8月13日、イスラエルとUAEの国交樹立をホワイトハウスを発表したトランプ大統領(写真:REUTERS/Kevin Lamarque)

イスラエルアラブ首長国連邦(UAE)が国交を樹立することで合意したとの歴史的なニュースが8月13日飛び込んできた。アメリカのドナルド・トランプ大統領が発表した。11月の大統領選挙に向けて苦戦が伝えられるトランプ氏だが、大きな外交成果を手中に収めた。

アラブ諸国でこれまでイスラエルと国交があったのは、エジプトとヨルダンのみ。両国はイスラエルと接し、戦火を交えるなど安全保障の観点からイスラエルと合意を結ぶ必要があったが、UAEはイスラエルとは国境を接しておらず、直接的な利害対立はなかった。その両国がなぜ、このタイミングで国交樹立に踏み切ったのか。

揺らぐアラブ諸国の「結束」

イスラエルとUAEの共同声明によると、数週間以内に合意の詳細を詰め、投資や観光、直行便の運航、通信、ハイテク、エネルギー、保健医療、文化、環境に関する合意文書に署名する。両国に双方の大使館を開設し、大使も交換する。

合意に至った背景には、2010年末に始まった中東の民衆蜂起「アラブの春」以降、リビアのカダフィ大佐やエジプトのムバラク大統領ら有力指導者が相次いで失脚し、アラブ諸国の結束が揺らいだことが大きい。

結束を欠くアラブ首脳会議の前には、地域覇権を目指すイスラム教シーア派の大国イランも立ちはだかる。UAEやサウジアラビア、バーレーンなどの湾岸諸国は、イスラエルの諜報機関モサドが持つ情報や軍事技術になびき、イスラエルとの関係強化を水面下で模索していた。

アラブの春以降、アラブ諸国では国民監視が強化される「警察国家化」が一段と進み、政権が世論をコントロールする能力を強めたことも合意の背景にあるだろう。

イスラエルと平和条約を結ぶエジプトやヨルダンの民衆の間では、反イスラエル感情は根強いが、強権的な政権がメディアや世論を操作し、政権は民衆の意思とは無関係に政策を進めている。一方、UAEでは他国ほど反イスラエル感情が強くはないが、世論を抑え込み、「愛情よりも利害優先の結婚」と表現されるイスラエルとの国交樹立に踏み切った形だ。

もっとも、イスラエルとUAEの国交樹立は突然降って湧いたような話ではもちろんない。アラブ諸国の“イスラエル・ボイコット”は形骸化が進み、アラブの春以降の中東での政治情勢の変化により、「アラブの大義」は忘れ去られて湾岸諸国とイスラエルの関係は緊密化。数年前からバーレーンなどが国交樹立に踏み切るのではないかとの観測も流れていた。中東の衛星テレビ局アルジャジーラは「国交樹立は数年前から協議されてきた」と伝えている。

イスラエルの「技術」が目立て?

2018年秋には、イスラエルのネタニヤフ首相が外交関係のないオマーンを訪問したほか、UAEの首都アブダビで開催された柔道の国際大会の「グランドスラム」に、イスラエルのレゲブ文化・スポーツ相が出席し、出場したイスラエルの選手が優勝してイスラエルの国旗掲揚・国歌吹奏も実現した。

レゲブ文化・スポーツ相はUAE柔道連盟幹部の同伴を受けてアブダビの大モスクも訪問。さらに、国連傘下の国際通信連盟がドバイで開催する代表団会議にも、イスラエルが公式に参加している。
 
こうした表面的な動きとは別に、水面下の動きもここ数年活発化。アラブの強権的な指導者たちは、自国の民衆感情に寄り添って問題に対処するよりも、国民監視を強めることで政権基盤を盤石にする道を選択した。そこで必要とされたのが、イスラエルが持つ国民監視や治安維持の最先端技術だったのだ。

イスラエルにとっても、宿敵であるパレスチナのイスラム組織ハマスやレバノンのシーア派武装組織ヒズボラなどの潜伏先をつぶし、活動家の動向を知るのにアラブ諸国との協力は欠かせない。

2018年にサウジアラビア政府の手によって暗殺されたサウジ人著名ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏の事件でも、イスラエルの企業NSOグループが開発した「ペガサス」というスパイウェアがサウジ政府に販売され、カショギ氏の殺害につながる1つの要因になった可能性がある。

アラブ諸国とのビジネスに関わる日本人起業家によると、アラブ諸国は以前からイスラエルの製品や技術を手に入れてきたが、第三国を経由させるなど取引が露見するのを巧みに回避してきた。が、近年はイスラエルとの直接的な取引が増えていたという。

