“地獄を生き延びた者たち”の証言をとらえた「死霊魂」 (C)LES FILMS D’ICI-CS PRODUCTIONS-ARTE FRANCE CINEMA-ADOK FILMS-WANG BING 2018

写真拡大

 北米と肩を並べるほどの産業規模となった中国映画市場。注目作が公開されるたび、驚天動地の興行収入をたたき出していますが、皆さんはその実態をしっかりと把握しているでしょうか? 中国最大のSNS「微博(ウェイボー)」のフォロワー数278万人を有する映画ジャーナリスト・徐昊辰(じょ・こうしん)さんに、同市場の“リアル”を聞いていきます!

 名匠ワン・ビンが2018年に製作したドキュメンタリー「死霊魂」は、カンヌ国際映画祭公式作品史上最長となる8時間26分。この超大作は、全世界に大きな衝撃を与えました。「鉄西区」(「工場 鉄西区 第一部」「街 鉄西区 第二部」「鉄路 鉄西区 第三部」)、「鳳鳴(フォンミン) 中国の記憶」に続き、山形国際ドキュメンタリー映画祭2019では、3度目の大賞を獲得しています。

 題材となったのは、1950年代後半、中国共産党によって突然「反動的な右派」と名指しされた55万人もの人が理由もわからずに、夾辺溝再教育収容所へ送られた「反右派闘争」。生存率10%とも言われた収容所から生き延びた人々が、半世紀以上の時を経て、カメラの前で語る様子をとらえています。元々は4月4日に封切りを迎えるはずでしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて公開延期に。待ちに待った劇場公開(8月1日)を前に、リモート取材で行ったワン・ビン監督のインタビューをお届けします!

――1950年〜60年代に行われた「反右派闘争」。いつ頃から興味を示しましたか?

 楊顕恵さんの小説「夾辺溝の記録」を読んだことがきっかけとなりました。そこからすぐに動き始め、まずは現地に向かい、色々調査をしながら、多くの当事者に取材しています。

――取材時には「死霊魂」の製作を決めていましたか?

 いいえ。どういう作品を作るのかというのは、当初全く決めてなかったんです。楊顕恵さんの小説は素晴らしい。ですが「夾辺溝の記録」で描かれる内容は、真実の一部でしかないと思っていました。私は全貌を知りたかったんです。

――そこでの経験を基に「反右派闘争」の悲劇を描いた「無言歌」が誕生することになります。当時、ワン・ビン監督が劇映画に挑戦するという点が、非常に話題になりました。

 実は、最初から「ドキュメンタリー映画を撮りたい」と思っていたわけではないんです。「鉄西区」はドキュメンタリー映画として製作した方が良いと考えて撮り始めましたが、その後も「劇映画に挑戦したい」と考えていました。ですが、劇映画は全体的な規模も大きくなり、製作費も増してくる。私のような監督にとっては、非常にプレッシャーを感じる点です。ドキュメンタリー映画は製作費も少なく、資金を簡単に集められますし、撮影もそこまで難しくない。私には、ドキュメンタリー映画の方が向いているのかもしれません。

――テーマが共通している「無言歌」(10年製作)から「死霊魂」の披露まで、かなりの時間を要しています。プロジェクトはいつから始動しましたか?

 本格的に始動したのは、14年です。他作品の製作もありましたし、夾辺溝での取材が非常に時間がかかったんです。全ての取材を終えたのは、12年。14年に素材を一度編集したいと思い始めました。編集を進めていくと、欲しい素材が出てきたので、16年に再び現地を訪れています。

――「死霊魂」に登場する証言者たちは、その大半が05年に撮影されています。16年に訪れた際、心境の変化はありましたか?

 それはどうでしょうか……。本作は、2つの“死”に関する映画です。ひとつは「反右派闘争」で亡くなった方々の“死”。もうひとつは「反右派闘争」で生き残った方々が、これから迎えることになる“死”。撮影の最初から最後まで、ずっと“死”と対話をしていたような気がしています。

――本作を通じて「生存者の証言が、死者が生きていたことを証明する」ということを実感しました。最初から考えていたテーマでしょうか? それとも、撮っている間に決まっていったことでしょうか?

