Porsche AG

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それは類をみないスポーツカーだった。エンジンはフロントに搭載され、トランスミッションはリアに搭載されている。その間に確保された広いキャビン、ポルシェ 924はトランスアクスルレイアウトの  気筒スポーツカーとして発表され、世界中を驚かせた。当時の広告には ”Familien-Sport-Kombi(ファミリー・スポーツ・コンビ)” という謳い文句が踊っていた。

さらにポルシェは924の発表から1年後、”フロント・エンジン+リア・トランスミッション” という黄金の方程式を捉えた8気筒グランツーリスモ ”928” を世に送り出した。それは 「近未来的なハイパフォーマンス・スポーツカー」、「高性能なスポーツカー」、「快適性を追求したラグジュアリー・クーペ」、「利便性に長けたユーティリティ・ハッチバック」 であった。

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「トランスアクスル」とは元来、”トランスミッション” と”アクスル” を組み合わせた造語で、エンジンの駆動力とリアアクスルを円筒で包んだドライブシャフトでつなぎ合わせた駆動レイアウトを意味する。このコンセプトは、電気制御のない時代にとって革新的なものであったのだ。

続いて導入された2種類のトランスアクスルモデル、924と928 は、その優れた重量配分と前衛的なデザインを武器に、リアにエンジンを搭載した911と並んでスポーツカーの最高峰に君臨した。約20年間にわたってカタログにラインナップされ、924の後継モデルである944、968を含めて最終的に約40万台が生産され、1995年にその幕を閉じた。

黄金のトランスアクスル時代を最初から最後まで見てきたのが、元ポルシェデザイナー、ハーム・ラガーイだ。彼は若きデザイナーとして924をレイアウトした後に、一度ポルシェから退いた。しかし、1989 年にチーフデザイナーとして再びポルシェに入り、トランスアクスル最終モデルである968と928GTS、さらには最後の空冷911(993 )を手がけた。ラガーイのチームはこれと並行して初代ボクスターと初代水冷 911 をデザインしてポルシェブランドの新時代を築いたのである。

ラガーイに最初のビッグチャンスが訪れたのは 1972年初頭のことだった。当時ポルシェのチーフデザイナーを務めていたアナトール・ラピーヌが、フォルクスワーゲンより依頼された  EA 425のデザインをラガーイのチームに任せた。オリジナルのアイデアを提案したラガーイだったが、そのデザインがまさか数年後、世界で大人気になるスポーツクーペに採用されるとは想像もしていなかったであろう。

「その頃、私は25歳の若いデザイナーでした。924のデザイン設計に携わりはしましたが、当時はフォルクスワーゲンからの受託案件として扱われていました。最終選考には3種類のエクステリアデザインが提出されました。リヒャルト・ゾンダーベルク、ドーソン・セラー、そして私のデザインです。課題はトランスアクスルレイアウトを前提としたスタイリングだったのですが、3つのデザイン案はそれぞれ特徴的なものでした」と、ラガーイは当時を振り返る。

この3つのデザイン案は、ヴォルフスブルクで1:5スケールで競合に掛けられた。「なんと私のデザインが採用されたのです」。最終的に、彼のスタイリッシュなデザインに他2人のアイデアが一部採用される形になったという。「リヒャルト・ゾンダーベルクの ” 大型ガラスを採用したテールゲート” を気に入った当時のフォルクスワーゲン社長の提案で、私のデザインに大きなリアウィンドウが加わったのです」。そして、デザイナーのハンス・ブラウンが 924と928のインテリアデザインを担当したのであった。

EA 425の設計開発は順調に進み、発売開始を前に生産体制が整えられた。だが、1974年末にオイルショックの影響を受け、フォルクスワーゲンは生産中止の判断を急遽下した。そして、ポルシェは生産可能な状態にこぎつけたスポーツカーの生産・販売ライセンスを取得し、1976年から自社ブランドで市販を開始したのであった。もともとポルシェを想定していた?・・・次回へ続く