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 去年までのインバウンド需要が幻想だったかのように、景気に大きな影響を与えている新型コロナウイルスの感染拡大。見えない敵の新型コロナウイルスに苦しめられる中小企業は少なくない。地域経済と密接な関係にある信用金庫は、中小企業を支える大きな役割を担う。そんな中、大阪府で最大の信用金庫・大阪信用金庫の高井理事長は「量」から「質」への転換を訴え、陣頭に立つ。なぜ今、「量」から「質」への転換なのか、高井理事長に話を聞いた。

今こそ「信金の真骨頂」を発揮する

―――店舗での新型コロナウイルスの感染対策はどうされていますか。
 お客さまがお待ちになる椅子はもっと密着していました。今は2mほど離していますし、窓口はパーティションでお客さまと職員を区切らせていただいています。さらにカウンターの前に机を置きました。お客さまが荷物を置くだけではなく、職員とお客さまの適切な距離を保つためです。

―――新型コロナウイルスの顧客への影響は。
 資金繰りの相談は今年2月下旬から多いですね。資金繰りもそうですが、借りた後には返済をしなくてはなりません。資金を融通するだけではなく、顧客の販路開拓にも全力投球して真剣に取り組んでいます。どんな時も全国の信金は一丸となって、中小企業や地域ために頑張っています。特に今は、信金の真骨頂が全国各地で発揮されていると思います。

偶然が重なり、たまたま大阪信金に就職

―――大阪信金は希望する就職先ではなかったそうですね。
 全く希望していませんでした。大学生の時は量販店でバイトをしていまして、「売れ筋以外の商品を売れ」とよく言われました。そこで売り方のコツを教えてもらったら結構うまく売れました。すると店長が私のことを気に入ってくれまして「きみ、うちにこないか?」と。

―――このまま、量販店に就職しなさいと?
 「社長に話しておいたので、何月何日にここで待ち合わせをしよう」と言われまして、私は待ち合わせの場所に時間通りに行ったのですが店長が来なくて...。あとで聞いた話では急な仕事が入ったそうです。でも当時は携帯電話はありませんから、連絡がとれないままでした。あきらめて帰っている途中、就職面接に向かう同級生と偶然、出会いました。

―――同級生と電車で偶然に?
 たまたま偶然の出会いでした。その彼の面接先が大阪信金で、一緒について行くことになったのです。

―――あくまでも付き添いで?
 そうです。金融機関は全く興味がなかった。就職先に全く考えていませんでした。私は、1階で同級生の面接が終わるのを待っていたら、前をすっと男性が通って「きみ、そこで何をしている?面接は3階だよ」と話しかけられました。私は「面接に来たのではありません。金融機関は興味ありません。向いていません。」と。するとその男性が金融機関の良さを一生懸命話してくれて、トントン拍子で採用されました。

バブル崩壊後、合併や譲渡繰り返した信金業界

―――高井さんが大阪信金に入られてから、バブル崩壊やリーマン・ショックなど色々なことが続きましたよね。
 信金業界も破たんが続いて、合併や譲渡が繰り返されました。その時私はまだ"ペーペー"でしたので、上から「ほかの信金と合併する、みんな一緒になって助け合う」と聞かされていました。あまり不安はありませんでした。合併する側もされた側も同じ土俵で、同じ仕事をしていました。その時の経営者は人の融合とか効率性とか色々なことを考えて、合併後の運営をされていたと思います。

―――何となく一枚岩になってきたと感じたのはいつ頃からですか。
 それは合併してから数年はかかりました。けれど要は人事ですね、昇進も平等にしていたと思います。「大阪信金出身だから」とかではなく、出身金庫に関係なく、優秀な者とか頑張っているとかで評価していたので、交流は割と早かったと思います。

お客さまを元気づけるノウハウがある
―――大阪信金の「強み」は何ですか。
 地元のお客さまである中小企業を元気づける、そのノウハウがある、ということでしょうか。要はお客さまが困っていること、課題をよく聞きとってリアルタイムで解決していく。だからお金を貸すだけではなくて、お客さまのことを十分に考え、地域のことをしっかり考えて、「何かできることはないか」を考える。そのことを常に職員に言っています。

「ショック」を受けた顧客からの「ある言葉」

―――大阪信金で40年の勤めた中で、一番の大きな決断は?
 それは経営方針を変えたことでしょうね。これはもの凄くエネルギーが要りました。変えた理由はお客さまからの一言です。「大信さん、あなたの得意先係は要望だけを言って、私の話は一切聞いてくれない。要望が通らなかったらすぐに次のところに行く」と。職員はノルマ、ノルマですから...。営業成績が残せるところに行きたいわけです。

―――「成績が残せなさそうなら、ここはおしまい」と。
 そういうことです。お客様が「昔の良い大信さんではなくなったね」と一言、言いに来られた。それを聞いたときはショックでしたね。「こういうことをしていては、駄目になる」と決意し、営業のやり方を180度、変えました。

顧客の言葉で「量から質」への大転換

―――具体的にはどのように変わったのですか?
 今まさに力を入れている「課題解決・ソリューション」です。お客さまのところに行って、「大阪信金は何が出来るのか」を考える。みなさんが悩んでいるのは「事業承継の問題」、それと「人材の問題」、「新規創業や第2創業」とか。これを活性化させようと、3つの大きな柱でソリューション営業をしていこうと。3つの分野で「どのようにすれば、お客さまの要望に応えられるかということを自問自答しなさい」と言っています。

―――それが、「量」より「質」への変換ですか?
 きれい事のようにも聞こえますが...。我々も経営をしていかなければなりませんので、収益は大事です。不良債権も減らさないとならない。ですが、お客さまとの関係が長く続く、持続ある経営をしていくためには、課題解決・ソリューション的なものを持たないとだめだと思っています。

理想のリーダー像は「将来のデザインを描ける人」

―――理事長としての夢、プライベートの夢は?
 理事長としての夢はやはり後継者を育てることです。誰が経営しても盤石な堅実経営、盤石な大阪信金になって欲しい。個人的な夢は、今までずっと仕事だけをやってきたので、趣味と言えるものが全くありません。理事長をさせていただいて、非日常の世界を味わう機会に接することが増えました。例えば音楽会や能、狂言、歌舞伎、演劇とか...。今までは全く知らなかった世界です。リタイヤしたらこういう世界をどんどん広げていって、非日常の世界を味わいたいと思っています。

―――最後に「郄井理事長にとって、リーダーとは?」
 ひとことで言いますと、日常の些細な変化を的確にとらえて、将来のデザインをきちっと描く人だと思います。


■大阪信用金庫
1920年、大阪の財界人たちの肝いりで「大阪信用組合」設立。
1951年、信用金庫法の公布・施行で、今の名称に変更。1992年、経営破たんした「東洋信金」の一部を受け入れたのち、5度の合併などを行う。2020年8月時点で73店舗、預金量は大阪府内の信金で最大のおよそ2兆9000億円。職員数は1400人あまり。

■高井嘉津義
1953年大阪・守口市で生まれる。1977年立命館大学産業社会学部卒業、大阪信金入庫。2011年常勤理事、2013年常務理事、2016年副理事長、2017年理事長。67歳。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時40分から放送している『ザ・リーダー』をもとに再構成しました。

『ザ・リーダー』(MBS 毎月第2日曜 あさ5:40放送)は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
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