首都・ベイルートの港で起きた爆発の衝撃は広範囲に及び、被害額は3000億円に上ると見られている(写真:REUTERS/Aziz Taher)

内戦での市街戦や自動車爆弾テロによる要人暗殺、イスラエルによる空爆に見舞われてきたレバノン国民も、首都ベイルートの港で8月4日起きた大規模な爆発には度肝を抜かれたはずだ。

港の倉庫で発生した火災が、近くで保管されていた硝酸アンモニウム約2750トンの爆発を引き起こしたこの事件。そもそも、爆発物にも化学肥料にもなる大量の危険物質が人口密集地と接する重要インフラの港に放置されてきた政府の怠慢に、レバノン市民の怒りは頂点に達している。

1975年〜90年の内戦よりひどい状況

レバノンでは昨年10月以降、政治腐敗や経済失政への不満から反政府デモが続いており、今年3月には償還期限を迎えた外貨建て国債の支払いができずに初めてデフォルト(債務不履行)に。政府の債務は3月にはGDP比約170%に達しており、通貨レバノン・ポンドは大幅下落。金融機関は外貨引き出しを制限するなど、国民は日々の食事にも苦労する困窮状態に陥っている。

さらに、新型コロナウイルスの影響も加わり、失業率は高止まり。停電が長時間に及ぶなど、「1975〜90年の内戦時よりも状況はひどい」との声も漏れてくる。

爆発の衝撃は、ベイルートの広範囲に及び、最大30万人が家を追われ、日本円に換算して3000億円を超す被害が出たもようだ。今後の焦点や市民の関心は、事件のきっかけをつくった人物が司法の裁きを受けるかどうか。


爆発の影響を受けた地域(写真:Instagram@Rabzthecopter via REUTERS)

だが、政府主導の調査では、有力政治家の責任を問うのは困難と言える。レバノンでは18の宗派が権力を分け合い、宗派の政治指導者が利権や利益を宗派内に配分する利益誘導型政治が続いており、国民的な視点の欠如は目に余る。今回もこうした政治体質によって国民の安全がないがしろにされた形で、問題の根深さが浮かび上がる。

レバノンでの爆発と聞けば、テロの可能性も疑われるが、現時点ではその可能性は低いと言えそうだ。7月には、レバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラとイスラエルの衝突が相次ぎ、イスラエルの攻撃により、シリアの首都ダマスカス近郊でヒズボラ戦闘員が死亡。月末にはヒズボラ戦闘員がイスラエル領内に侵入し、イスラエル軍が撃退している。

こうした中での大規模爆発だが、イスラエル軍は関与を否定。大勢の無実の市民を巻き込んでいることからも、ピンポイントで標的を狙うイスラエルの手口とは異なる。

いずれにしても、首都にTNT火薬数百トン相当の爆発物を放置していた怠慢が爆発の原因であり、レバノンの失政ぶりを象徴している。そもそも、こんな危険物がなぜ、放置されることになったのか。ことは2013年9月までさかのぼる。


爆撃を受けた地域の爆発前と爆発後の様子(写真:Russian space agency Roscosmos/Handout via REUTERS)

ロシアの船会社が所有していたモルドバ船籍の貨物船がトラブルでベイルートの港に寄港し、手続き上の問題が重なり、積荷の硝酸アンモニウム約2750トンがレバノン税関によって押収された。船主は、船の所有権を放棄し、この積荷も行き場を失った。

ツイッターに投稿された画像によると、硝酸アンモニウム約2750トンはがら袋に入られて積み上げられ、安全に管理されていたとは言い難い。危険性は、港湾当局や税関当局も認識しており、税関トップから司法当局に5〜6回の対応を促す書簡が送られたとされるが、対処されなかった。書簡では、海外輸出やレバノン軍への供与、ダイナマイトを扱う民間会社への売却が提案されていたという。

早くも責任のなすり合い

ディアブ首相は、司法相や内相、防衛相、軍など4つの治安部門トップによる調査委員会を設置し、数日中に内閣に調査結果を報告するよう命じた。ただ、中東の衛星テレビ局アルジャジーラによると、早くも責任のなすり合いが始まっている。

港湾当局を所管するナッジャール公共事業・運輸相は、危険物の存在は爆発の11日前に知ったと主張し、「倉庫やコンテナに何が入っているのか知っている大臣は存在しない。それを知ることはわたしの職務ではない」と言い切った。


