『晴れ、時々くらげを呼ぶ』鯨井 あめ 講談社

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 やられた。完全にやられた。途中までは、高校生たちの無謀とも思えるクラゲ乞いに対して、一歩引いた感じでみていたのに。クラゲが降るとか降らないとか、SFっぽい設定だなあ。世界中に迷惑をかけたいといっても、「病院はてんてこ舞い」な状況を期待するのはいただけないけど(コロナで医療崩壊が危ぶまれるこの時期に)。そもそもなんでクラゲなんだろ。...といった具合に。でも、最後まで読んで、すべて納得できた。迷惑になってもいい。クラゲが降るまで呼べばいい。

 越前亨は高校2年生。高校は県内有数の進学校。図書委員。帰宅部。亡くなった父親は売れない作家。

 亨はさまざまなことから距離を置いて生きているようにみえる(一歩どころか五歩くらい)。昔は本が好きだったのに、いまは心を動かされることもないままに、父親が遺した愛読書と同じものを読み続けている。昔は父親のことが大好きだったのに、いまは心の中で否定の言葉ばかりを繰り返している。

 そんな亨の前に現れたのは、1年後輩の小崎優子。彼女も図書委員。茶道部。好きな作家はたくさんいるが、七尾虹は特別な存在。クラゲが降るよう、屋上で呼びかけを続けている。

 子どもや若者の怒りに対して、「子どもにはわからない」「一人前になってからものを言え」と切り捨てるような行為は、いともたやすく行われがちだ。でも、そうしたら年少者はいつ自分の意見を言えばいいのだろう? 大人の気に召すような発言しか許されないということ?

 父親が亡くなって以来、亨は亨のやり方でずっと理不尽と戦っていたと思う。しかし、学校の屋上でクラゲを呼ぶ小崎の背中を見てきた亨は、一緒にテロを起こすことを誓う。どうしていじめなんて起きるのか。どうして親の都合に子は振り回されなければいけないのか。どうして突然命は尽きてしまうのか。どうして自分たちはこんなにも無力なのか。

 簡単に解決できるはずもない答えを探そうとしてもがく彼らの姿に、もっと若い頃に自分も抱えていた鬱屈を思い出す。しかし、私はもう世界中に迷惑をかけるために情熱を傾ける側には戻れないのだ。であれば、若者たちが絶望を感じずに生きられるように、別のやり方で抗っていくしかない。

「無関心であることは、人に優しくできないということだ。自分勝手であることは、感情の矛先を間違えるということだ。優しさの本質は、他者への興味だ」とは、図書委員の矢延先輩の好きな作家が書いた言葉。言葉というものは、世の中に立ち向かうための重要なアイテムだといえよう。言葉がたくさん詰まった、本も同じだ。本書には、古今東西の本や作家の名前が多数登場する。本はやっぱりかけがえのないものだなと意を強くした。クラゲを降らせることを心から願った亨や小崎は、自分たちが思い描いた結果を出すことができたのか。ぜひ、反撃をしかける彼らの心に思いを馳せてほしい。

 鯨井あめさんは1998年生まれ(うちの次男と同じではないか)で、執筆歴は11年とのこと。鯨井さんの最強のカードは言葉であるのだろう。頼もしい。

 ただやっぱり、クラゲが降る→大量死というのは、ちょっと気の毒だと思います(クラゲにとっての理不尽)。

(松井ゆかり)