自慢の夫を亡くし、エリート街道まっしぐらの息子はアメリカに――。生きがいをなくした女性はどうなってしまったのでしょうか(写真:bee/PIXTA)

「こんなはずじゃなかったんです。こんなはずじゃ……」

細く痩せた両手で敷き布団のシーツをギュっと握り締めながらヨネ子さんは「わぁ〜!!」と泣き崩れてしまいました。ヨネ子さんは、1日のほとんどをこの畳に敷いた布団で過ごしています。

窓の外はジリジリと太陽が照っていて蝉が勢いよく鳴いているのに、ヨネ子さんの部屋だけは季節を忘れたように薄暗く少し湿り気がありました。

筆者が訪問介護の仕事をしていた時代に担当していたのが、このヨネ子さん(仮名、当時76歳)で、暑くなる今頃の季節になると、必ずと言っていいほどヨネ子さんのことを思い出します。

自慢の家族がいなくなり軽度のうつに

ヨネ子さんは3年前にご主人を亡くし、都内の戸建てに1人暮らしをしていました。

ご主人は生前、国内だけでなく海外でもとても有名な科学者でした。息子さんも2人いますが、2人ともエリート街道まっしぐら。大学はアメリカの名門校へ進み、卒業後も引き続きアメリカで多忙な生活を送っていましたので、ヨネ子さんにとって頼れる家族が近くにいない状態でした。

もちろん、現代のようにビデオ通話などもない時代でしたので、何年かに一度帰国したときにしか会えないですし、マメに電話をしてくるような感じでもありませんでした。

ご主人が他界してからというもの、軽度のうつ症状が続き、筆者が訪問担当することになったのです。

「1人でいる時間がとにかく不安で仕方がないの。今まで1人でいたことがなかったからどうしていいかわからない。本当なら今頃、息子家族と孫に囲まれて幸せに生活している自分しか想像してこなかった。こんなふうになるなんて考えもしなかった」

介護職時代、沢山の方を担当をしてきましたが、配偶者を亡くしてシュンと小さくなるのはいつも年老いた男性ばかりで、未亡人となった女性のほとんどが、身体が多少不自由になっても、何かに吹っ切れたように伸び伸びと自由に生活しているケースが多かった中、ヨネ子さんはまるでその逆をいくようでした。

「ヨネ子さん、ご主人が亡くなってから心の状態がよくないのはおわかりですよね? いずれにしても、少し外の空気を吸ったほうがいいですよ。お友達を誘って近所の喫茶店でお茶でもしてくるのはどうですか? お身体のほうは食事をきちんと取れれば何ら問題ないのですから」

そう促してみると、またヨネ子さんは「わぁ〜!!」といって泣き崩れるのです。

仕方がないので、薄手のカーテンを開け、窓を全開にして空気の入れ替えをしながら、なぜそんなに泣きたくなるのか少しずつ聞くことにしました。

「ずっと家族のために尽くしてきたもの。友達なんていないわよ」

か細い声でヨネ子さんは漏らします。

戸建てのお家だと、町内会やご近所のお付き合いがありそうですが、“エリート一家”ということで、地域の中でも少し浮いた存在だったようです。

というのも、ヨネ子さんのお宅に通い始めて少し経ったある日、2軒先のご主人に、「お姉さん! お姉さん!」と呼び止められ、「ヨネ子さん、元気かい? 最近めっきり顔をみなくなったから心配してたんだよ。女房にちょっと様子見に行って来いよって言ったんだけど、女房が嫌がってよ」と話してくれました。

ご主人が生きてた頃、ヨネ子さんはご近所に随分夫や息子のエリート自慢をしてたようで、すっかり嫌われてしまっていたのです。

ヨネ子さんにとっては「家族のために尽くしてきた」ということでも、周りにとってそれはマウントでしかなく、近所の中でも孤立してしまったのです。

シロアリ駆除で家具の処分を決めたけれど…

夏も終わりに差しかかったころ、ある事件が起きました。家具と壁の間から、シロアリが発生したのです。

これは大変!と、すぐに状況をヨネ子さんにお話しし、木造のこの家が全部だめになる前に業者を呼んで家具も全部見てもらうように促しました。3日後、シロアリ駆除業者に見てもらうと、家具の大半が被害に遭っているそうで、すぐに家具を処理しないと家が危ないという危機的状況でした。

さっきまで「庭に植えていたミョウガを狸に全部食べられた。わぁ〜!!」と泣いていたヨネ子さんでしたが、この話を聞くと、パッと目の色が変わり、「主人が建ててくれた家なの」と言って、すぐに処分してもらうようにと指示をされました。

ところが業者が帰って少しすると、「このタンスも、この食器棚も、どうしてこんなことにならないといけないの。全部大事なものなのに。どうして!」と言っていつまでも泣き続けました。

家具の処分日は、介護サービスがない日で心配だったので、2軒先のご主人に状況を説明し、何かあったら事務所まで電話してもらうようにお願いしておきました。

すると、案の定、その方から電話がありました。時間が早朝だったうえ、想像していなかった内容でした。

「朝の4時半ころ、うちのインターフォンが何度も何度も鳴るもんだからさすがに起きて玄関に行くと、ヨネ子さんがウロウロしててびっくりしたよ。どうしたんですか?って聞くと、意味不明なことをずっとしゃべってて、とりあえず家に送っていったんだけど、何かを盗られたとか、ずっとモゴモゴ意味不明なことばっかしゃべってんだよ」と。

家具を処分した日の翌朝の出来事でした。この日からヨネ子さんの徘徊が始まったのです。

これまで、脳の状態もお身体の状態もなんら問題はありませんでした。今でいう“空の巣症候群”の軽度のうつという診断だけでしたが、なんと、検査をすると脳委縮が始まっていたのです。

「生きている意味」を見出せず壊れた心と身体

すぐに窓口になっているアメリカの息子さんに連絡を入れるも「忙しくて帰国できないので、介護認定などは近くにいる親戚に頼んでみます。母とは関係がよくないので、連絡はよほどのときだけで大丈夫です」と冷ややかなトーンでこれだけ告げられ、すぐに電話を切られてしまいました。

親子関係においてこれまでどんなことがあったのかはわかりませんが、本人を目の前に「早く死ねばいいのに」と言う家族がいたり、救急車を呼んで一命をとりとめた際には「なんで助けたの?」とクレームがあったりという経験をしていた筆者にとって、「あぁ、またか……」と肩を落とす状況でした。

ヨネ子さんは、自分の生きがいを「家族」に求めてきましたから、息子さんたちにとってはなんでも「家族のため」と言われ続けて窮屈だったのかもしれません。

支えることを生きがいとし、自慢をすることで自分のポジションを守ってきた夫がいなくなり、子どもたちも自分の元を去り、何に自分の生きている意味を求めていいのかわからなくなってしまった中で、唯一の思い出だった家具までなくなってしまい、すっかり心と身体が壊れてしまったのです。

ヨネ子さんは、会うたびに「生きていても感動がない。何のために生きてるんだか、何のために人と話してるんだろうって思う」と言っていました。

この後、ヨネ子さんは施設へ入ることになり、筆者はそれ以来お会いできずに今に至ります。

人間とは何とももろいもの。そして家族関係とは自分の思い描いたとおりにはいかないものです。そして、「誰かの人生ではなく、自分自身の人生を生きなければいけないんだ」と、当時まだ若かった筆者はヨネ子さんから人生の教訓を学んだのでした。