激励した文大統領

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今や従軍慰安婦問題とともに、日韓関係をこじらせるもう一つの火種となっている

 8月4日を機に徴用工の問題が再びクローズアップされている。日本国内には、「最後の徴用村」として認識されるエリアがある。反日感情を呼び起こす“素材”として消費され、文在寅大統領も「最後の村」に対し、激励の手紙を送っている。つまり、母国に戻れず、日本に残った在日韓国人(朝鮮人)はすべて強制徴用で連れてこられて苦労ばかりしていた、そのことを歴史として聖域化し、民族受難の主張形成に利用しよう……というわけだ。しかし、この土地自体、同じ民族間で土地ころがしが行われるなど曰く付きの場所だったことがあるという。日韓関係史が専門の評論家が綴る。

激励した文大統領

 皆さん、ウトロ村(地区)をご存じですか。日本の方はあまりご存じないかも知れないが、韓国人にはかなり知られているところである。ウトロ村は、京都府宇治市に造成された、在日韓国人(朝鮮人)の集団居住地。いや居住地であった。韓国では、けっこう前から、戦時中に強制的に連れてこられ、過酷な労働を強いられた元徴用工やその二世、三世が暮らしている集落として知られている。

 今や従軍慰安婦問題とともに、日韓関係をこじらせるもう一つの火種となっている徴用工問題。これと深く関係のある、いわゆる民族の受難史を象徴する歴史的場所として記憶されているわけだ。

 また、この地区の住民は、数十年に亘って日本政府と日産グループを相手に居住権の保証を要求する闘争を展開してきた。その点から、日本国内では在日韓国人(朝鮮人)の人権問題の象徴的事例として、また韓国では日本人の非道をもって反日の素材として利用されているのである。

文大統領による激励の手紙

 そもそも町が造成された背景は、以下の通りである。1942年2月、京都飛行場と併設飛行機工場建設が決定され、日本の国際航空工業が建設工事を受注した。工事には2000人ほどの人員が動員され、そのうちの約1300人が朝鮮人であり、彼らの家族が生活していたところが、まさにウトロ地区であった。

ほとんどが独身で家族連れにも社宅提供、強制動員者が暮らした事実はない

 韓国人には、植民地支配体制の下で、京都飛行場建設へ強制的に動員された労務者たちとその家族がついに故国に戻ることなく村をなして住むことになったという意味で、「ハン」(恨み)が宿るところとして認識されている。

新装なったウトロ地区

 では、ウトロ在住の在日韓国人(朝鮮人)が居住権を主張していた根拠は何か。「ウトロ住民は、1944年9月から1945年3月までの期間、朝鮮半島でも実施された日本政府の『国民徴用令』によって強制的に日本に連れてこられた徴用労務者とその子孫であり、ウトロ住民の居住権は日本政府や日本の国際航空工業の後身の日産車体、更には日産グループが保証しなければならない」というものであった。

 しかし、戦時、強制的に徴用された労働者は、ほとんどが独身であり、彼らは通常、会社の寮で生活をしており、まれに家族を連れた場合には、社宅が提供された。つまり、強制動員された徴用者たちが村を成して暮らした場合はなかったのである。

かつてはウトロ地区ツアーも行なわれた

 また、ウトロ住民が作った「ウトロ国際対策会議」(現在はホームページが消えて確認できない)によると、日本の国際航空工業の1300人の朝鮮人労働者は、そのほとんどが国民徴用令や国家総動員によって日本に徴用されてきたのではなく、経済的理由と徴兵などを避けて移住してきた者たちであると明示していた。

 また、韓国政府の「日帝強占下強制動員被害者真相究明委員会」における2006年末の報告書にも、ウトロの住民に対して「強制徴用者ではなく、元から日本に居住していた朝鮮人がほとんど」と明示されている。

ウトロのために寄付を集めた芸能人たち

 つまり、ウトロ地区は、徴用以前から日本に居住していた朝鮮人をベースに、ここに1930年代末に日本に渡ってきた貧しい朝鮮人や被徴用者たちが合流して形成した村であると理解するのが正確だろう。

救援募金が殺到、買い取られた土地は「最後の徴用村」として政治的に利用され

 かつてウトロ地区の住人が強制収容されるというニュースに接し、韓国と日本で純粋にこれを助けたいという支援団体がいくつかできた。そのなかで「KIN(地球村同胞連帯)」(KINとは韓国内にある在日支援団体)が最も代表的団体であろう。

