※連載「『考える機械』の未来図」の第4回から続く

「人工知能の「知能」とは、そもそも何を意味するのか?:「考える機械」の未来図(5)」の写真・リンク付きの記事はこちら

ハーヴァード大学の認知心理学者のエリザベス・スペルキは、そのキャリアを世界で最も高度な学習システムの研究に捧げてきた。それは赤ん坊の心理である。

ぐずる赤ん坊と人工知能(AI)とでは、まるで勝負にならないように見えるかもしれない。赤ん坊には画像のラベリングもテキストマイニングもできないし、ヴィデオゲームの腕前も話にならない。

それでも赤ん坊は、どんなAIにも不可能なことをやってのける。生後たった数カ月で、文法などの言語の基礎を把握し始め、物理世界の仕組みを理解し始め、未経験の状況に順応し始めるのだ。

だが、赤ん坊が(あるいは大人が)具体的にどのように学習しているのかについては、スペルキのような専門家にも正確なところはわからない。こうした知識のギャップから、現代のAI開発の核心にあるひとつの問題が明らかになる。わたしたちは、何を目指すべきかを理解できていないのだ。

ヒトの知性の特殊性

世界トップクラスのAIを例に考えてみよう。グーグルの親会社であるアルファベット傘下のディープマインドが開発した「AlphaZero」の能力は、ボードゲームに関する限りは超人的である。AlphaZeroは自分自身と超高速で数千回も対局し、勝者の手を学習することで、よく知られたチェスの戦略を独自に発見した上に新たな戦略も発明した。

ヒトの認知能力を機械が上回ったように思えるのも無理はないだろう。しかしAlphaZeroは、学習フェーズにおいてヒトよりも何百万回も多く対局を経験する必要がある。何よりAlphaZeroは、ボードゲームから学んだことをほかの領域に応用することはできないのだ。

AI分野のパイオニアのなかには、こうした根拠に基づいて、新たなアプローチが必要だと主張する者もいる。著名なAIエンジニアで広く利用されている深層学習フレームワーク「Keras」の開発者でもあるフランソワ・ショレは、「ヒトの知性の特殊性は、可塑性、つまり一度も経験したことのない状況に知識を応用する能力にあります」と指摘する。彼は2019年11月の研究論文で、特定のタスクにおける処理能力だけに基づいて機械の知性を測定することは見当違いであると主張した。

「ヒトは最初からスキルをもっているわけではありません。新たなスキルを習得する幅広い可能性をもって生まれてくるのです」と、ショレは言う。「チェスの達人が示しているのは、チェスの対局における能力そのものではなく、それと同じくらい難しい課題の処理能力を身につけられるという潜在的な可能性です。両者はまったく別の素質なのです」

AIの学習能力

ショレは、AIプログラムに「より一般的なかたちの学習能力」がどのくらいあるか検証するための一連の問題を提案した。どの問題も、格子のなかにある色のついた四角形を少数の前例に基づいて並べ替えるもので、人間にはそう難しくない。

しかし、大量のデータを利用した学習に依存する現代の機械学習プログラムは、先例が少ないと学習できない。20年4月末の時点で650以上の研究チームがこの課題に挑戦しているが、最も優秀な成績をあげたAIシステムでも正答率は12パーセント程度だった。

ヒトがこのような問題をどうやって解いているのははっきりしないが、スペルキの研究からいくつかの手がかりが得られる。第一に、ヒトは特定の物事を素早く学習する能力を生得的に備えている。笑顔の意味や、物を落としたときに何が起きるかといったことだ。

さらにわたしたちは、他者から多くのことを学ぶ。最近のある実験では、生後3カ月の赤ん坊たちが非効率的なボールの持ち方をする他者を見て不思議そうにすることが示された。これは、この年齢ですでに「ヒトが環境に働きかけて変化を起こすこと」を認識していることを示唆している。

一方で、いま存在する最も高度で強力なAIシステムであっても、こうした概念を把握することはできない。例えば自律走行車にとっては、トラックから積荷が落ちたら何が起きるか、瞬時に常識的な判断を下すことは不可能だ。

新しい学習方法の必要性

マサチューセッツ工科大学(MIT)教授で脳・心・機械センターCBMM)に所属するジョシュ・テネンバウムは、スペルキと緊密に連携しながら、認知科学の知見をとりいれたプログラムを開発している。現在のAIのほとんどは全体的な視点を欠いているのだと、彼は指摘した上で、1884年刊の風刺小説『フラットランド』を例に挙げた。

進化がヒトの脳にさまざまな能力を授けたように、AIプログラムが赤ん坊のように効率的に学習し、知識を活用するには、物理学や心理学の基礎的な理解が必要になると、テネンバウムは考えている。そして、こうした知識を新たな状況に当てはめるには、新しい学習方法が必要だ。例えば、単なるパターン検出ではなく、因果推論をするといった新しい学習方法である。

「もし知性があるなら、どこかの時点で『この先にはほかの何かがありそうだ』と気づくことでしょうね」と、テネンバウムは言う。