日本の子どもの柔道事故が多発してきました。海外の柔道と何が違うのでしょうか(写真:iStick/klikk)

世界100余国の人権状況を調査・モニタリングしているヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW/本部 ニューヨーク)が7月20日、日本のスポーツにおける子どもの虐待やハラスメント調査報告をするオンライン会見を開いた。

25歳未満のアンケート回答者381人のうち、19%がスポーツ活動中に叩かれるなどの暴力を受けたと回答したという。オリパラの経験者を含め、800人以上にインタビューなどで実施した調査は「数えきれないほど叩かれて」と題した報告書にまとめられた。

HRW職員や弁護士らとともに、ただ1人被害者家族として登壇したのが、「全国柔道事故被害者の会」の一員として活動してきた小林恵子さん(70)だ。

「全柔連(全日本柔道連盟)は真剣にこの問題に取り組んでいると感心しているが、残念ながら現場には届いていない。指導者が変われば事故はゼロになる」と訴えた。

中学校での練習中、息子が脳に重度障害を負った

2004年、中学校3年生だった三男は、顧問から乱取りを受けていた。全国大会で優勝経験のある顧問によって7分間ぶっ続けで投げ技をかけられ続けた。回転技が原因で脳の静脈が切断し、二度の締め技で気を失った。緊急手術を施したのち奇跡的に一命を取り留めたものの、脳に重い障害が残った。

日本スポーツ振興センターの記録が残る1983年度から現在まで、中学校・高校の学校内における柔道事故によって、121人もの尊い命が奪われてきた。こうしたことから、日本では長らく「柔道は格闘技だから事故が起こりやすい」と言われてきた。2015、2016年の2年間にも、学校で3人の中高生が柔道の部活動中に命を失っている。

昨年は、一般道場で小学生が柔道の練習中に頭を打ち急性硬膜下血腫となった重大事故が2件報告されているという。1人は小学4年生の男児で、1月にスポーツ少年団の練習で投げ込みを受けた。命は取り留めたものの重症だった。2人目は5年生男児。9月に、学校ではなく町道場の練習で頭を打って亡くなった。ともに全柔連は明らかにしている。

ところが、海外では、柔道は危険なスポーツとして認識されていない。


7月20日、HRWの会見に登壇した、被害者家族の小林恵子さん(写真:筆者撮影)

小林さんが2010年に語学に堪能な友人らの協力を得て調べた結果、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、イタリアなどすべての国が全世代で死亡者はゼロだった。

海外の柔道強豪国の柔道連盟やスポーツ機関、病院など1件1件メールを送り、粘り強く問い合わせた。なかでもフランスは柔道人口が60万人と日本の4倍以上に上るが、重篤な事故や事件は起きていない。

小林さんは調べた事実をすぐさま文部科学省に報告した。

「ほかの国で柔道事故は起きていません。日本は異常なんです」

ところが、文科省の担当者には「そんなわけありません」と言って信じてもらえなかったそうだ。日本でこれだけ事故が起きているのに、もっと柔道人口の多い他国でゼロなわけがない――そんな受け止めだったのだろう。

20数年間で100人以上が学校で柔道をしていて命を失っていたのだから、無理はないかもしれない。文科省が多額の調査費を投じ各国の柔道事故件数を調査したのは、それから3年後のことだった。

2013年。調査結果は、中学校での武道必修化に伴い事故実態を調べる「調査研究協力者会議」で報告された。

「他国の柔道による死亡事故を、1つも見つけられませんでした」

調査を請け負った民間機関の担当者は全柔連の理事など関係者に、深々と頭を下げたという。

海外主要国と日本、柔道指導の「決定的な違い」

なぜ、他国はゼロで日本だけ121人もの命を失ってきたのだろうか。

小林さんによると、他国には柔道を安全に指導するための施策が構築されているという。例えば、イギリスでは同国柔道連盟が作成した「指導者のための児童保護プログラム“Safelandings”」にのっとって指導されている。

そこには、技術的な正当性を欠く過度の激しい乱取りや、成長期にある選手の身体能力の未熟さを軽視した過度の訓練、罰としての不適切なトレーニング等々は「すべて虐待である」と明記されている。さらには、女子に技を教えるときには「触りますね」「こうしますね」と事前に説明し、了解を得てから始める。子どもへの人権にきちんと配慮されている。

