■「専門家の意見を聞いた上で判断したい」の無責任

「専門家の意見を聞いた上で判断したい」――。連日記者会見を開いて新型コロナウイルス対策について語っている西村康稔経済再生担当大臣は、何度このフレーズを繰り返しただろうか。

写真=時事通信フォト
首相官邸に入る安倍晋三首相=2020年8月5日、東京・永田町 - 写真=時事通信フォト

「Go To トラベル」の前倒し実施に踏み切った時も、8月1日に予定されていたイベント開催制限の緩和を見送った時も、そう語っていた。判断はあくまで専門家の意見に従った結果で、政治が勝手に決めたわけではない、と言いたいのだろう。要は責任逃れに終始しているのだ。

お盆休みの帰省シーズンが目前に迫っているが、国民はどう行動すれば良いのか。西村担当相は、またしても「専門家任せ」に動いていた。帰省が本格化する前の8月7日までに政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」を開いて意見を聞くとしていたのだ。

ところが、8月5日の夕方、分科会の尾身茂会長が臨時の記者会見を開催。「お盆休みが近づく中、次回の分科会の開催を待たず、政府に対して帰省に関する提言をすることが責任、役割だと思った」とし、政府への提言内容を公表したのだ。

■分科会は「お墨付き」のために利用されている

尾身会長がフライングとも取れる行動に出た背景には、分科会に責任を押し付ける政治家の対応に苛立ったためだとも言われる。「Go To トラベル」の実施と東京の除外を決めた7月16日、政府は分科会を開催した。専門家から意見を聞いた上で正式決定する、はずだった。

ところが、すでに「東京発着を除外して22日から実施」という方針をメディアが一斉に報道。分科会のメンバーである小林慶一郎・東京財団政策研究所研究主幹がテレビ番組などで明かしたところによれば、分科会の開催前に事務方からは何の説明もなく、分科会は東京除外を追認するだけの場だった、という。要は、「専門家の意見を聞いて」というのは建前で、官邸が決めたことに「お墨付き」を与えることに利用されたというわけだ。

新型コロナの感染者数が再び増加する中で、感染拡大を防ぐためにテレワークの推進などを求める一方で、人の動きを加速する「Go To トラベル」を前倒し実施するという「矛盾」した政府の姿勢に、国民からは強い批判の声が上がったのはご存知の通りだ。

■「Go To トラベル」開始をめぐる経緯

7月29日に国会の閉会中審査に呼ばれた尾身会長は、爆弾発言をする。

「(Go To トラベルの開始を)根拠を持った説明ができる必要があると思ったので、もう少し判断を延ばしたらどうですかというふうに申し上げたけども、一応政府はそのことについては我々の提言は採用しないと」

つまり、開始判断を先延ばしするよう提言したのに、政府が受け入れなかった、としたのだ。ここで尾身氏が「提言」と言っているのは分科会としての正式な提言ではないようだ。7月16日の分科会に先立って、尾身会長が西村担当相に話した、ということらしい。

西村担当相は国会答弁でこう答えている。

「20日ごろまでの時間があれば、より詳しい分析ができるというお話を(尾身会長から)頂いた。政府全体で22日からGo To トラベルを始める方針でありましたので、まさに直前になるので、さまざまな混乱が生じるのではないか」

つまり、20日では混乱するので、16日の分科会で決定してもらったと明かしたのだ。

そんな「過去の経緯」があったから、お盆の帰省に関して尾身会長が事前に会見し、政治に釘を刺した、というわけだ。

■尾身会長の「霞ヶ関官僚」の経験は長い

だが、尾身会長の行動にも疑問を呈する向きがある。

7月16日より前に「判断」を先延ばししてはどうかと西村担当相に「提案」した内容について、分科会では正式に議論されていない。分科会のメンバーの中には、「Go To トラベル」キャンペーン自体を延期すべきだという意見を持っていて会議で発言しようとしていた人もいた。ところが尾身会長は西村担当相と事前に「手打ち」をして16日の会議ではまともな議論は行われなかった。

