「伊勢谷くんを応援していた」山本寛斎さん親族語る兄弟の絆

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「兄の寛斎も私も、伊勢谷くんのことは生まれたころから知っていました。赤ちゃんだった彼を抱っこしたこともありましたね」

そう語るのは、株式会社・寛斎スーパースタジオの社長を務める山本斎彦氏。

7月27日、世界的に活躍したファッションデザイナー・山本寛斎さん(享年76)の急性骨髄性白血病による逝去が公表された直後、俳優で異母弟の伊勢谷友介(44)は自身のインスタグラムに、こんな追悼コメントを掲載した。

《寛斎さんが病床で、最後に僕に聞いた事。「俺の生き方、どうだ?」僕は慌てて「凄いです。世界のファッションに早くから挑戦して、イベントの演出家として大きなショーを現実にしたことも。」と。寛斎さんは満足気に小さく頷いた。。。》

寛斎さんと伊勢谷は、32歳の年の差があったが、その絆は強かったという。伊勢谷はインスタグラムでこうもつづっている。

《僕が物心ついた頃には、寛斎さんはファッションの分野で世界を相手に正に『歌舞いて』いた。そんな兄の存在は高校生の僕にとってメンターに変わった》

2人の関係について、寛斎さんの実弟である前出の山本斎彦氏は次のように語った。

「伊勢谷くんが生まれたころは交流がありましたが、その後、彼はお母さんの実家がある北海道で生活することになり、その期間は会うことができませんでした。交流が復活したのは、私たちの父が亡くなった後で、伊勢谷くんが大学生だったころですね」

当時、伊勢谷は東京藝術大学美術学部デザイン科に在学中だった。

「伊勢谷くんがデザインの勉強をしていたのは、兄・寛斎に憧れてのことだったと聞いています。兄は自分と同じように芸術を志す者として、伊勢谷くんを応援していました。それは彼が芸能界に進んでからもずっと変わりませんでしたね。兄弟の絆は、病室での最後のやり取りにも表れていると思います」

実は寛斎さんは伊勢谷との舞台共演も考えていたようだ。『AERA』(’17年7月10日号)で2人はいっしょにグラビア記事に登場しているが、寛斎さんが伊勢谷に《来年、イギリスで舞台を一緒にやりましょう》と呼びかける様子も記載されている。

結局、何らかの事情で“イギリスでの兄弟共演”は実現しなかったが、寛斎さんは、どのような舞台を構想していたのだろうか?

「私の業務はライセンス管理がメインですので、舞台計画などの詳細は把握していないのですが、おそらくファッションイベントのようなものを伊勢谷くんとやりたいと考えていたのではないでしょうか」(斎彦氏)

伊勢谷が追悼文で《やりきる人生、命を使い切る人生》と、表現したように、芸術に命を燃やし尽くした寛斎さん。しかし、もし心残りがあったとしたら、弟・伊勢谷との舞台共演の夢が叶わなかったことなのかもしれない。