関西の伝説的番組に携わってきた百田氏が考えることとは

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 関西の人気番組『探偵!ナイトスクープ』は、コロナ禍の中で新規収録が難しい中でも、視聴者からの「もう一度見たい!」という要望に応えて過去の名作を放送していた。この番組を“原点”とするのが、ベストセラーを連発する一方、過激な発言で炎上を繰り返す小説家・百田尚樹氏だ。彼が20代の頃から構成作家として携わった『ナイトスクープ』で培ったものは、小説にも活きているという。百田氏を5時間半以上にわたって取材したノンフィクションライターの石戸諭氏がレポートする(文中敬称略)。

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 1990年代の全盛期には関西で視聴率30%を誇り、今なお続く『探偵!ナイトスクープ』。初代「局長」はあの上岡龍太郎であり、西田敏行、松本人志と局長を変えながら、関西では誰もが知っているお化け番組として君臨している。

 一般の視聴者から寄せられた疑問を、「探偵」に扮したタレントたちが解決する。番組を要約するとたったこれだけなのだが、素人の依頼を涙あり笑いありに仕立て、視聴者を熱狂させたのが、チーフ構成作家に抜擢された百田尚樹だった。

 私は著書『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)の中で、『ナイトスクープ』を手がけた朝日放送(ABC)の名物プロデューサー・松本修に、構成作家として百田を迎えた経緯を聞いた。松本が、『ナイトスクープ』の原案となる企画を考えていた時、たまたま近くのホテルプラザにいた百田に声をかけると、彼は喜んで参加すると快諾したという。当時の百田は、同志社大学を中退して定職に就いていなかった。

 松本は『ナイトスクープ』を手がける前に、大阪発で全国的な人気を誇った素人参加番組『ラブアタック』のディレクターも務めており、同志社大時代の百田はこの番組で最も人気を博した常連出演者だった。

 松本は百田について、何も教えなくてもテレビを知っていた「天才」と語る。彼なら新しいことができる。百田は松本の期待に応え、エース構成作家として業界にその名を知られるようになった。

 伝説の回として名高い1993年8月6日の「大阪弁講座」で、百田は「(あの犬)チャウチャウ、ちゃうんちゃう」を地方から大阪に集った若者にレクチャーすれば、面白いと提案し、そのアイディアはそのまま採用された。松本によれば、今でも大阪弁の定番ギャグの一つだが、源流はこの回にあるという。

 もう一つ、この番組のスタンスとして大切にしていたのが一般人である視聴者を絶対にバカにしないということだ。松本も百田も視聴者の感性を信じ、安易な素人いじりだけで笑いをとることをよしとしない。関西のテレビ界に流れる、リアリズム、視聴者が面白いというものは数字に跳ね返り、かつ正しいということを彼らは信じている。

 このスタンスは、後年に小説家としてデビューして以降の百田にも引き継がれていくことになる。『永遠の0』が刊行された2006年から、百田氏がTwitterを始めた2010年頃までは、同作には「右傾化」「戦争賛美」という批判は出ていなかった。

 それは朝日新聞が書評欄(2010年7月11日付)で取り上げ、映画化に至ってはスポンサーに名を連ねていたことからも明らかだ。書評を担当したライターの瀧井朝世がいかに「絶賛」したかを引用する。

「死んだ人間の本音を聞くことはできない。しかし周囲の証言から、祖父が何を正義とし、そして何を決断したのかが少しずつ組み立てられていく。そして最後まで信念を持ち続けた彼の心の強さが明るみに出る場面では、どうしても涙腺が刺激されてしまう。だが本書は『哀しくて泣かせるだけの本』ではない。祖父の真実を知った後、人生における決断を下す主人公たちのように、読み手にも何らかの勇気が与えられる。読後には、爽快感すら残されるのだ」

 山場をいくつも作るストーリー展開と構成は、視聴率と向き合ってきたテレビでの経験を応用している。ある編集者は、百田から『ナイトスクープ』の分刻みの視聴率グラフを見せられた。ちょっと下がった原因は展開がもたついたからチャンネルを変えられた、上がったのは盛り上がるように山場を作ったからといった形で百田は事細かに分析してみせた。小説執筆中も何度も「チャンネルを変えられないようにせんとなぁ」というつぶやきを聞いたという。

 徹底的に「おもしろい」に向き合う原点は、やはりテレビにあった。ここに彼にとっては自分が思っていることを正直に語っているにすぎない「右派的言説」が加わり、百田尚樹現象は完成に向かう。