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「限界を超えたい」

 8月21日に32歳になるロベルト・レバンドフスキは、今季のリーグ戦終了後のインタビューでそう話した。ベテランに差し掛かるポーランド代表のエースストライカーは、今季バイエルンでキャリアハイとなるリーグ34得点を挙げた。


チャンピオンズリーグ制覇を目指す、バイエルンのレバンドフスキ

 得点力はもとより、身体的に屈強で、空中戦に強い。足元の技術にも優れていて、ゴール前の狭いエリアではポストプレーヤーとしてもアシスト役としても得点を演出できる。

 どんな形でもゴールに絡むことができるプレーの幅広さ。これが、世界最高のストライカーという彼への評価を不動のものにしている。

 今季の前半は監督を務めていたニコ・コバチと主力選手たちの不和の影響もあり、チームとしてのパフォーマンスが冴えない時期がつづいた。だが、本人はそんなチーム状態でも開幕から11試合連続ゴール。ひとりコンスタントに結果を残し、その後も最後まで存在感を放った。この活躍を受け、「キッカー」誌がブンデスリーガの選手に行なったアンケートで、リーグ最高のフィールドプレーヤーに選ばれた。

 怪我で長期離脱もせず、チームの好不調に左右されたりもせずに、レバンドフスキがここまで安定して活躍できているのは、稀に見る"プロ意識"のおかげだ。その背景には、スポーツエリートの家庭に生まれ育ったことが挙げられる。

 レバンドフスキは、柔道家で、ユース年代の欧州選手権を制覇した経験がある父親と、プロのバレーボール選手だった母親を持つ。姉のミレーナもプロのバレーボール選手で、まさに絵に描いたようなスポーツ一家だ。

「エリートのDNAを引き継いだ」と書いてしまえば簡単だが、ロベルトとミレーナにとっては、両親がともに引退後に体育教師となったのが幸いした。レバンドフスキは「すべてのスポーツを試した。バレーボール、バスケットボール、ハンドボール、陸上、体操、卓球......」と幼少の頃を振り返る。

 レバンドフスキは、優れた長距離ランナーだったこともあり、サッカーだけをやらせてもらえる環境ではなかったようだ。幼い時はサッカーができない状態が不満だったものの、現在になって振り返れば、両親の判断に感謝しているという。「多くの競技を経験したのが優位に働いているのは、確実だね。サッカーだけをプレーしていたら、僕の筋肉は、ここまでの柔軟性を得られなかった」と本人は話す。

 レバンドフスキの両親は、自身がサッカーの専門外であるのを理解し、プレーに関して口を出さなかった。その代わり、息子のロベルトがきちんとした指導を受けられるように環境を整え、サポートを惜しまなかった。トレーニングのたびに片道2時間ほどの距離にあるワルシャワのクラブまで送迎をつづけた。

「両親は、僕のためにすべてを尽くしてくれた。それは、僕がプロ選手になると、あらかじめわかっていたからではないよ。単純に、僕が心からサッカーに打ちこんでいたことに気づいたからさ」

 試合の時も、ピッチ脇から大声でわめいたりせず、静かに見守った。何か話すとすれば、帰路の車の中で静かに話し合った。プロになり、ほかのチームメイトと話をするなかで、自身の両親がほかの選手の両親とは違っていたのに気づいたと言う。「僕の両親は、決して僕にプレッシャーをかけなかった。僕は、そのことに大きく感謝している」。

 両親がレバンドフスキにアドバイスをしたのは、アスリートとしての考え方やキャリア形成の部分だ。「僕の両親は、僕の歩んだキャリアと同じ道のりを先に経験しているからね。両親は、僕がある特定の状況に直面した時、そういった場合にどうすればいいのか、説明しようとしてくれていた」と振り返る。この言葉を裏付けるように、レバンドフスキのキャリアは、着実に一歩ずつステップアップしていった。

 癌で父親を失った2004−05シーズン、レバンドフスキは16歳で4部のデルタ・ワルシャワでデビューした。翌シーズンは欧州の大会にも名を連ねるポーランドの名門レギア・ワルシャワのセカンドチームへ移籍。ポーランド2部のレベルを体感したあと、2006-07シーズンに出場機会を求めて当時3部のズニチュ・プルシュクフへ移籍した。このシーズンに得点王となり、2部昇格に貢献。翌シーズンも2部で32試合出場、21得点で得点王に輝いた。

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 この活躍が認められ、2008年に20歳でポーランドのトップクラブのレフ・ポズナンへ移籍。新人賞を獲得し、国内トップの選手として認知されると、10年にはユルゲン・クロップ率いるドイツのドルトムントへ移籍した。ここからの活躍は、誰もが知るところ。香川真司らとドルトムントの一時代を築き、14年に満を持してバイエルンへと移籍した。

 レバンドフスキは「父は僕のことを誇りに思ってくれていると思う。父のおかげで、今の僕があるんだ。父は、僕が選手としても、人間としても成長できるように気にかけてくれていた」と自身の足跡を振り返り、思い出を噛み締めた。「僕のプロとしてのプレーを見る機会はなかったけれど、天国で見てくれているといいね」。

 トップアスリートとして第一線で活躍しつづけるレバンドフスキだが、慢心することはない。元空手の世界ランカーで、現在は栄養士の夫人アンナの助言を受けながら、コンディショニングにも気を配りつづける。「自分のキャリアを長くつづけるためには、33、34歳になってから、そういったことについて考え始めても遅すぎるんだよ。もっと早くから始めないといけない」。

 それを証明するように、31歳の今季、キャリアハイの34得点。1シーズン40得点のゲルト・ミュラーの伝説的な記録に迫る活躍を見せた。「今年の夏に32歳になるけれど、まだ27、28歳ぐらいの感覚だ。まだまだ長くトップレベルで活躍しつづけたいし、そのためには何でもするよ。まだ自分自身の限界は見えていない。まだまだ成長できる」と、これまでプロとして体調管理をしてきた恩恵を感じている。

 ドイツ国内のタイトルはすべて獲得した。今季もブンデスリーガとドイツ杯のダブルを達成。念願のトリプル達成には、チャンピオンズリーグ(CL)を残すのみ。13年にはドルトムントの一員としてイングランドのウェンブリーでの決勝の舞台に立ったものの、皮肉にもバイエルンに敗れた。

 新型コロナウイルス感染拡大によって中断されたリーグ戦でも、バイエルンはうまく対処できた。この経験から、バイエルンのエースストライカーは「CLのトロフィーを手に入れる大きなチャンスだ。チームはやる気に満ちているし、うまくまとまって雰囲気もいい」と自信を見せる。「もしかすると、チェルシーとの第2戦(ラウンド16/第1戦は3−0で勝利)が控えているのも、僕らにとっては悪くはないのかもしれない。再びCLで戦うモードに入っていくためにもね」。

 現在の自分自身が発揮しているパフォーマンスは、「おそらく90%ぐらい」だと話すレバンドフスキ。自国ポーランドの英雄となり、世界最高のストライカーという評価を得ても、さらなる伸びしろを見出している。

「自分の限界を超えたいんだ」。未踏の欧州制覇へ、挑戦が始まる。