生涯「ボス一筋」だった

写真拡大

「石原裕次郎を裏切ることはできません」

 今月10日、鉄の結束で知られる「石原軍団」を率いてきた渡哲也さんが肺炎のため亡くなった(享年78)。故人と親交の深かった人々に追悼の声を聞くと、昭和最後の大スターの「義理と人情」に彩られた生き様が見えてくるのだ。

 ***

 渡さんはアクションスターとしての地位を確立しつつあった71年、日活を退社し、巨額の借金で倒産寸前だった石原プロを移籍先に選んだ。そして石原プロを鼓舞し、ドラマ「大都会」や「西部警察」を大ヒットに導いたのだが、そんな渡さんを高く評価したのが岡田茂東映社長(当時)だった。

 スポーツニッポンOBで、渡さんと50年以上にわたって交友のある脇田巧彦氏は、岡田社長からの依頼を受け、渡さんとの会食の場を用意したことがあった。1975年のことだ。

生涯「ボス一筋」だった

 二人が岡田社長から招かれたのは赤坂の料亭だった。その席上、岡田社長は、こう切り出したという。

「渡君、高倉健の後を君にやってもらいたいんだ」

 この時すでに高倉健の東映退社が決まっており、後継者として渡さんを引き抜こうとしたのだ。岡田社長は“東映の天皇”と呼ばれ、日本映画の黄金期を築いた立役者。しかも、あの高倉健の後釜に指名されたのだから、これ以上の口説き文句はあるまい。しかし、渡さんは動じることはなかった。

「尊敬する岡田社長のお話は大変有難いのですが、それだけは勘弁してください。恩人である石原裕次郎を裏切ることはできません」

 二人のやり取りを目の当たりにした脇田氏は、

「まるで任侠映画のワンシーンに居合わせたような心境でした。裕次郎さんへの一途な思いを貫いた渡さんも立派なら、岡田社長もさすがでね。“渡君、分かった。ただ、東映にも出てくれよな”と言って和気藹々と飲み始めたんです。まだ義理と人情が通用した時代の秘話ですね」

 石原プロの解散を見届けてから逝った渡さんの生涯は、裕次郎へのそんな義理を貫き通したものだったといえよう。8月19日発売の週刊新潮では、秘せられた葬送の現場写真、そしてみのもんた、黒沢年雄ら関わりの深かった著名人のコメントと併せて詳報する。

「週刊新潮」2020年8月27日号 掲載