今回、新たにあらわになったのは、階級論の用語を用いれば「旧中間階級」に属する人々の脆弱性だ(写真:MaCC/PIXTA)

新型コロナ禍は日本における格差をさらに拡大させ、中流層が下流に転落するリスクがかつてないほどに高まっている。社会学者の橋本健二氏は著書『中流崩壊』で、中流内の2つの階級である、ホワイトカラーの会社員を中心とした「新中間階級」と、自営業者を中心とした「旧中間階級」の分断が進み、格差と対立が深刻なものになりつつあると指摘する。

日本は“階級社会”化に歯止めがかからず、中流層は消滅していくのだろうか。同書より一部を抜粋し、3回にわたってお届けする。

コロナが完全に消し去った「一億総中流」の幻想

「一億総中流」――。いまとなっては、なんとも懐かしい響きの言葉である。

かつては存在していた、少なくとも存在すると信じられていたが、すでに失われ、あるいは誰も信じなくなっている。豊かさも生活のあり方もさまざまな日本人の全体を、強引にひとつに結びつける言葉という意味では、アジア・太平洋戦争中の「一億火の玉」にもたとえられようか。

1980年代から始まった格差拡大は、日本の社会のあちこちに巨大な分断をつくりだし、これを形容する言葉は「格差社会」に取って代わられた。そして「格差社会」の地点に立って過去をふりかえれば、いまよりは小さかったとはいえ、また気づかれにくかったとはいえ、当時の日本にも大きな格差があったことがよくみえてくる。

そして日本では2020年1月から始まった新型コロナ感染症の蔓延は、「一億総中流」の幻想を、最終的に消し去ったといっていいだろう。なぜなら新型コロナ禍は、すべての人々に平等に襲いかかったのではなかったからである。同じような年齢で、同じような健康状態であれば、抵抗力そのものには違いがないのかもしれない。しかし、身体的な抵抗力は大きな問題ではなかったのだ。

私たちは連日、新型コロナ感染症の流行で苦境に陥った人々についての報道を目にしてきた。その多くは非正規労働者に関するもので、これら弱い立場の労働者が、まっさきに雇い止めとなり、収入の道を断たれるという事態が、また繰り返されていることを伝えていた。

労働組合の幹部は、これを「コロナ切り」と呼んでいたという。非正規で働くシングルマザーの多くが、収入が減った上に臨時休校で子どもの世話もしなければならず、給食がないので食費もかさみ、追い詰められた。多くの外国人労働者も雇い止めを受け、帰国する交通費もなく、職につくあてもなく、途方に暮れた。

しかし同様に多かったのが、自営業者や個人事業主に関する報道である。飲食店は大幅に売り上げが減り、テイクアウト販売を始めたりするもののまったく追いつかず、家賃や光熱費の負担に苦しんでいた。

商店街からは人通りが消え、衣料品店や雑貨店などは売り上げが激減し、次々に閉店を余儀なくされた。町工場は中国や韓国から部品が入ってこなくなり、受注も激減して、廃業へと追い込まれていった。ゼネコンなどから個人または数人で作業を請け負う建設業者は、作業現場で感染の危険にさらされ、あるいは工事の停止によって収入を断たれた。

新型コロナで「階級性」があらわに

このように新型コロナ禍の直撃を受けたのは、まず非正規労働者、そして自営業者や個人事業主だった。ここに新型コロナ感染症の「階級性」があらわれている。その流行は、日本がれっきとした階級社会であるという事実をあらわにしたのである。

もっとも非正規労働者が脆弱な立場にあることは、すでに広く知られていた。しかし今回、新たにあらわになったのは、自営業者や個人事業主など、階級論の用語を用いれば旧中間階級に属する人々の脆弱性である。

一般に現代社会には、資本家階級と労働者階級という2大階級のほかに、2つの中間階級がある。それが、新中間階級と旧中間階級である。新中間階級とは企業などで働くホワイトカラーや専門職のことである。

一方の経営者、他方の現場で働く労働者の、文字通り中間に位置する階級で、資本主義の発展によって新しく生まれてきた階級である。これに対して旧中間階級は、ひとりで経営者、そして現場で働く労働者の両方を兼ねるような働き方をしている人々で、前近代社会から存在している古い階級である。

新中間階級と旧中間階級は、近代日本における2つの「中流」である。一方は、学歴や技術をもち、組織のなかに地位を築く「中流」。他方は、事業に必要な有形無形の資産をもち、独立自営で働く「中流」である。この2つの中流は、普通の人々に手の届く「ほどほど」の目標であり、だからこそ「中流」の多い社会は望ましい社会だとみなされてきた。

ところが新型コロナ禍は、この2つの「中流」に大きな違いがあることを浮き彫りにした。業種によって違いはあろうが、新中間階級は在宅勤務で大方の仕事をこなすこともできたうえ、さしあたって雇用と給料は保証されていた。ところが他方は廃業の危機に、ひいては階級としての存続の危機に追い込まれたのである。

小さな商店や町工場が多数あるからこそ、多様で個性的な商品が流通し、ニッチな分野での商品開発も進んできた。最低限の生活は大量生産・大量消費でも可能かもしれないが、それ以上の部分は旧中間階級の存在による部分が大きい。

また多くの労働者が、町工場や商店の主になることを夢見て働いてきた。新中間階級のなかにも、独立して起業しようとする人は多い。旧中間階級という身近な目標が失われることは、社会にとって大きな損失である。

旧中間階級と非正規労働者は、密接な関係にある。飲食業やサービス業を含む多くの商店がパートやアルバイトを雇い、雇用の機会を提供してきた。一般に低賃金であるところに問題はあったし、また雇用は安定していることに越したことはないが、学生や主婦など人生の一時期だけの雇用に対するニーズを満たすという意味はある。

社会は「旧中間階級」を支えよ

だから窮地に陥っている自営業者や個人事業主を社会全体で支えること、そしてその基盤をさらに安定したものにしていくこと、このことを通じて非正規労働者の雇用を安定させ、さらにはその労働条件を改善していくことは、現代日本の直面する喫緊の課題である。

いまここで旧中間階級を衰退させてしまうようなことがあってはならない。そうなれば生活の豊かさと社会の多様性が、大きく損なわれるだろう。そして、すでに深く進行してしまった「中流崩壊」は、最終的に完成するだろう。


「総中流」がいくら幻想を含んでいたとしても、たしかに「中流」の人々は存在していた。また「中流の崩壊」が語られるようになって久しいが、いまでも「中流」の人々は、たしかに存在している。

ある時期までの日本人が「総中流」をもてはやし、またこれを信じたのは、それが社会のひとつの望ましいあり方を示していたからだろう。誰もが豊かで幸せな生活を送ることのできる社会という理想が、ここには含まれている。

したがって、単なる幻想と片付けるわけにはいかない。現実の社会を、ここへと近づけていく努力を放棄してはならない。新型コロナ禍を経験したいま、旧中間階級を守り抜くことは、そのための第一歩である。