中東地域に駐在する日本の大手商社関係者は外交関係樹立について、「イスラエルの技術と湾岸アラブの資金が結びつくと新たなビジネス・チャンスが生まれる可能性があり、結構なことだと思う」と前向きに評価する。湾岸地域では、サウジに次ぐ経済規模を持つUAEとのビジネスは、イスラエルでも期待が大きい。UAEはすでに戦略的なインフラや石油関連施設の監視や防衛にイスラエル企業が開発したシステムを導入している。

アメリカ大統領選とも無関係ではない

2019年9月にサウジ東部の石油関連施設が、イランが関与したとみられる攻撃を受け、サウジの原油生産量が一時的に半減する大規模な被害が出ている。湾岸諸国にとっては、イランは現実的な脅威であり、イランをにらむ形で、UAEがアメリカ・イスラエル同盟に名実ともに組み込まれることになる。

このタイミングでのイスラエルとUAEの合意は、世界情勢を左右するアメリカの大統領選を3カ月後に控えていることと無関係ではない。各種世論調査結果でトランプ大統領の劣勢が伝えられる中、イスラエルとUAEにとっては、民主党候補のバイデン元副大統領が示す対イラン融和政策を牽制し、トランプ氏を援護する狙いもありそうだ。

イランは欧米の経済制裁や新型コロナウイルスの感染拡大で打撃を受けており、アメリカやイスラエルが関与しているとされるサイバー攻撃の疑いにより、中部ナタンツの核施設で謎の爆発が起きるなど核開発は足踏み状態にある。

トランプ氏が再選されれば、イランはこのまま封じ込め政策に苦しめられることになり、イスラエルやUAEは、あわよくば現在のイランのイスラム体制転換との期待も抱いている。

トランプ大統領にとっては、大統領選の好材料になるだけではない。アラブ諸国で初めてイスラエルと和平条約を1979年に締結したエジプトとイスラエルの間を仲介したジミー・カーター元大統領や、パレスチナとの2国家共存に向けた歴史的合意であるオスロ合意(パレスチナ暫定自治宣言)を仲介したり、ヨルダンとイスラエルの平和条約締結を取り持ったりしたビル・クリントン元大統領とともに、中東現代史に和平努力の功績者として名を刻むことになった。ノーベル平和賞に意欲を見せるトランプ大統領も意気揚々だ。

だが、ことは単純ではない。パレスチナ自治政府は、イスラエルとUAEの合意に反発して大使を召還。パレスチナ紛争の解決に向けては長年、「土地と平和の交換」という原則に基づき、アラブ諸国はイスラエルとの関係正常化の条件として、イスラエルによる占領地の返還や、パレスチナ国家の樹立を暗黙の条件にしてきた。

7月にはイスラエルのネタニヤフ首相がヨルダン川西岸を一部併合しようとしたが、トランプ政権から了承を得られなかったほか、厳しい国際世論を前に断念。UAEは今回、「外交関係の樹立と引き換えに、イスラエルにヨルダン川西岸の併合を思いとどまらせた」と説明し、イスラエルとパレスチナの2国家共存に向けた歩みを阻害する動きではなく、逆に2国家共存への道を救ったと主張している。

だが、今回の件でパレスチナ念願の国家樹立の道が一段と遠のいた可能性がある。パレスチナは、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府と、ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスによる分断が長期化しており、結束した形でイスラエルと交渉に乗り出す態勢にない。

イスラエル姿勢が鮮明なトランプ大統領の下、ヨルダン川西岸の一部やガザ地区を領土とし、難民帰還権も放棄させられるような和平案の受け入れを迫られており、政治的に厳しい状況がますます強まりそうだ。ネタニヤフ首相がヨルダン川西岸の併合はまだ俎上にあると、UAEの主張と食い違いを見せているのも気掛かりだ。

イランは本格的に中国同盟に入るか

一方、ペルシャ湾を挟んでイスラエルと直接的に対峙するイランはどうか。経済危機に直面するイランでは、25年間に及ぶ中国との包括的なパートナーシップ協定が論議されており、今後の展開次第では、イランに中国軍最大5000人が駐留するなど本格的に中国の同盟に組み込まれる可能性もある。

イラン・ウオッチャーは「イスラエルとUAEの外交関係樹立は中東地域のパワーバランスを長期的に大きく変え得る一大事であり、イランが座して看過するとは思えない」とイランの動きを警戒する。今後、UAEに続いてサウジやバーレーン、オマーンなどがイスラエルとの国交樹立に向かう可能性もあり、中東は転換点を迎えたと言えそうだ。