スーパーマーケットの床に2mおきに貼られた目印のテープや、レストランに設置されたアクリル樹脂製ガラスのスクリーン──。人との距離を物理的に隔てるために生活に侵入してくるこうしたものは、いずれも視覚的にも感覚的にも急ごしらえの応急処置のような印象がある。人と人との触れ合いを想定してつくられた空間に、建物用のばんそうこうがべたべたと貼りつけられていくように感じられるのだ。

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しかし、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)のあとも、ソーシャル・ディスタンシング(社会的な距離の確保)が続くことを前提に恒久的なデザインを考えるとしたら、わたしたちの住宅や職場、都市はどんな様相を呈するのだろうか。そして将来にわたる感染爆発の危険から身を守るために、わたしたちはどのように生活様式を変えていけばいいのだろうか。

ロンドンにある博物館「ウェルカム・コレクション(Wellcome Collection)」のシニア・キュレーターで、2019年に同館で開催された「Living with Buildings」展を指揮したエミリー・サージェントは、いまこそ建築物と自然環境の関係性を見直し、人が働くということから、どんな場所で人は病から回復するのかということまで、あらゆることにその関係性がどう影響するのかを考え直す好機なのだと語る。

「健康のために換気に気を配るといった筋道立った考えを、わたしたちは忘れてしまっています」と、サージェントは指摘する。「さまざまなかたちで居住空間に注目せざるを得なくなり、住まいが人々にとってどれだけ多くの意味をもちうるのかわかってきました。わたしたちのいる場所は、ときに望み通りの快適さ、安全性、シェルターとしての機能を提供してくれないことがあります。人に身体的や精神的なリスクを負わせる場所にもなりうるのです」

2020年半ばの時点で、安全性を重視したうえで即効性の見込める具体的な新型コロナウイルス対策は存在していない。だからこそ、人の暮らす環境が重要な意味をもってくる。

住宅:屋外空間の活用と、居住空間の細分化が進む

住宅に関していえば、建築上の問題と同じくらい多くの構造的な、そして政治的な課題がつきまとう。一方で、将来的なパンデミックの可能性を視野に入れた設計も求められる。

「屋外スペースや各種活動のためのスペースなど、いわゆるアメニティスペースに関する現行の規制を見直す必要があります」と、ロンドンの建築事務所スタントン・ウィリアムズの建築家のシラージ・ミーサは指摘する。「大型住宅に住む家族や集合住宅に暮らす人々のために、さまざまな制約を抜本的に考え直すべきです」

例えば、バルコニーにエクササイズ用のスペースを設けたり、各室に専用の収納スペースを備え付けたりといったことが考えられる。集合住宅のデヴェロッパー各社は、エレヴェーターや配管設備などを建物の中央部分に設置する「オープンコア」と呼ばれる建築手法や、外から直接各戸に出入りできる「デッキアクセス」、各戸の住民間の感染リスクを軽減する独立型エントランスの採用などを検討せざるを得なくなるだろう。

室内の間取りについても、数十年にわたるオープン型レイアウトの流行は終わりを迎えるかもしれない。壁や間仕切り、廊下を設けることで、在宅勤務で生じる騒音の問題は最小限に抑えられるはずだ。

「4人家族なのか、友人たちと同居しているのかなど、家によって状況は異なります」と、ミーサは言う。「スペースや騒音の面でどの程度のプライヴァシーを求めるかは、人それぞれなのです」

公共交通:都市は自転車重視の構造になる

ベルリンからヴァンクーヴァーまで、さまざまな都市の当局や交通機関が、道路という空間の主役の座をクルマからサイクリストに譲ろうとしている。また、イタリアのミラノ市は2020年夏、「Strade Aperte(「オープンストリート」の意味)」と銘打ち、計35kmの道路を別のかたちにつくり変える計画を立てている。自転車専用レーンの新設、一部地区の交通制限、歩道の拡張といった、一時的あるいは恒久的な措置が講じられるという。

とはいえ、公共交通機関が消えてなくなることはない。「駅を安全な場所にするにはどうすればいいか、問合せが相次いでいます」と、ダレン・コーマーは言う。

彼が最高経営責任者(CEO)を務める建築事務所スコット・ブラウンリッグは、パディントン駅やトテナム・コート・ロード駅の部分的な改修工事の設計を担当している。「歩行者の流れを分析する作業が欠かせません。駅の入り口に改札口を設置し、その後もいくつかゲートを設けて人の流れを制限する予定です」と、彼は言う。

オフィス:細分化された空間とヴィデオ会議が新たな日常に

「ビジネスパークのような地区は、生まれ変わるはずです」と、コーマーは予測する。敷地のなかにアウトドアスペースを確保できれば、そこで働く人たちは自然に親しむことができる上、建物同士の間隔を十分にとることもできる。

まっすぐ一列に並んだデスクの代わりに、大きな正方形のテーブルの4辺にひとりずつ座るレイアウトもいいかもしれない。コーマーは、職場における労働者同士の間隔を定めるブリティッシュ・カウンシル・オブ・オフィシズ(BCO)の基準が、今後はさらに厳しくなるだろうと予想している。

英国のケンブリッジにありスコット・ブラウンリッグが設計を担当したアームの本社は、定員を30名に抑えたチーム作業用スペースや、いくつもの社内通路や休憩エリアを備えている。徹底的に“細分化”されたオフィスビルだ。

コーマーは、各室で同時に仕事をするスタッフの人数を全体の50パーセントと想定している。「これを2年、3年と続けていくと、仕事に何らかの影響が出てくるでしょう」と、彼は言う。このやり方の欠点を補う手段として、大型のスクリーンと「Zoom」を使ったヴィデオ会議でチーム同士の交流を図る予定だ。

室内の換気については、英環境庁推奨の自動開閉窓を採用するなど、自然の風を使った方法が主流になるだろう。さらに実験的な手法としては、細菌やウイルスの不活性化につながるとされるヒドロキシルラジカルを人為的に生成し、空気をろ過するシステムに取り入れる方法も考えられる。

リアルな世界をデジタルでも構築する「デジタルツイン」の手法は、パンデミック後のオフィス設計にも活用できるだろう。これは人の動きや換気状況をモニタリングするために、すでにイスタンブールなどの複数の空港で実用化されている。

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デジタルツインを利用することで、「レプリカの世界でアヴァターたちに病気になってもらい、ソーシャル・ディスタンシングや陽性者の隔離対策などを、リアルタイムで評価できるようになるはずです」と、コーマーは言う。