税務調査は7月から増え始める。国税では7月から事務年度が始まるからだ。元国税調査官の飯田真弓氏は、「調査官は納税者の細かなところまで調査し、深読みする。税務調査で人間模様が垣間見れることもある」という--。
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税務署用語の「ナナジュウニ」とは何か

早いもので、2020年はもう半分過ぎてしまった。

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令されたことで、4月になっても入学式や入社式が行われないまま自宅待機を強いられた人たちもいたようだ。

電車に乗ると、感染拡大を避けるため可能な限りテレワークに切り替えるようにとアナウンスがされていた。

一般の企業では4月から事務年度が始まる傾向にあるが、国税の世界は7月から事務年度が始まる。

7月から12月の間を“ナナジュウニ”と呼ぶ。定期異動で新たなメンバーになること、7月から12月までは6カ月あり、1年の間で一番長い期間調査ができることから、“ナナジュウニ”は、調査官たちが腰を据えて税務調査ができる期間とも言える。

今回は、筆者が税務調査をしてきた中で「ヤバい」というか、最近お笑い芸人の不倫問題でよく取りざたされている「ゲスい」事例があったので紹介したいと思う。

筆者は、『税務署は見ている。』(日経プレミアシリーズ)を出版してから、経営者団体や、法人会・納税協会、税理士会などから依頼を受けて、税務調査について話をするようになった。

毎回話をするテーマのひとつに、どんなところが税務調査に選ばれやすいのかがある。

どんなところに調査に行くのかについては、国税庁が打ち出している指針に基づいて決められる。基本的には、高額悪質者ということになる。

■税理士がついていない納税者の調査は、調査官から避けられる

脱税をしていると思われる者には、国税局の査察部が担当する。立件まではいかないけれど、高額悪質者であると思われる者については、国税局の資料調査課が担当する。

査察部や資料調査課で調査に当たるものは、所轄の税務署の調査官よりも不正発見に対する使命感が高くなければならない。

一方、所轄の税務署で行う調査は、査察部や資料調査課が扱うほどのボリュームがないもの、ということになる。国税局で行う調査は過酷極まりない。筆者は、家庭第一で子育てを重視していたため、国税局で勤務したことはなかった。故に、26年間現場にいたけれど、扱った事案はそれほど大きいものはなかったといえる。

最近では、所轄の税務署もできるだけ二人一組でいくようにしているようだが、筆者が在職していた頃は、一人で税務調査に行くことの方が多かった。

どこに調査に行くかは、選定と呼ばれる事務の中で行われる。経験年数が多く年齢が上の先輩から行きたい事案を選んでいく。当時、まだ駆け出しの下っ端だった筆者は、先輩が選んだ残りの事案に行かせてもらっていた。

先輩は、それぞれに、好きな業種や得意な業種があった。所轄の税務署には、自ら困難な事案を手掛けたいという人はあまりいなかった。記録の残っている製造業は調べやすいので人気だった。逆に、記録を残さなくても商売が成り立つ、飲食店などの現金商売の調査に行きたがる先輩はあまりいなかった。

もうひとつ、先輩が行きたがらない案件があった。

それは、税理士が入っていない事案だ。

なぜ先輩調査官は、税理士が入っていない案件を嫌うのか。それは、税務調査がなかなか終わらないからだ。税務調査では、しばしば見解の相違という場面に遭遇する。

税理士が入っていると打開策を打ち出してくるが、税理士がいないと納税者と直接やり取りをしなければならない。

「そこが認められたのなら、ここも許してもらえるのでは……」

納税者相手では、なかなか調査金額が決まらず、無駄な時間を費やすことになる。

■電話の受け答えからして「ヤバそうな」納税者を調査することに

長期未接触の案件は毎年選定にあがってくる。でも、その案件がそれほど規模が大きくなく、税理士関与でないとなると、調査に選ばれる確率が低くなる。そうするとまた、来年に持ち越しとなる。