その詳しい内容は、被害者の会のホームページに掲載されている。小林さんが全文和訳したものだ。

そしてイギリス以外の強豪国にも「同様のプログラムがある」(小林さん)という。つまり、安全に指導できるコーチの育成が確立されているのだ。

これと同様の声が、柔道指導者からも聞かれる。

バルセロナ五輪男子柔道86キロ級銅メダリストで筑波大学体育系准教授の岡田弘隆さん(53)は、日本と他国で違いが生じている理由を「指導者の問題であることは間違いない」と話す。

柔道クラブ「つくばユナイテッド柔道」を2008年に設立。少年柔道の指導、普及に尽力するなかで「一部の指導者に安全に対する配慮が足らないのではないか」と感じている。

「安全な指導は、最初に受け身を徹底することが肝心。指導者が上手に投げてあげて、たまに上手に投げられてやる。そのときに子どもは一本を取る喜びや楽しさを味わえる。そんな指導を身に付けなくてはいけないが、目の前の子どもを早く強くしたいと焦るとそこを飛ばしてしまいがちだ。そうするとそこに危険が生まれる」(岡田さん)。

全柔連は2013年にそれまでなかった指導者資格制度を作り、重大事故総合対策委員会を設けるなど安全対策を講じてきた。「初心者には大外刈りの投げ込みを受けさせない」など指導上の禁止事項を通達しているが、指導者の意識改革は道半ばのようだ。

中高生の競技人口が減る柔道

そんななか、日本の「お家芸」柔道は、競技人口減にあえいでいる。

柔道事故や、2011年の男子金メダリストによる大学の女子部員への準強姦事件、2013年の女子日本代表監督によるパワハラといった不祥事が相次ぎ、柔道はイメージダウン。それらが影響したのか、昨今は競技人口の減少に悩まされている。

全日本柔道連盟によると、6月初めの会員登録者数は5万5000人。コロナの影響で登録手続きがスムーズでないとはいえ、昨年の同時期の半分以下にとどまる。2019年度の登録者数はおよそ14万人。ここ数年は、毎年5000人規模で減少している。

全柔連が有力選手らのメッセージを発信し、登録を促していこうとした矢先の6月中旬、男子90キロ級の東京五輪代表に内定している向翔一郎(24)が、YouTubeで喫煙シーンや特定の人物を中傷するような動画をネットにアップし問題に。出鼻をくじかれた形だ。

他のスポーツの競技人口と比べるとどうなのか。

以下は、中学生の代表的なスポーツの競技人口の推移だ。日本中学校体育連盟(中体連)が発表している加盟生徒数のデータを例に、直近の2019年度と2009年度の10年間の推移を他のメジャースポーツと比較したものだ。幼少期に開始した競技を継続する過程で、受け皿になり得るか否かの分岐点であることから、中学生年代を選択。種目数が多岐に分かれる陸上競技以外で、加盟生徒数10万人以上の主なスポーツと比較した。ここでは男子のみとする。


部活動で柔道をする男子中学生は35%減。47%減となっている軟式野球ともに、状況は深刻だ。

いずれも少子化により2009年から2019年にかけて全中学生の数自体が約180万人から約165万人へ9%減った影響があるものの、バスケットやサッカーよりマイナス幅が大きい。近年露出が増えた卓球は人数が増えている。

柔道については、中体連に残されている最も古い2001年度の4万6067人と2019年度を比べると、18年間で56%も減っている。

前出の岡田さんは「イメージダウンもあるが、中学生に関しては柔道専門の指導者不足が影響している。事故が起きたらと怖がって、柔道を専門としない先生たちが顧問になりたがらないようだ」と話す。

中1の息子を失った家族が語る不安

2009年に中学1年生だった長男の康嗣さんを急性硬膜下血腫で失った村川弘美さん(52)は「今でもそんなに(指導が)変わっていないと思う」と言う。12歳だった康嗣さんは入部したばかりの7月、気温30度の武道場で上級生や顧問からおよそ50分間技をかけられた。

柔道界が変わっていないと思うのは、被害者の会に相談に来た人たちが顧問のパワハラや理不尽な指導に苦しんでいたから。他のスポーツは少しずつ変わってきているのに、柔道は指導が改善されていない」と憤る。

自力で他国の柔道事故ゼロを証明してみせた小林さんは、「私は柔道というスポーツを憎んでいるわけじゃない。息子が大好きだった柔道が、親しまれるスポーツになってほしいだけ」と胸の内を明かす。

会見の最後に、小林さんは柔道関係者に語りかけるように言った。

「他国の施策を参考にすることで、死亡事故をゼロにすることはできる。私は強く信じています」