爆発では約30万人が家を失ったとされる(写真:REUTERS/Aziz Taher)

公共事業・運輸省は、司法当局に対応を求める書簡を何度も送ったといい、ナッジャール氏は「司法当局は何も対応しなかった。職務怠慢だ」と主張。これに対し、司法関係者は「主要な法的責任は港を監督している港湾当局やそれを管轄する公共事業・運輸省のほか、税関当局にある」と反論する。

このように責任の押し付け合いが熱を帯びているほか、前述したように、レバノンは宗派による権力配分型政治が続いており、特定の人物や勢力を批判したり、やり玉に上げたりすると、宗派間対立を招いてしまうことから責任追及はあいまいになりがちだ。
 
レバノンが金融危機に見舞われているのも、政治腐敗による組織的な経済失政の色合いが濃い。政治家や財界重鎮が金融機関を牛耳るレバノンの金融システムは、金融機関が国家に貸し付けて得た利子で、政治家や有力一族ら大口顧客に法外な利息を提供するなど「巨大なポンジ・スキーム」と揶揄されている。

詐欺師チャールズ・ポンジの名に由来するこのスキームとは、実際には資金を運用せずに自転車操業的に行う詐欺行為の一種。レバノンでは、最終的に国家が債務を返済できずに国民がツケを支払わされている。

経済失政を招いた政治腐敗は、今回指摘されるような政府や行政の機能不全の原因ともなる。政治家や省庁の人材登用は、能力よりも宗派や派閥を重視する縁故採用や情実人事という、レバノン政治の上から末端まで浸透する政治体質に基づいて行われているとの不満が多い。だから、政府や行政の仕事は、国民の利益や安全が軽視され、宗派や派閥、個人の利益や利害が優先されがち。

政府組織の中でも、ベイルートの港や税関は、違法な武器も含めて非合法的に動くことがあり、「多くの派閥やヒズボラ系を含めた政治家らが支配する、レバノンの中でも最も腐敗した、うまみのある組織の1つとして知られている」(レバノン紙アンナハール)。

民営化や資金調達の一貫として、港の管理権を海外の企業に売却する可能性も浮上していたとされるが、今回の事件で改革に向けた海外からの投資はますます停滞しそうだ。

政治家や派閥は、港など国のインフラや設備、組織を、利益を吸い上げるために利用するうえ、インフラの劣化も激しい。電力供給や安全性の高い水道の維持などの公的なサービスもままならず、国民は発電機を買うといった自衛策で猛暑を乗り切るしかない。独占的な通信事業によって携帯電話代は高く、利益は有力一族や財界重鎮に吸い上げられる。

政治腐敗に反発したデモでハリリ首相が昨年10月に辞任したものの、その後も改革が進む気配はない。経済危機打開へ国際通貨基金(IMF)に支援を仰いでいるものの、国際支援を受けるための改革は進まず、爆発が起きた前日の3日には、政治家同士の足の引っ張り合いに辟易したとして、ヒッティ外相が辞任している。

コロナ禍で海外移住の道も閉ざされる

レバノンの政治腐敗は構造的な問題があり、一朝一夕には解決しない。このため、最近のデモでは、銀行が襲撃されるなどデモ隊が暴徒化する様相も呈している。

レバノン政治に詳しい専門家は「レバノン政治は構造的問題を抱えており、政治腐敗や宗派のボスを批判しても問題は解決しない。実際にデモ隊が求めるものを実行するにしても、どこから行っていいか分からない状況だ。銀行襲撃に走るなど明確な批判の対象が見えなくなっている」と分析する。

レバノン人たちは歴史的に、困難に直面した時には海外に活路を見出してきた。日本から逃亡したカルロス・ゴーン被告の先祖も、こうした経緯でブラジルに渡っている。レバノンでは海外に移民した国民が自国に住む国民の数よりも多いが、新型コロナウイルスの感染拡大による移動制限や世界的な景気後退により、移住という選択肢も今は取りづらい。

こうした中でも、レバノン国民は、爆発によって家を追われた人々に空き家や別荘、空き部屋を提供するなど、政府に頼れないために宗派を越えた結束力を見せている。ある市民は「今回の事件の背後に政治腐敗や怠慢があるのは明らか。まずは調査結果を見守りたい」と冷静を努める。ただ、レバノンの政治構造や体質は容易に変わらないとの見方が強い。レバノンの危機は、ますます深刻化することになりそうだ。