今回、紹介するのは、まさにその、長期未接触で税理士関与がない、ある士業の××事務所のA氏の案件だ。

A氏は、確定申告を始めた当初から税理士は入っておらず、以降10年間、一度も税務調査に入られたことがなかった。

「もしもし、○○税務署所得税第○部門の飯田と申します。××事務所でしょうか。税務調査の連絡のお電話をさせていただいたのですが、Aさんはいらっしゃいますでしょうか?」
「はぁ、税務署税務署がなんの用や?」

しょっぱなの電話の応答からしてヤバい感じが満載だったが、調査に臨場する日の約束を取り付けた。

■自宅の外観を観察すると幸せそうな家族像が浮かんできた

準備調査としてA氏の自宅の外観調査を行った。統括官はわざわざ管外の自宅まで行く必要があるのかと渋ったが、筆者は入念に準備調査をすることが調査を早く終わらせることになるという信念を持って調査にあたっていた。

郊外の閑静な住宅街。自宅の周りをぐるっと歩いてみる。幼児が庭のすべり台で遊ぶ傍らで、妻と思しきお腹の大きい人物がガーデニングに励んでいるのを確認した。

調査当日。いつもの通り、まずは、A氏の家族の状況から聞き取りを行おうとした。

「なんで、そんなことまで言わんとあかんねん。嫁と子どもがいるって申告書に書いてるやろ。あんたの相手をしている間、仕事の手が止まってるって、わかってるんやろなぁ。今日の日当はどうしてくれるんや!」

A氏は調査に協力する気はなさそうだった。

狭い事務室にA氏と筆者二人だけ。危害を加えられる可能性を考え、事業概況を聴き取り、現況調査だけして署に戻ることにした。

「調査は質問検査権という権限をもとに行うのですが、ここまでは質問をさせていただきました。ここからは、検査に入りますがよろしいでしょうか」
「何をごちゃごちゃ言うてんねん。なんでもええから早いこと調べて帰ってくれ!」
「では、現況調査をさせていただきます。引き出しの中を開けてもらえますか」

A氏は、しぶしぶ机の引き出しを開けた。一番上の平べったい引き出しには文房具が入っていた。真ん中の引き出しには、名刺や使用済みの通帳や請求書が入っていた。

■納税者が蹴飛ばし隠したゴム印は…

「その請求書、出してもらえますか?」

A氏が出した請求書をぱらぱらとめくってみると、控えのページが破り捨ててあるところがいくつかあった。

「破れてるところがあるみたいですけど、どうされましたか?」
「そんなこといちいち覚えてると思うか? あんただって、1週間前の晩飯何食べたか聞かれてもすぐには答えられへんやろが!」

A氏は筆者が請求書を確認している間に、真ん中の引き出しの奥から何かを取り出して、机の下に落とし蹴とばした。

「今、何か出されましたよね。何ですか?」
「なんでもない!」
「ちょっと確認させてもらいますね」

筆者は机の下に潜り込み、A氏が蹴とばしたものを拾った。ゴム印だった。

『▲▲研究所』

その所在地は見覚えのあるものだった。筆者が事前に外観調査をしたA氏の自宅の住所だった。

■机の上の判箱を開けるとそこには…

「この住所、ご自宅ですよね。ご自宅に『▲▲研究所』があるんですか?」
「そうや。『▲▲研究所』に外注出してるんや」
「そのゴム印がなぜここにあるんですか?」

A氏は、言葉につまった。

「これってご自宅の住所を使って、架空の外注費を払ったことにしているってことですよね」
「何を言うてんねん。わしはいつでもどこでも仕事のこと考えてるんじゃ。家に居ても風呂に入ってるときも、全部経費なんじゃ。それの何が悪い」
「必要経費はその収入を得るための直接的なものしか認められないんですよ」
「それは、そっちの言い分やろうが……」