尾身会長については、WHO(世界保健機関)の西太平洋地域事務局長の経歴がことさら強調されるが、厚生省(現・厚生労働省)の医系技官として長年勤務してきた霞が関官僚の経験が長い。官邸の意向を受け入れる一方で、自らの責任や背後にいる厚労省の責任は追及されないよう動いているのではないか、という指摘もあるのだ。

8月5日の緊急会見での「提言」をそういう視点で見ると、気が付くことがある。「次回の分科会の開催を待たず、政府に対して帰省に関する提言をすることが責任、役割だと思った」と発言しているが、なぜ、分科会を前倒しで開かず、「提言」することが「役割」なのか。分科会を開けば、「帰省は自粛するよう求めるべきだ」という強硬な意見が出ることは明らかだった。

■国民全体に「帰省は控えろ」と呼びかけてはいない

そういう視点で尾身会長の「提言」を見てみると、政府に対応を求める点を「断言」していないことが分かる。

「帰省する場合には、『基本的感染防止策(手指消毒やマスク着用、大声を避ける、十分な換気など』の徹底や三密を極力避けるとともに、特に大人数の会食など感染のリスクが高い状況を控えるなど、高齢者等への感染につながらないよう注意をお願いします」
「そうした対応が難しいと判断される場合には、感染が収まるまで当分の間、オンライン帰省を含め慎重に考慮していただきたいと思います」

読んでお分かりの通り、どこにも国民全体に「帰省は控えろ」と呼びかけてはいないのである。

唯一書かれているのは「そもそも、発熱等の症状がある方は、帰省は控えて下さい。感染リスクが高い場所に最近行った方は、慎重に判断して下さい」という当たり前の指摘だけだ。

さっそくこれを受けて、西村担当相は会見でこう述べている。

「前提として、お盆休みの帰省については一律に自粛を求めるものではない。故郷に帰って、お墓参りされることもあると思う。(中略)当然、いろんな親戚にも会うと思う。国としては分科会の提言に沿って国民の皆様にお願いをする」

これで、分科会のメンバーから「帰省を控えるよう政府が求めるべきだ」という声が出る道筋は封じ込められた、ということだろう。結局、政府としては、帰省について「一律に自粛は求めない」というお墨付きを専門家から得たということになるわけだ。

■政治家も官僚も専門家も「責任逃れ」モード

結局、自己責任ということなのだろう。感染爆発を抑え込むことに政治家が強いリーダーシップを取るべきだと多くの国民が感じている中で、政治家も官僚も、専門家も「責任逃れ」モードなのだ。

安倍首相は8月6日、広島で50日ぶりとなる記者会見を開いた。国会閉幕翌日の6月18日に会見を開いて以降、ごく短時間の「ぶら下がり」インタビューを除いて、一切、国民に語りかけることをしてこなかった。新型コロナ関連は西村担当相に任せきりできたのだ。50日ぶりの会見も、幹事社が事前に提出した質問以外は受け付けないことで同行メディアと合意していたという。

政府が明確な対応を示さない中で、自治体にしわ寄せが及んでいる。愛知県は県独自の緊急事態宣言を出し、8月6日から24日までの間、大人数での会食や、県をまたぐ帰省など不要不急の行動・移動の自粛を求めることにした。

「Go To トラベル」キャンペーンの結果、大都市圏から旅行者が増えた沖縄県は、8月1日から15日まで県独自の緊急事態宣言を発出。不要不急の外出自粛や、飲食店の営業時間短縮、キャバレーやスナックなどの接待を伴う遊興施設の休業要請などに踏み切った。また、医療体制が脆弱な、離島などへの渡航自粛も打ち出している。

「今年のお盆は帰って来なくていいから」

地方の老親からそんな連絡を受ける都会の家族も多い。国が「自己責任だ」とばかりに明確な方針を示さなければ、感染を広げた場合のツケは個人が払わなければならなくなる。感染を恐れて、自分の判断で営業を「自粛」すれば、国は何の保証もしなくて済む。

国民が危機に直面している今、政府が何もできないとなれば、政治や官僚機構への信頼は地に落ちることになるだろう。

----------
磯山 友幸(いそやま・ともゆき)
経済ジャーナリスト
1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。著書に『国際会計基準戦争 完結編』(日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)などがある。
----------

(経済ジャーナリスト 磯山 友幸)