記者に鋭い視線を送り、質問に対しては丁寧に応じていたビエルサ。アルゼンチンが生んだ奇才は21年前から独特の雰囲気を持っていた。 (C) Javier Garcia MARTINO

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 この写真は1999年の夏、当時アルゼンチン代表監督だったマルセロ・ビエルサの会見で撮影したものだ。

 至近距離からカメラのファインダー越しに見たビエルサの目つきは、まさに「エル・ロコ(クレイジーな人)」そのものだった。質問に耳を傾けている間も、その一つひとつに丁寧(過ぎるほど)に回答する間も、瞬きさえしていないのではないかと思うほど、彼の視線は質問者がいる方向に突き刺さったままだ。

 自身のアイデアに揺るがない信念を抱き、疑問を投げかける者にその理論を徹底的に説き、一切の妥協を許さなかった。あの頃は現在と違って髪も長く、映画「シャイニング」でジャック・ニコルソンが演じた主人公ジャックを彷彿とさせる狂気を漂わせていた。私が抱くビエルサの印象は、この時のイメージから変わらない。

 この会見から、約3年後、アイデアに執着し過ぎたエル・ロコは、2002年の日韓ワールドカップ(W杯)で、優勝候補だったアルゼンチン代表を率いてグループステージ敗退という屈辱を味わう。

 第3戦のスウェーデン戦で引き分けて、早期敗退が決まった後、仙台のスタジアムのプレスルームに漂った重苦しい空気の耐え難さは忘れられない。
 
 悔しさを噛みしめながら編集した写真を伝送し、メディアバスに乗って出発を待っていると、アルゼンチン人の同僚が乗って来て開口一番に、「俺らは、結局4年間もビエルサに騙され続けていたんだ」という怒りの言葉を発したが、アルゼンチンの一部の人々の心には、この感情が永遠に残ることになった。

 W杯予選ではアグレッシブな攻撃を武器に、他国を圧倒する強さを見せたビエルサのアルゼンチン代表。前任のダニエル・パサレラ監督が「ボールがカーブしない」という名言を残すほど苦手としていた高地での戦いにおいても戦術を変えず、海抜2850メートルのキト(エクアドルの首都)で勝利を収め、4節を残した時点で早々に本大会への出場権を得た時は、本当に爽快だった。

 ガブリエル・バティストゥータ、エルナン・クレスポ、ファン・セバスティアン・ベロン、パブロ・アイマール、ファン・パブロ・ソリン、ロベルト・アジャラといった攻守に素晴らしいメンバーを揃え、名実ともに世界チャンピオンに相応しいチームと言えた。W杯南米予選が現在のような総当たりリーグ戦方式になって以来、ビエルサ監督のアルゼンチン代表が記録した勝率と得点数は過去最高となっている。
 深刻な経済難に襲われて不況のどん底にあった当時のアルゼンチンにおいて、そんな代表チームは国民の希望だった。大会前には代表選手たちが国民にサポートを送るCMまで流れ、予選ではホームとアウェーを合わせてほぼ全試合を取材した私も、確かな可能性を感じさせてくれるチームとして大きな期待を抱いていた。

 それだけに敗退時のショックはとてつもなく大きく、今でもアルゼンチンにはあの時の失望感を拭い切れない人が多い。私もその1人だ。

 ビエルサが優れた指導者で、サッカー界に多くの教えを残せる人物であるという評価には反論しない。彼の教えを受けたディエゴ・シメオネ、マルセロ・ガジャルド、マティアス・アルメイダ、マウリシオ・ポチェティーノらが国際的に認められる監督として、結果を出しているのも偶然ではないだろう。
 
 だが、今シーズンにリーズをプレミアリーグに復帰させたことで、彼を絶賛する風潮にはどうしても乗ることができないというアルゼンチン人は少なくない。ビエルサを崇拝する人たちは皆「結果よりもプロセスが重要」と言うが、日韓W杯でのショックは、それまでのプロセスをリアルタイムで、間近で見ていたからこそ大きかった。

「あれほど期待させておきながら」というやりきれない思いは、21年前のエル・ロコのイメージとともに、私の心の中にも刻まれたままとなっている。

文●ハビエル・ガルシア・マルティーノ text by Javier Garcia MARTINO
訳●チヅル・デ・ガルシア translation by Chizuru de GARCIA