何を言ってもらちがあかない。

「わかりました。では、次に机の上のものを確認させてもらいますね」
「なんでも見たらええがな……」

まだ、パソコンというものがなかった時代。

机の上にはアルミ製の判箱があった。パカッと開けると、箱の中には勘定科目のゴム印がずらっと並んでいたのだが、その上にコンドームが置かれていた。

全身に鳥肌が立った。

今、この事務所には、A氏と筆者の二人しかいない。

まずは、自分の身の安全を確保しなければ。税務調査に行って納税者にレイプされたとなってはしゃれにならない。筆者は、箱の中にあった代物のことは話題にすることは避けた。

「わかりました。では、今日は、ここでいったん署に戻ります。また日を改めて来させてもらいますが、その時は、請求書や領収書など、申告書を作成する基になったものを預かって帰るので、そのつもりでいてください」

ここまで読み進めてくださった読者の中には、

「あれ? 現況調査って事前の連絡なしに抜き打ちで行われる調査のことを言うんじゃないの?」

と思われた方がいるかもしれない。

事前通知なしの調査というのは、先に紹介した査察部や資料調査課が行うもので、現場を押さえることが目的なので、現況調査ありきということになる。

しかし、現況調査は、事前通知なしの案件に限って行われるものではないのだ。

よくある質問に

「パソコンの中も見るんですか?」

というものがあるが、これも現況調査の一環なのだ。

事前通知をしていても、パソコンの中は必ずチェックする。事前通知があっても現況調査は行われるということは知っておくべきだろう。

■税務調査で女性関係までもが暴かれる場合も

この案件。A氏は、調査額を提示しても、自分が不正を働いたことを認めなかった。税務調査は、調査対象となった納税者がその調査金額に納得し自ら署名捺印をして修正申告書を提出する場合と、税務署側が更正処分をする場合がある。

A氏は、調査金額に納得しなかったため、更正することになった。更正をする場合は証拠保全が必要で、請求書や領収書など原始記録と呼ばれるすべての書類を預かりコピーする。更正通知書が届いてもなお、その処分に不服で納得がいかないという場合、その納税者は不服申し立てをすることができる。

不服申し立てがされると税務署の調査担当者の範疇ではなくなる。A氏の追徴はどのようになったのか、筆者は知ることはなかったのだが、後日、その詳細について確認されることはなかったことから、更正された通り追加の税金を納めたのだろう。

更正は手間がかかる。個人課税部門の一般調査担当の下っ端が1人で調査に出向き、更正することはめったにない。

しかし、このときばかりは、筆者の調査官魂に火が付き、更正を打ったのだった。

正義感が強い調査官がやってきて、現況調査をした際に、コンドームが出てきたら……。自宅では出産を控えた妻が子育てをしながらガーデニングに励んでいた。今日も仕事で遅くなるという口実のもと、納税者は事務所で何をしていたのか。調査官は調査対象者となった納税者が不倫をしていることまで見抜いてしまうこともあるのだ。

税務調査の目的は、適正公平な課税の実現である。調査に非協力的な態度をとったことで現況調査をする運びとなり、結果、痛くない腹まで探られ、追加の税金を払うだけでなく女性関係まで暴かれてしまうということは少なくない。

昨今、ゲス不倫が取りざたされているが、税務調査の世界でもゲスな話はあるのだ。

調査官は常に調査の端緒を探している。仕事に関係のないものは事務所に置いておかないようにすることは、正しい申告する際の第一歩。それ以前に、人として正しい行動をしているかどうかを判断する材料になりうるといえるかもしれない。

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飯田 真弓(いいだ・まゆみ)
飯田真弓税理士事務所 代表税理士
元国税調査官。産業カウンセラー。健康経営アドバイザー。日本芸術療法学会正会員。初級国家公務員(税務職)女子1期生で、26年間国税調査官として税務調査に従事。2008年に退職し、12年日本マインドヘルス協会を設立し代表理事を務める。著書に『税務署は見ている。』『B勘あり!』『税務署は3年泳がせる。』(ともに日本経済新聞出版社)、『調査官目線でつかむ セーフ?アウト?税務調査』(清文社)、『「顧客目線」「嗅覚」がカギ!選ばれる税理士の”回答力”』(清文社)がある。ホームページ
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(飯田真弓税理士事務所 代表税理士 飯田 真弓)