スーパーエース・西田有志 
がむしゃらバレーボールLIFE (9)

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 現在のバレーボール男子代表で、大きな期待と注目を集めている20歳の西田有志。そのバレー人生を辿る連載の第9回は、2年目の日本代表での活動と、W杯初戦のイタリア戦について振り返る。

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昨年のW杯で大活躍した西田

 2019年4月、西田有志は2年連続で日本代表に選出された。前年のような「(選ばれたことに)驚きしかなかった」という感覚はなく、目標も「自分の持っている技術をすべて出す」から、「すべて出した上で、いかにミスを少なくできるか」にステップアップ。ケガもありながら世界選手権を戦い抜いた自信は、さらに上を目指す原動力になっていた。

 2年目の日本代表での活動には大きな喜びが待っていた。2018年2月に右膝前十字靱帯断裂の大ケガを負った清水邦広が、懸命なリハビリを経て代表メンバーに復帰し、一緒に練習を行なうことができたからだ。

 小学校時代に2008年北京五輪での清水のプレーを見て、「オリンピックに出たい!」という思いを抱いた西田。当時、自分のバレー人生の原点でもある憧れの選手について、「清水さんは、やっぱりすごいとしか言えないです」と興奮気味に語った。

 清水は一度復帰した後に感染症で再入院するなど、試合に長く出られるようになったのは、2019年4月に開催されたアジアクラブ選手権くらいから。特に下半身の筋肉は完全に戻っていなかったが、それでも西田は目を輝かせながらこう続けた。

「清水さんは体幹がしっかりしているので、ディグ(スパイクレシーブ)に入っても絶対ふっとばされない。同じポジションなのでライバルでもありますが、今は一緒のコートでバレーをやれる喜びを存分に感じたいです」

 そんな代表合宿を終え、5月31日から約1カ月にわたって続くネーションズリーグ予選ラウンドに臨んだ。西田は15試合中12試合にフル出場し、日本は7勝8敗の10位。前年の同大会より順位をふたつ上げたが、決勝ラウンドには進めなかった。

 続く9月13日から始まったアジア選手権(イラン)では、体の状態を考えてネーションズリーグに出場しなかった清水と共にオポジットを担った。結果は、準決勝でオーストラリアに敗れ、3位決定戦で韓国に勝利。”悔しい3位”ではあったものの、スタメンを務めることが多かった西田はエースの石川祐希と並んで得点を量産するなど、その年の大一番に向けて好調を維持していた。

 そして10月に開催されたW杯は、日本開催とはいえ、週末だけでなく平日の試合のチケットも売り切れるほどファンの期待を集めていた。開幕戦の相手は、前年に2戦して1勝1敗ながら、世界選手権では力の差を見せつけられたイタリアだ。

 試合は石川のノータッチエースで幸先よくスタートし、勢いに乗った日本が2セットを先取。観衆の度肝を抜くプレーが生まれたのは第2セット終盤、23−18の場面だった。

 石川のサーブから、リベロ山本智大のスーパーレシーブなどでラリーに持ち込み、最後はリバウンドのボールをセッター関田誠大が上げ、後ろから切り込んできた石川がバックアタック……と見せかけてライトの西田にトス。そのプレーでブロックが外れ、西田はストレートに強烈なスパイクを叩き込んだ。

 トリックプレーで相手を翻弄した後には、相手に崩されない安定感も見せる。第3セットは中盤まで一進一退の攻防になったものの、最後まで慌てることなく徐々に突き放し、25−21で制してストレート勝ちを収めた。19得点を挙げた石川、16得点を記録した西田を筆頭に、ベテランの福澤達哉、ミドルブロッカーの小野寺太志や山内晶大もサーブから積極的に攻めたことが勝利につながった。

 昨年のW杯は、前回大会までと異なり五輪の出場権がかかっていなかったため、出場国の中にはベストメンバーを揃えていなかった国もあった。イタリアも若い選手が中心だったが、それでも世界ランキング3位(当時)の強豪相手に同11位の日本が完勝できたことは、チーム力向上の証明に他ならない。

 西田にとっては、このW杯が日本で迎えた初めての3大大会(オリンピック、世界選手権、W杯)でもある。大歓声の中での試合を終えた気持ちを、西田は「あんなに多くのお客さんに入っていただき、応援されるのは初めての経験でした。その開幕戦を勝利で飾れたことは、とてもうれしいですね」と笑顔で語った。

 一方で、「憧れの石川選手と同じコートで戦えることをどう思いますか?」という質問には、「祐希さんが、ほんまにすごい人気があるのが、ようわかりました。でも、自分も絶対負けませんので」と対抗心も露わにした。

 西田にとって石川は、星城高校を史上初の6冠(2年連続でインターハイ、国体、春高を制覇)に導いたスーパースターだった。五輪への思いを抱かせてくれた清水と同じように憧れの存在で、前年7月の日韓親善試合で初めて一緒にプレーした後には「同じコートに立ててうれしい」と笑顔も見せた。しかし、2年目の日本代表で試合を重ねるうちに、憧れの存在に追いつきたい、追い越したいという気持ちが芽生えたのだ。

 日本は中1日、中2日のオフを挟み、連戦で全11試合を消化していった。幸先のいいスタートを切った日本は、第2戦のポーランド、第4戦のアメリカには敗れたものの、第5戦から第9戦まで日本は大会史上初の5連勝。第7戦では、当時の世界ランキング5位だったロシアにもセットカウント3−1でW杯初勝利を飾った。

 精神的にも逞しさを増した西田は両チームトップの22得点を挙げ、そのうち5得点がサービスエースだった。試合後に西田は「やっとサーブが本調子になり、それを勝った試合で見せられてうれしい」と振り返ったが、そのロシア戦も、劇的な結末を迎えるW杯最終戦の序章に過ぎなかった。(第10回につづく)