(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)

 大統領選挙を4カ月後に控えた米国の政治舞台で、民主党候補と目されるジョセフ・バイデン前副大統領が認知症なのか否かという生々しい議論が熱を帯びてきた。

 バイデン候補が3カ月ぶりで臨んだ公式の記者会見で、共和党寄りのメディアの記者による質問が、認知症を指摘するかのような内容だったことに対して、民主党寄りのメディアが「そんな問題を提起することは不公正だ」と反発した。だが、米国のある世論調査では「米国有権者の4割近くがバイデン氏はなんらかの認知症を病んでいると思っている」という結果が出ている。本格的な選挙戦を前に、バイデン氏の健康問題がにわかに浮上してきた。

ジョセフ・バイデン前副大統領(2019年8月8日、Photo by )


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FOXテレビの記者が投げかけた質問

 11月3日の米国大統領選挙の本格的なキャンペーンが始まるのは9月からである。キャンペーンまではまだ時間があるが、共和党候補のドナルド・トランプ大統領は、全米規模の人種差別抗議のデモの広がりとともに、6月はじめから支持率が顕著に下がり始めた。

 一方、最近の一連の世論調査では、民主党候補に目されるバイデン前副大統領が支持率を高めている。接戦が予想される複数の州でも、トランプ大統領に大きな差をつけるまでになった。

 ただし、バイデン氏は新型コロナウイルスを理由に、デラウエア州の自宅からほとんど出てこない。有権者に直接接する選挙活動はきわめて少なく、記者会見はここ3カ月の間、皆無だった。だからトランプ大統領の支持率低下は、単独の“自損事故”のように評されることも多かった。

 そのバイデン氏が6月30日、自宅そばに姿を現し、有権者たちに接して、公式の記者会見に臨んだ。この会見でFOX(フォックス)テレビの記者が「認知の衰えについてテストを受けたことがあるか?」と質問した。するとバイデン氏は「いつもテストされている」と答えた。記者は明らかに医学的なテスト受診の有無について尋ねていたが、バイデン氏は日常の活動で試されている、という意味の返事をした。

 FOXテレビはこのやり取りを、バイデン氏の認知症疑惑と絡めて大きく報道した。するとCNNテレビやワシントン・ポストが、「トランプ政権や共和党を支持するFOXが、バイデン氏の認知症疑惑を持ち出すのは不公正、不適切だ」としてFOXを批判した。

 FOXは日ごろからCNNやワシントン・ポストを「民主党支援の偏向報道が多い」と非難してきた。メディア間のこの争いが、バイデン氏の認知症疑惑をめぐって燃え上がったわけだ。

民主党に衝撃を与えた世論調査結果

 実はバイデン氏の健康状態には、米国の一般有権者も疑惑の目を向けている。バイデン会見の前日の6月29日に、大手世論調査機関ラスムセン社による、バイデン氏の認知症疑惑に関する、ある調査結果が大きく報じられた。

 ラスムセン社は、「ジョー・バイデン氏の頻繁な失言や混乱した発言は、なんらかの形の認知症を病んでいるからだという批判があります」と前置きの説明をつけたうえで、一般有権者に「あなたが見たこと、読んだことから判断して、あなたはジョー・バイデン氏がなんらかの形の認知症を病んでいると思いますか」と質問していた。回答は「そう思う」「思わない」「わからない」からの選択だった。バイデン氏に認知症の症状があると思うか? というストレートな質問である。

 ラスムセン社の発表によると、「そう思う」と答えた人が全体の38%だった。一方、「そうは思わない」が48%、「わからない」が14%となった。注目すべきは、「バイデン氏がなんらかの形の認知症を病んでいると思う」と答えた人が4割近くもいたことである。

 同調査では、「そう思う」と答えた人たちを政党支持別に分けると、民主党支持層では全体の20%、共和党支持層は66%、無党派層は30%という結果が出ていた。つまり、民主党支持者でも5人に1人はバイデン氏が認知症を病んでいると思っているのだ。

 この世論調査は、6月25日から28日にかけて全米約1000人の有権者を対象に実施された。ラスムセン社は多数あるアメリカの世論調査機関のなかで最大手の1つとされ、大統領の支持率調査を毎日、実施している唯一の組織である。2016年の大統領選でも世論の動向を最も正しく伝えた調査会社として評判が高い。

 共和党も民主党もこの調査結果に驚かされた。とくに民主党には大きな衝撃を与えた。6月30日のバイデン氏の記者会見で認知度のテストについて質問が出たのも、前日に公表されたこの世論調査結果が契機になったとみられている。

 同時にこの結果は米国の各種メディアによって広く報じられ、大きな波紋を広げた。民主党支持のメディアにはこの調査結果を無視するところもあったようだが、今後の選挙キャンペーンで重要テーマの1つになっていくことは確実であろう。

間違いだらけのアフガニスタン戦争体験談

 なぜ、バイデン氏の認知症疑惑がこれほど語られるのか。それは、77歳のバイデン氏が事実と異なる発言や物忘れを頻発するからである。

 たとえばバイデン氏は6月下旬、珍しく自宅を離れ、隣のペンシルベニア州の小さな集会に出た。そのときバイデン氏は「アメリカではコロナウイルスで1億2000万人が死んだ」と発言した。だが、実際のアメリカの死者はその時点で12万人だった。また、予備選の最中にバージニア州内にいたとき、「ここノースカロライナ州では」と発言した。オハイオ州とアイオワ州を間違えたこともあった。さらには、自分の副大統領時代の体験を語るなかで、当時の大統領だったオバマ氏の名を思い出せず、「私のボスだった大統領」と言いつくろったこともある。

 とくに有名なのは、2019年8月にニューハンプシャー州での予備選関連の集会で演説した「アフガニスタン戦争体験談」である。

 この集会で同氏は次のように語った。「私は副大統領としてアフガニスタンを訪れ、米軍将兵の激励に赴いた。コナー地域では、20メートルほどの深さの谷間に取り残され敵の猛攻撃を受けている兵隊がいた。米海軍大佐がロープを伝って、その部下を助け出す場面を私は目撃した。その後、私は副大統領としてその海軍大佐に銀星勲章を授与することになった。だが大佐は、助けた部下が結局死んでしまったことを理由に勲章を辞退しようとした」。

 しかしその後すぐ、この話は多くの部分が事実とは異なっていることが判明した。バイデン氏がアフガニスタンを訪れたのは、副大統領としてではなく、上院議員としてだった。部下の救出にあたったという軍人は海軍大佐ではなく陸軍士官だった。その士官がバイデン氏から銀星勲章を受けたという事実はなかった。バイデン氏が救出の場面を目撃したという話も根拠がなかった。だが、バイデン氏は同じ話を他の場所でも何度も繰り返していた。

 こうした事例が重なり、バイデン氏には認知症の兆候が出ているのではないかという疑問が提起されるようになった。そしてついには、米国有権者の4割と目される人たちが「バイデン氏は認知症」という認識を持つまでに至ってしまったのである。

 いずれにしてもバイデン氏のこの問題が大統領選キャンペーンで主要な課題となる見通しは確実とみられる。今回のラスムセン社の世論調査は、バイデン陣営にとって厳しい逆風の材料となりそうだ。

筆者:古森 義久