前の2月11日だった。

 翌日に初練習を行なった。氷の感触を確かめるように滑り始め、1回転ジャンプで助走の入り方を確認すると、最後にトリプルアクセルを跳び、15分間の足慣らしで氷から上がった。

 この練習では体の軽さや動きのキレを感じさせ、13日の公式練習でも不安を払拭するような滑りを見せた。羽生は、サルコウ、フリップ、ルッツの3回転ジャンプを軽々と跳び、トリプルアクセルを2本決めた。さらに、4回転トーループと4回転サルコウを、軸の細い回転できれいに決めてみせた。曲かけ練習では新たな構成も披露した。後半に、4回転サルコウ+3回転トーループ、4回転トーループ+1回転ループ+3回転サルコウ、トリプルアクセル+2回転トーループを続ける。最後はチェンジフットコンビネーションスピンで締めた。

 平昌五輪に向けて作り上げてきた構成かとも思われたが、このまま本番に臨むわけではないようだった。韓国入りした際に、空港で「ジャンプ構成はこれからの調整をみて決める」と羽生は話していたが、13日の練習後に行なわれた記者会見でもその考えは変わっていなかった。 


平昌五輪の競技直前、記者会見に応じる羽生

「今回の試合は本当に作戦が大事だと思うし、ジャンプ構成も本当にたくさんの選択肢があると思うので......。もちろん自分の中には『クリーンに滑れば絶対に勝てる』という自信があるし、本当にそう思っています。そのためにプログラムをどんな構成にするかは、これから調子を上げていく中で決めたいと思っています」

 11月にケガを負った羽生はしばらく氷の上で練習ができなかった。その間、陸上トレーニングをする中でジャンプのフォームやイメージを固めようとしていたが、焦りもあったようだ。

「体力面にはかなり不安がありました。フィギュアスケートは陸上でできるものではないので、氷上でのジャンプの回転やスケートの感覚なども戻せるのかも不安でしたね。でも、再び氷の上で滑れるようになってからの1カ月で、『五輪に出られるな』と思えるくらいの練習を積むことができました。

 ケガをしてからここまで、特につらかったことはなかったです。ひたすらやるべきことをやってきたし、『これ以上できない』ということをやってきたので、もう何も不安要素はないですし、何の問題もありません」

 この日の記者会見には、多くの記者、カメラマンが集まった。その人だかりを見た羽生は、「たくさんのメディアを通して、多くの人が自分のことを見てくれているんだ」という気持ちになったという。国民的な注目は大きなプレッシャーになるかもしれないが、久しぶりに滑ることができる平昌五輪のリンクで、その視線をすべて受け止めようとしていた。

 当時の男子フィギュアスケートは、数年前から若い選手たちが数種類の4回転ジャンプをプログラムに入れるようになってきていた。羽生の"負けじ魂"にも火がついてこのシーズンは4回転ルッツにも挑戦。しかし、それがケガを招いてしまったことで、平昌五輪に向けては「4回転の種類が少なくても、自分が完璧な演技をすれば勝てる」と、シンプルに考えるようにしていたのだろう。

 難度の高さだけでなく、完成度を求める。そう意識が変わったことが、羽生の強みになっていた。

「完成度が高い、熟成した演技で勝負したい」

 ケガを乗り越えたことで見えた、羽生が理想とするフィギュアスケートの形だった。それを完璧に演じ切った先に、表彰台の頂上が見えてくる。

 会見翌日からの公式練習は、常に緊張感に包まれていた。多くの人が羽生の一挙手一投足に注目し続けた。そんな中で彼は自分の状態をしっかりと把握しながら、淡々とした表情で練習を行なっていた。

 そして16日のSPでは、驚異的な集中力でノーミスの滑りを見せたのだ。

「今できることを最大限にやれば勝てる」と自分に強く言い聞かせ、その言葉を全面的に信じ切ったようなSPの滑りは見事というしかなかった。自分を冷静に見極め、滑りの隅々まで完全にコントロールした演技だった。

 羽生は王者としても矜持を見せつけながら、男子フィギュアスケート66年ぶりの五輪連覇という偉業の達成へとスタートを切った。
(つづく)

*2018年2月配信記事「ケガの癒えた羽生結弦に不安なし。『絶対に勝てる』シンプルな考え方」(web Sportiva)を再構成・一部加筆

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。 

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。