 仰る通りです。このテーマは撮影を経て、多くの証言を聞いた後に決めたテーマ。そういう意味では、8時間超えの尺は必要不可欠でした。私の作品に関する尺の長さは度々言及されていますよね。ですが、私は尺を意識して、映画を製作していません。大衆向けの映画を作っているわけではないですし、マーケットへの配慮もそれほどしていない。必要だと思う要素は、全て作品の中に入れたい、入れるべきだと思っています。本作は商業映画のように、1カ月、もしくは2カ月の間、多くの観客に一気に見せるための作品ではありません。ある意味、時間が必要な作品。10年後、20年後、この映画を見たいという人が現れると思っているので、可能な限り、一番良い形で作品を残したいんです。

――Screen Dailyは「カンヌ国際映画祭公式作品史上最長の『死霊魂』は、圧倒的で、凄惨で、胸をえぐる。我々の時代の『SHOAH ショア』である」とコメントを出しています。国内外のコメントでも『SHOAH ショア』と比較されることが非常に多い。ご自身はどう思われますか?

 「SHOAH ショア」と比較されているという点は、特に驚きを感じていません。尺も近いですし、見る側も同じ気持ちを抱くことでしょう。クロード・ランズマン監督は、私が非常に尊敬している方。だからこそ、私個人はランズマン監督の作品と比較することはない。私は、私。自分の作品に集中するだけ。ただし、観客が比較することに関しては、全く反対しません。

――取材対象者・周指南の葬儀は、とても印象に残るシーンとなっています。なぜ組み込んだのでしょうか?

 同シーンは、偶然撮影できたものなんです。周指南さんを取材したのは、彼が亡くなる20日前のことでした。取材が終わり、数日後、彼の家族から「亡くなった」と連絡がきました。その際に「葬式に参加したい」と強く感じ、その様子も記録に収めることにしました。劇中に取り入れたのは、周指南さんの全生涯を多くの方に見ていただくため。「ひとりの人間の一生」について、改めて考えていただけたらと思います。また、観客を早々に映画へ没入させるためには、必要なシーンだったとも感じています。

――後半には、登夾辺溝収容所の元職員・朱照南が登場しますね。彼は非常に特別な存在。作品のまとめ役として機能しているようにも思えます。出会いや取材の様子について、教えていただけますでしょうか。

 劇中の大半がインタビューで構成されていますが、それらを1本の映画としてまとめるのではなく、映画としてのバランスを保ちたいと考えていました。朱照南という人物は、62年に夾辺溝から去りました。上山下郷運動が原因で農村に下放(徴農)されましたが、まったく仕事をしていなかった。彼の存在、歩んできた歴史を、周囲の人々は全く知らない。もちろん、夾辺溝と関わっていたということもです。私の親友がある結婚式で朱照南さんと出会い、言葉を交わすなかで、偶然夾辺溝の話が出てきたんです。その日の夜、親友から連絡を受け、彼の存在を知りました。その後、家を訪ねましたが、話をしてはくれませんでしたね。1年後の07年、私は再び会う機会を設け、そこでようやく撮影の許可を得ました。彼の話は、ラストの一部を飾るに相応しい内容でした。

――多くの人々が「『死霊魂』は、今の中国にもつながっている」と感想を述べています。その一方で「今の中国のスタンスを表していない」とも述べる人も。この点に関して、どうお考えですか?

 常々思っていることがあります。それは映画の内容以外に「何かを企んではいけない」というもの。私にとって、映画とはある意味非常に単純であり、必ずイノセントなものでなければならない。映画表現は、時代を超え、普遍的なメッセージ性を伝えることができますし、現在と未来についての関連性を見出せる可能性を秘めています。観客の思考は自由。その点について、私があえてコメントを出すべきではない。ただ、私は映画を利用して、何かの目的を達成するということが嫌いです。「死霊魂」は、非常に単純な映画。証言者の言葉によって、歴史を記録したいだけ。今の中国とは全く関係がありません。

――日本の観客にメッセージをお願いします。

 本作は、中国の過去をとらえ、あまり語られてこなかった部分を映しています。8時間を超える作品なので、鑑賞は非常に疲れるはず。しかも“死”を扱っています。非常に重たい題材です。ですが“死”は永遠であり、我々の“命”は非常に短いもの。私を含めて、“死”について語りたくない、直面したくないという方々は多いと思います。でも、年を重ねると“死”について考え始めるでしょう? 昔は私も避けていたテーマです。しかし、今はこの題材から逃げることができなくなった。作品を通じて、さまざまなものを受け取っていただけたら幸いです。