 KINの活動により、2004年9月には韓国で開かれた国際会議にウトロ住民4人が出席し、ウトロ問題を訴えた。このことを機に、韓国の政府関係者や国会議員グループなどの視察が相次ぎ、韓国内でにわかにウトロ問題への関心が高まった。

 さらに、韓国の有名芸能人たちがウトロ村を訪ねて、住民の「ハルモニ(おばあさん)」の手を握り涙を流す「新派劇」さながらの演出をしたりもした。その後、韓国の市民団体によるウトロ救援募金が殺到し、2007年10月28日、土地を所有する西日本殖産とウトロ町内会で地区全体のほぼ半分を5億円で買い入れる合意が成立した(土地売買にはややこしい流れがあるので後述する)。

 今はウトロ村があったところに市営住宅が建ち、55世帯130人の住人がそこに住むことになるとされている。

 行くところもない貧しい在日韓国人(朝鮮人)を助けようと運動を行ったのは良いことであり、また、意味のあることであるが、運動を展開する過程でウトロ地区は、日本に残った「最後の徴用村」と呼ばれる歴史的事実の誇張ないしは拡大があった。だから未だに、韓国国民にとってウトロ地区は、日本内に残っていた朝鮮人たちの「最後の徴用村」として認識され、反日感情を呼び起こす素材として消費されているのである。

 私が言いたいことは、在日韓国人(朝鮮人)が日本に定着した過程や経緯は、まさにさまざまであるということである。にもかかわらず、まるで母国に戻れず、日本に残った在日韓国人(朝鮮人)は、すべてが強制徴用に連れてこられ、苦労ばかりしていたとし、そのことを歴史として聖域化し、民族受難の主張形成に利用してはいけないということだ。

土地ころがしで利益をむさぼったのは同胞

 また、歴史を歪曲してまで、日韓間の不和を助長し、これを政治的に利用、あるいは扇動してはいけないということ。60万の在日韓国人(朝鮮人)も、自分たちが政治的に利用されることを望んではいないはずである。

 付け加えておけば、1945年、日本の敗戦後、ウトロ地区は、軍の飛行場建設事業を受注していた国営企業・日本国際航空工業の所有であった。軍需企業だった国際航空工業は敗戦後、バスやトラックを製造する自動車会社に変身し、1962年には日産自動車系の日産車体と合併、その時からウトロ地区は、日産の所有地となっている。その後ウトロ地区は、個人所有を経て、1987年に西日本殖産に転売され、その後もう一回の転売を経て、現在の所有者(ウトロ民間基金財団、韓国政府が支出したウトロ一般財団法人、不動産会社「西日本殖産」)の土地となった。

 ところが、この過程で全くとんでもないことが起こった。日産車体からウトロ地区の土地を買って西日本殖産に土地を転売したのはある個人なのだが、それが他でもないウトロに住んでいた在日韓国人Aだったということである。買収額は3億円。

 この在日韓国人Aに資金を融資したのが、在日本大韓民国民団(『民団』と略称)の幹部Bであり、この幹部Bがウトロ村(地区)を買い取ろうと作った会社が、まさに「西日本殖産」だったのである。つまり、民団の金持ちの幹部BがAという案山子を立ててウトロ地区を買い入れたということになる。民団幹部Bがウトロに住む在日韓国人(朝鮮人)の居住権のために土地を買収したのでは? いや、そんなことは絶対になかった。

 ところが、私をもっと驚かせたのは、日産から3億円で土地を購入したAがこれを4億円で買い取ったと主張して西日本殖産、すなわちBから4億5000万円を受け取ったということである。同じ「同胞」に詐欺を働き、巨額の金を手にした在日韓国人Aは、夜逃げをし、Bも1988年に西日本殖産を日本企業に売却してしまったのである。民団幹部Bがいくらでウトロ地区を日本企業に売り渡したのかは知られていない。

 言いたいことはたくさんあるが、少し前に読んだある新聞記事の一節を引用して終わりたい。

「国家間であれ、個人間であれ、『和解』のためには、基本的な情報を得るのが優先である。耳を傾け、お互いの話を聞くこと。情報を取得し、理解するために感情は最大限に排除すること。深くなった感情の谷は、味方を敵にまわしたりもする」

李東原(イ・ドンウォン)
日韓関係史が専門の評論家

週刊新潮WEB取材班編集

2020年8月12日 掲載